私の職歴⑭ ~チャンス~

先日のバンコクで


カンボジアに来て1年以上が経ちました。
上倉さんが入り、精神的に楽になりました。

このお盆に、タイ・バンコクへ行き、上倉さんとお会いしました。
今年、2016年5月から、カンボジアからタイへ異動。
カンボジアに住んでいた時より、驚く程、顔色が良くなってました。

毎朝、満員のBTS(高架鉄道)で通勤しているとの事。
カンボジアでは、車、バイクで、ドアtoドアで、歩くことがまずありません。

バンコクに来てから、1日/1万歩近く歩き、汗もかきにくい体質になってました。
その夜、Hook Shark-Fins Restaurantへ。
フカヒレとアワビをご馳走になりました。

いつものように話が盛り上がり、
普段の私は、あまり飲まなく、ビール1本飲んだら、相当飲んだレベル。
この日は、二人でシンハビール10本以上あっと言う間に空けました。
美味しかったです!ご馳走さまでした!!

日本食レストラン「銀河」オープン!


話は、15年前のカンボジア滞在時に戻ります。

ホテルのレストランで毎食行くことはできず、
自炊するようになりました。
パサパサご飯を炊き、おかずは魚醤にニンニク、唐辛子を入れたタレのみ。
もしくは、タイ製インスタントラーメンにこのタレをぶっかけ。

毎日、唐辛子を食べていると、辛さに口が麻痺をするせいか、
日に日に唐辛子の量が増えていきます。
その時、日本で激辛大会があれば、優勝したと思います。

そんな食生活でしたが、ある日、日本食レストランがオープン。
「銀河レストラン」シンガポール人経営で、主な素材はシンガポールから空輸。
毎食のように行くようになりました。

値段は日本の定食屋と同じ程度。
出前を交渉し、昼食に弁当を出前するようになりました。
$5-でトンカツ弁当か鯖弁当の2種類。
日本で食べたら、今ひとつのレベルですが、その時は本当に美味しかった。
1年間、昼食はトンカツ弁当か鯖弁当。

トラベル懇話会 カンボジアへ


日本の大手旅行会社のお偉いさんが、ご夫妻15組程で、毎年世界へ旅行に行きます。
その評価により、鶴の一声で、会社の将来が大きく変わります。

その年、ベトナム&カンボジアに決まり、当社に決定します。
失敗は許されない大仕事であり、大きなチャンス。

ガイドは、チャンヤ。
いつもやっているように、後悔のないように、精一杯やろう!!

知りたいのは、遺跡の歴史でなく、
カンボジアの歴史、日常、考え方、政治、宗教、日本をどう思うか。
できたらポルポト時代の話も聞きたい。

どの業界でも同じように、旅行業では特に、政治、宗教の話はご法度。
でも、相手を尊重し、嫌な思いをさせない言い方もあると思います。

チャンヤには、
失敗したら、私の責任になるので、何も心配しないで下さい。
チャンヤが、どこまで本音で話せるか。
出し切ろう!!

チャンヤにとっては、大チャンスです。
成功すれば、カンボジア ナンバー1ガイド。
指名がかかり、仕事には困ることがなくなります。

何としてでも、成功するぞ!!
Chanya3                ●チャンヤ 2014年撮影

事件発生


トラベル懇話会がカンボジアに来る3日前、事件発生。
私の貯金が全部なくなっていました。

カンボジアに銀行はあるにはあるのですが、
いつ潰れてもおかしくないので、
お金は、自宅の机の引き出しに鍵をかけてました。

普通、その引き出しは開けませんが、その日何気なく開けたら、
スッカラカン。
日本円で150万円位。目の前が真っ暗になりました。

家のオーナー家族が取るはずもなく、
メイドさんを疑ったのですが、泣いて絶対してないと主張。

日本大使館の知り合いの方に連絡。
カンボジアの警察に言ったら、逆に狙われる。

その方は、群馬県警からの出向で、大使館の警備責任者の桜井さん。
熱い男。魅力ある方で、この国に「交番」を普及させることが使命。

日本大使館は首都プノンペンにあるので、
たまにシェムリアプに来た時は、必ずご連絡をいただき、
気にかけていただき、いろいろお世話になりました。
(一緒にいろいろ悪いことも)

桜井さんにその件を伝えると、
よーし!カンボジア初めての指紋採取だ!!
と、シェムリアップ警察署長にすぐに連絡し、
直々に、国を挙げての大事件捜査。

調書を受け(殆ど通じない)、いざ家宅捜査。
悪徳警官(カンボジアでは警官全て悪徳と思ってました)が10人程、家に入り、
机の大きさ、ドアの大きさ、入り口から冷蔵庫までの距離を、メジャーで図り、
冷蔵庫の中身も調べられ、
その時点でこりゃダメだと確信しました。

そして、いざ、カンボジア初の指紋採取。

誰かに教わって来たのですが、本人たちは誰一人理解してません。
何回もやっているうちに、もう駄目だ。と、
暑いから、指紋が取れないと、グジャグジャにしてしまいました。
家中が指紋採取の汚れ。

帰り際に、今晩飲みに行くからお小遣いくれ。
冷蔵庫に入っているもの貰っていいか。

渡さないと報復があります。
案の定、スッカラカンになってしまいました。

翌日、気落ちして放心状態。
ホテルでの打ち合わせで、ロビーで座り、そのまま移動。
あっ!!鞄を忘れた。
すぐに行ったら、当たり前ですが、鞄ごとなくなってました。
昨日、お金を取られ、用心し全財産を鞄に入れてました。

何で夜遅くまで無給で、ガイドの仕事を手伝い、
クレームをなくそうと、命まで張って、狙われてる。
そしてカンボジアで頑張った分(殆ど日本からの貯金)が、全てなくなりました。
腐って辞めようかと真剣に考えました。

この先、長い人生で、ここで逃げたら、一生逃げることになる。

元々、何もなかったではないか。
冬の寒い日、自動販売機の前で、100円の温かい缶コーヒーを買うか買わないか、
30分悩んでいた頃から比べたら、こんなの大したことない。
また頑張るしかない。と、自分に言い聞かせました。

明日から、大仕事。
チャンヤは、人生を変える程の大チャンスの仕事。
腐っている場合じゃない。

当社の日本社長ご夫妻が添乗、ホスト役で同行。
入国審査素通り。(三浦社長が全て段取り)、

失敗するよりも、あの時、これをやっとけば良かったという、後悔だけはしたくない。
私もチャンヤとともに、ずっとお客様に付き、
2泊3日、全力を尽くしました。

帰りの空港で、日本本社の社長に、
「お礼状をお送りしたく、皆様のお名刺をいただきたく、ご挨拶してよろしいでしょうか。」
と、お伺いしました。

「バカヤロー!!、まだ、いただいてなかったのか!!
 自分から求めなかったら、何も動かないぞ!!」

目からウロコとはこのことです。
この言葉は、今でも私の基本です。
自分から求めなかったら、何も始まらないことを学びました。

これをきっかけに、チャンヤはカンボジア№1ガイドに。
チャンヤより日本語がうまいのは、他にたくさんいるいます。
心です。

その件以来、お金は銀行に預けました。
マレーシア資本のOverseas bank。

1年がたち、
その銀行に、外国人預金者が殺到している。と聞きました。
すぐに行ってみると、外国人が10名程、解約手続きに。
お金を返してもらえないとの事。

行列でやっと私の番に。
マレーシア人支店長に、すぐ解約と言ったら、
今、本店より送金待ちで、今はない。
日本人を尊敬している。
他の外国人より先にあなたに連絡する。

それでも、すぐに解約と粘って交渉しましたが、
家族がこの2階に住んでおり、逃げも隠れもしない。
日本とマレーシアの絆は深い。
我々は仲間だ。安心しろ。

翌朝、シャッターが閉まり、張り紙。
異議申し立ては、国際金融裁判所へ。みたいなことが貼ってある。
すぐに国内線でプノンペンのOverseas bankへ。
シャッターが閉まり、同じ張り紙。

なんでこうなるの!?

そうこうしているうちに、三浦社長から連絡が。
ずっと、脅迫されてましたが、子供を誘拐すると言ってきてます。
私だけだったら、なんてことないのですが、
子供を出されたら、参ってしまいます。
もう疲れました。

私が辞めれば、問題解決します。
帰ろう。

私の職歴⑫ ~カンボジアでの転機~

日本人との出会い


カンボジアに来て1年。
シェムリアップ初の信号機が設置。
当日、私も見に行きましたが、その信号機に黒山の人だかり。
初めてのガソリンスタンド、カルテックスにスターマートがオープン。
日本のコンビニの様なもので、これで生活は激変しました。
チョコレートがいつでも食べれるようになり、
$1-のホットドックが食べれるようになりました。

ホテルもどんどん建設され、
ロイヤル・アンコールホテルがオープン。
そこに日本人がゼネラル・マネージャーとしてくるとの事。
オープンセレモニーでその日本人GMとご挨拶。

会社の斜め前に位置しているので、
レストランでは、毎回チャーハンか、焼きそばですが、
なかなか美味しく、昼食に一人で行くようになりました。

ある日、一人で食べていると、
その方が、「何をしてるんですか。食べるなら声をかけて下さいよ!」。
すぐに打ち解け、毎日、昼食をご一緒するようになりました。

上倉さん。
卒業後、タイのランドオペレーターに勤務。
その後、カンボジア・プノンペンのホテル、ロイヤル・プノンペンを経て、
ロイヤル・アンコールホテルのGMに。
私より、4歳年上で、海外勤務17年。

仕事抜きに、お会いするようになり、何でも話せる友人になりました。

転機


ある日、日本の本部長(のち社長)から直接連絡があり、
「ニック」は何者だ。と、唐突に聞かれました。
悪い噂が出ており、私がその店をガイドに強制して、売春斡旋し、
荒稼ぎし、独り占めしているということ。
「当社は、売春斡旋はしていない。するなら辞めてもらう。」
しれに対し、私はかなり怒って反論したことを覚えてます。

ガイドが、カンボジアスタッフに言い、それを日本へ苦情として報告。
その他、脅迫は相変わらず続いており、
それ以外にもトラブルは多々ありました。
まだ根に持ったスタッフ、元スタッフが動き回ってました。

すぐに辞めようと思いました。
クレームをなくし、(この頃クレームはほとんどなし)
お客さんに喜んでいただければ、ガイドの収入も増える道筋、
朝から、夜中まで、命を狙われながら、給料以外$1-も貰わず、
何をやっているのだろうと、情けなくなりました。
それに本社の日本人から言われたことが、決定的でした。

ベトナム社の日本人にとことんついて行こう。

その他にも、いろいろありましたが、今、楽になったのは、上倉さんの存在。
いろいろとお話しし、聞いていただきました。

ある日、上倉さんが、ホテルを辞めて、私の会社へ入ることはできないかとの相談。
オーナーとの絡みであまりうまくいってないとの事。
せっかく頑張ってGMまで上り詰めたのに、もったいない。考え直して下さい。

上倉さんが言うには、
上倉さんが、中の仕事を全て行い、
私が、外の仕事(お客さんのフォロー、オプショナルツアー)を行う。
オプショナルツアーの何パーセントを歩合にしましょう。
クレームを出すどころか、お客さんに満足していただき、
お客さんを増やしましょう。
そうすれば我々の給料も増えます。

二人でやるにあたって、絶対にトラブルがあります。
それは、徹底的に話し合いましょう。
どんな事でも話し合い、解決できます。

分かりました。
私も辞めようと思っていたので、上倉さんは1年と言ったのですが、
半年の約束でやることになりました。

三浦社長に相談。「OK!!」
他の人にはそんな対応とらなく、きついので有名です。
私が相談すると、いつも三浦社長は「OK!!」と言ってくれます。
本当にありがたく感謝しておりました。

上倉さんは、ホテルを退社し、
ホテルから私の家の真横の部屋に引っ越しました。

二人で頑張りましょう!!

シェムリアップ

私の職歴⑪ ~海外の日本人~ 

ベトナムに足は向けません。


私がカンボジアに来る前から、ベトナム駐在の日本人が出資し、
シェムリアップでカラオケ屋を立ち上げる計画をたててました。

経営者は、カナダ人のニック。
メンサのメンバーで、ベトナム・ホーチミンの有名バー、Apocalypse Nowで大成功し、
プノンペンでも、Heart of Darknessでも大成功。
その人が、シェムリアップに夜の社交場・大人のカラオケ店を立ち上げる。

※メンサ…人口上位2%の知能指数 (IQ) を有する者の交流を主たる目的とした非営利団体。

出資したベトナム駐在の日本人は、同業者のランドオペレーター。
その頃、日本人の訪越数は、カンボジアの約5倍。
1995年の関西ーホーチミン直行便就航により、ブームに火が付きました。

その中心なのが、同グループのベトナム社の社長。
ブームになる前から、これからはベトナムだと、合資で会社を立ち上げ、
日系の会社では取扱数、取扱数、断トツ№1。
その頃のベトナム社は、社員100人。
旅行以外にも、超有名レストランのオーナー、
誰もが手にするフリーペーパー、
その他にもいろいろビジネスを成功させている方です。
その方には、本当に面倒を見てもらい、お世話になりました。

私がシェムリアップに来て1日目。
その方も、シェムリアップに会い来ていただきました。
仕事のやり方、コツをアドバイスしていただきました。

最後にお願いしたいことがあると、
これから立ち上げるニックの店を応援していただけませんか。

シェムリアップ初日だったので、訳も分かりませんでした。

それからカンボジアではいろいろと衝突ありましたが、
いつもその方が私の味方をしていただき、支えていただきました。

日本でのマネージャー会議でも、(カンボジアは、三浦社長が出席)
例のベテランスタッフを解雇し、いろいろ揉めてた時の会議。

カンボジアでは命がけなのですよ。
ベトナムはナイフだが、カンボジアでは銃ですよ。
あなたはカンボジアでできますか。
人伝いに効きました。
日本(本社)には足を向けても、ベトナムには足を向けない。

今では、日本を含む全グループの会長。

その方とニックが昔からの友人で、
シェムリアップでのカラオケ店オープンになりました。
ニックはその方を「ラストサムライ」だと言ってます。
私より4歳上で、その頃34歳。
実際、凄い人です。

その方以外にも、ベトナムにいる日本人は、バイタリティがあり、
人間的に魅力がある人が多い。
今でもありがたく交友があります。

カンボジアに住む日本人は、3種類に分かれます。
・遊びの延長
・チャンスを求めて
・NGO関係

男性より、女性の方がはまる傾向があり、
カンボジアに来て、バイクタクシーの運転手と恋に落ちるのが圧倒的に多い。
そして、移り住み、子供が生まれる。
カンボジア男性の優しさがいいらしい。

大人の社交場 バイヨン・ムーン


ニックは、日本語ペラペラで、すぐに意気投合。
ニックの店の立ち上げも毎日のように行くようになり、
オープンに向け準備を手伝いました。

店名は何種類か候補がありましたが、最終的に「バイヨン・ムーン」に決定。
バイヨン遺跡:宇宙の中心
200以上ある遺跡で、最も有名なのが、アンコールワット。
次いで有名なのがバイヨンです。

ちなみに、私が一番好きな遺跡は、「東メボン」です。
ここは人が少なく、他の遺跡みたいに人で混み合うことはありません。
休みの日に、夕陽を見に行ったことがあります。
(1回のみですが)
私は、遺跡にはあまり興味がありません。

バイヨン・ムーンをオープン。
他社オペレーターにも営業にまわりました。
我社のお客さんは、バイヨンムーン指定。
コミッションも他店より増額。
強制することはできませんので、私個人からのお願い。

これには、空港張り付き営業もできません。
あくまでガイドに任せるしかありません。

9.11 アメリカ同時多発テロ


2011年9月11日の夜、仕事中、三浦社長からの電話。
「大変です!アメリカの大きなビルに飛行機が突っ込んだ!」
三浦社長は日本語堪能ですが、時々何を言っているのか分からなく、
突拍子もないことを言うこともあります。

バイヨンムーンにCNNを見に行こう。
テレビの前には、お店の女の子たち10名以上が、食い入るようにテレビを見てます。
ニュースを見ているのかと思ったら、
中国のふた昔前の三流ドラマ。
女の人が空を飛び、口から糸を吐いて人をぐるぐる巻きにしたり、
口から火を噴いたりと、なぜかいつもみんなそればかり見てました。

世界が大変なことになっていると、
チャンネルを変えたら、大ブーイング。
テレビには、ワールドトレードセンターに旅客機が2機も突っ込み、目を疑う光景。
映画の特撮でなく、本当の映像だとすれば、いや信じられない。

大ブーイングで、すぐにチャンネルを変えられました。
女の子たちは、世界が終わるかもしれない大事件よりも、
口から糸を吹く中国の三流ドラマに興味がありました。

一夜明け、グループ会社、各国から状況をレポート。
・タイ:首相が声明を発表。テロには断じて屈しない…
・ベトナム:市民は驚きを隠せず…
 ミャンマー、上海、インドネシアの状況
・カンボジア:いつもと何も変わらない暑い朝を迎えております。
電気が通ってないので、誰もテレビは持ってないので、誰も知りません。
会社の外を見ましたら、いつもの光景で、
裸の人がたくさん歩き、鼻くそをほじくっている人がいます。
あれだけ指を深く入れて痛くないのか心配です。

カンボジアだけ、レポートから外されてました。

アメリカ人を含めて、翌日からも、通常通りに何も影響はありませんでしたが、
日本人だけ、約3か月、キャンセルが相次ぎ、殆ど仕事がありませんでした。
キャンセルが多数あったのは日本人だけ。

私の職歴⑨ ~生涯の友~

いつも思い出したのが日本でのささやかな楽しみ


私がカンボジアに来て、いろいろな衝突があり、自信がなくなってきました。

何しに来たんだろう。
何を目的にやってきたんだろう。
何の為に、嫌われものになってもやるのだろう。

心を打ち解け、本音で話せる人は誰もいません。

あのまま日本でやってたらどうなっていたのだろう。
道を間違ったかな。

カンボジアに行く前の日本では、
土曜日の午後は、一人で焼肉の倉で焼肉定食を食べ、
その後、佐竹台公園で車を停め、
ジョージアのコーヒー(ロング缶)、ベビースターラーメンを食べ昼寝。
日本に居た時、かけがえない土曜日の午後のひと時。

カンボジアでは、土曜日の午後に、その光景がいつも思い出されました。

土曜日の午後の佐竹台公園でのジョージアのコーヒー、ベビースターラーメンが、
一番幸せを感じていたのが、離れてみて初めて気付きました。
たわいない、なにもないことが、一番の幸せという事も分かりました。

カンボジア・シェムリアプでは、石(遺跡)はあっても娯楽がない。
ラッキーカフェに行って、コーヒーを飲み、
何回も読んだ本を読むしかありません。

食べ物も慣れなく、
住んでいる日本人にたまに会うと、「また痩せたね」が挨拶になりました。

バイク事故


ある日、土曜日の夕方、ガイドから電話があり、
お客さんが、プノンバケン(夕日の名所遺跡)で、ガイドと会えなく困っていると連絡。
通常、そのうち会えるので、10分ほど様子をみました。
また電話があり、まだ会えない。
ガイド誰か分からいけど、私の会社のお客さんということは確からしい。

会社からアンコールワットまで約15分かかるので、大急ぎで向かいました。
バイクを飛ばし、時速50km位で向かっている時、
穴があり、突っ込んでしまいました。

アスファルトの舗装道は、街の中心しかなく、
日本と違い、補修しないので、アスファルトでは、よく大穴があります。
そこに突っ込んで、頭を強打、全身も強打。

日本だったら、救急車で病院へ直行、即入院レベルですが、
ここはカンボジア。
救急車はなく、病院はあることはありますが、
かえって悪化するので、意地でも行きませんでした。
その事故で1ヵ月以上、頭が痛く、食べるのも一苦労で、
まだ、その時の傷がありますが、16年経った今でも病院は行ってません。

カンボジアで事故があったら、バンコクに搬送されます。
ヘリコプター、飛行機をチャーターするので、何百万円という金額になります。
カード付帯保険では、殆ど対応しきれてません。
海外に行くときは、必ず海外旅行傷害保険に加入しましょう!!
ちなみに弊社は、AIU保険の代理店です。

お客さんがケガをした時は、なるべく我慢をしてもらいますが、
ひどい場合、その日の便でバンコクへ行っていただきます。

ある日、お客さんがバスタブで転倒し、目の上を切って、
出血がひどく、一刻も早く処置が必要でした。
病院に連れて行き、早く縫ってと、お願いしたら、
やったことがない。怖いから嫌だ。とのこと。
「あなたならできる!!Go for broke!!」と勇気付け、縫ったことがあります。

※Go for broke:マサ斉藤の格言
 マサ斉藤…日本を代表するプロレスラー。
 アメリカ生活が長く、そのアメリカで事件を起こし刑務所へ。
 その中であみだした必殺技「監獄固め」は、全米を震え上がらせた。

その時、お客さんは、かなり痛がってました。
私もそのお客さんを必死で押さえ縫いました。

会計の際、その先生が「いくら請求したらいい?」
とりあえず、$50-位は!?
そんなにもらっていいのか!?
お客さんには、応急処置なので、バンコクに着いたら、
直行で病院に行ってくださいとご案内しました。

穴に突っ込んで、何十分も立ち上がれなく、そのうち人だかりが。
みんな大丈夫!?と、声をかけてくれていたのですが、全然動けません。
バイクはボロボロで、至る所から出血。服もボロボロ。

知り合いのガイドが通り、連絡をとってくれました。
お客さんは、ガイドと会うことができ、今レストランにいるとのこと。
(ガイドは、やはりダンポンでした)
事故後、そのまま血だらけで、そのお客さんがいるレストランに謝罪しに行きました。

引きずりながら、頭も強打したので、顔も歪めながら。
「大変ご迷惑をおかけしまして、申し訳ございませんでした」
すると、こちらを振り向くこともせず、手で追い払われました。

その頃は、会社に住んでいた頃で、家(会社)まで送ってもらい、
みんなが心配してくれました。
その中でも一番心配してくれ、薬を買ってきてくれて、手当してもらい、
ずっと付っきりで面倒を見てくれた人がいました。

生涯の友との出会い


それまでも彼を知っていたのですが、挨拶程度で、深く話したことはありませんでした。

これがチャンヤとの出会いです。
この人に出会えただけで、カンボジアに来た価値がある程の、
私の人生の中で、大きな大きな出会いです。

今でも、チャンヤを思い出す度、胸が痛みます。

1976年プノンペン生まれ。
お父さんは、ポルポト時代に亡くなり、お母さんが、チャンヤと弟を育てました。
子供の頃からシクロ(輪タク)の運転手をし、家計を助けながら、
夜、電灯の下で、英語の勉強。
英語の勉強になるのでホテルのフロントで働き、
よく利用する日本人と出会い、日本語を勉強し、
その方の推薦で、国費で日本にも短期留学をすることができ、
シェムリアップで日本語ガイドになりました。

それがきっかけで、チャンヤとは仲良くなりました。
人間味あふれ、ビールが好きで、女好き。
良い奴で、話せば話すほど、尊敬しました。

私が一番辛い時、どんどん人が離れて行った時も、いつでも支えてくれました。

私はカンボジアスタッフからは、悪役日本人だったので、
仲良くなるにつれ、チャンヤに対しての中傷。
「日本人に胡麻をする」
「チャンヤは、森本にお金を渡している」
そういうのが私の耳にも入ってきました。

そんな時、チャンヤが、話したいことがあると、
お茶を飲みに行きました。
日曜日の午後。
市内中心にお洒落なカフェがオープン。「Red Piano」
そこで話をしました。

「森本さん、いろいろ言われてますが、
私は、正しいことをやっていると思います。
私が言われてることは、何も気にしないで下さい。
私は森本さんを、どんなことがあろうと信じてます」

今から2年前にお客さんとカンボジアへ。
ガイドは、チャンヤ。
カンボジアは激変をして、バーストリートなるものができてます。
欧米人客でかなりの人だかり。
チャンヤも頭が禿げ上がり。
その中心にあるのが、「Red Piano」。

お客さんを案内しながら、「Red Piano」の前を通った時、
チャンヤが、ここ覚えてますか!?

その時、嬉しくて、嗚咽をこらえ何も言えませんでした。
一日でも忘れたことなどありません。

チャンヤ

私の職歴⑧ ~カンボジアでの学びの時~

牛耳っていた、ナンバーワンガイドとの衝突で、
良くも悪くも空気が変わりました。

話は前後しますが、
ある日そのガイドが、怒って会社に帰ってきて、
「日本人はなってない!!」
聞いたら、お客さん(日本人観光客)を案内していて、レストランで食事の際、
そのお客さんが、レストランのウェイトレスに、
「今晩いくら?」と聞いたとのこと。

同じ日本人として、恥ずかしく申し訳ないと、言いながら聞いていると、
勝手にお互い交渉して、私を通さずに言い値で連れて帰った。
怒った理由はそこでした。

日本からも最も信用ある社員。
しかも日本の本社の社長まで、何かあったら、彼に相談しろだったので、
私がクビにされてもしょうがないと思ってました。

ただ、後悔は一切ありませんでした。
黙っていたら、ずっと誰もルールを守らないし、
滅茶苦茶のままで、私が来た意味がありません。

誰かがメスを入れ、膿みを出し切る必要がありました。
私が来る前も何人かの日本人が駐在されたと事ですが、
誰も何も言わずに、すぐに辞めてます。

カンボジアでは、議論することがありません。
自分の主張をし、感情的になったら喧嘩になり、
喧嘩をしたら、終わりなのです。

街中で欧米人がレストランを経営している場合、店前にライフルを持つ警備がいます。
カンボジア人を雇い、働きが悪く解雇したら、その日の内に報復があります。
強盗だけでなく、報復から守る為でもあります。

翌日、ナンバーワンガイドとの衝突の件を、プノンペンにいる三浦社長に報告しました。
「OK!この際、クビにしましょう。」
逆に会社にいる足を引っ張る、親戚数名を一掃しました。

三浦社長から、この時も、
「カンボジア人は正面から来ません。後ろから来ますので、気を付けて下さい。」
あっさりと言います。

その頃、まだ銃が出回っており、買おうと思えばすぐに買えました。
あるガイドが、森本さんも銃を持ったらの提案。
明日、プノンペンに行くので、買ってきます。

翌日、電話があり、今、市場にいて、USD150-しますが買いますか。
現実にそれを聞いて、ビビッてしまいました。
実際に銃を携帯し、何かあったら威嚇する。
それでも向かって来たら撃つ。
私にはできません。
断りました。

ただ、復讐で襲われる空気だったことは間違いありません。

衝突したガイドが中心になり、解雇された親戚が労働局に不当解雇と訴えました。
要はお金が欲しいだけ。労働局なるものが、あったことにも驚きました。

その頃から脅迫電話が毎日かかってくるように。
私は、カンボジア語が分からないので、全く影響ありません。
来るならいつでも来い!日本人を舐めるな!!
と、言って下さいと、スタッフにお願いしてました。

後日、カンボジアの英字新聞に私の記事がありました。
内容は、会社名を出して、悪い日本人が会社のお金を横領し、
正当な社員を不当解雇。
三浦社長の名前も実名で出され、その日本人のPuppetだ。
という記事でした。

私が来た時から、いろいろと教えていただいた、
社員のソカさんもこの時辞職しました。
同じ年で、身の回りの世話から、カンボジアの常識など教えていただきました。
お互い頑張ろうと良いパートナーと思ってました。
何かスタッフにいう時も、ソカさんを通して言うことも多く、
それがかなりのストレスだったようです。

ソカさん自身も、私の味方だと思われ、
もうこれ以上できません。
と辞めました。

ある日、朝、出社したら、
張り紙が至る所に何十枚も張ってあり、
私のパソコンのモニターにも貼ってました。
カンボジア語なので、全く分からず聞いたら、
森本は悪い奴。辞めさせろ。との内容。
書いた本人は、ダンポンというおっさん社員ガイド。

内戦以前(’97)から日本語ガイドをやっているベテランで社員。
彼の日本語は何を言っているのか1割も理解できないレベル。
お風呂嫌いで、そもそもカンボジアにはお風呂はありませんが、
日本人でも風呂嫌いは居ますが、レベルが違います。本物です。
ダンポンの周りは、ハエがいつも飛んでいました。

その時の社員のガイドは3人。
一人は衝突して辞めたガイド。
後の二人は誰が選んだのか、どう考えても低レベル。
あとは、専属で来ていただいているのが20名程。

ガイドにもかなりのレベルの差があります。
一日、ガイドの日当は、1日:$18-。
送迎のみ、半日とは別に計算します。

良いガイドでも悪いガイドでも日当は同じですが、
どの仕事に付けるかで、収入が変わります。
人数が多くなればなる程、土産屋等のコミッションが増え、収入が増えます。
良いガイドからグループ、団体をアサインし、
次に個人の高額パッケージツアー。
最後に格安の個人パッケージツアーです。

1か月の収入では、トップクラスのガイドで、
月/USD1,000-以上(コミッション、チップ合わせて)のガイドもいました。
日本だったら、一流プロ野球選手レベルです。

ダンポンは、今まで社員で、団体をメインにガイドをしていたのが、
私が格安の個人パッケージツアーをアサインしたので、
彼が怒って張り紙をして抗議したのです。

ダンポンを会社に呼んで、話ました。
激怒しており、カンボジア語の早口で、全く何を言っているのか分からず、
後でカンボジアスタッフに何を言ってたのと聞いたら、
カンボジア語ではなく、日本語じゃなかったのですか!?
その日をもって退職。

その後、どこの会社でも仕事はなく、
たまに日本の旅行会社の某激安ツアーでガイドをやっているということを聞きました。
その後、エイズになり、仕事は辞めたとのこと。

それまでの専属ガイドもかなりの数が離れていきました。
私が来たせいで、会社が混乱しているのは確かです。

ソカさんが辞め、誰にも相談する人がいなくなり、
これからは一人で考え、決断しなければなりません。

そんな時、私の人生を変えるほどの出会いがありました。