私の職歴㉘ ~ 出航の時 ~

アルバイト終了
旅行が完全に止まっている状態が続き、
取引先の旅行会社、クルーズ関連会社の退職のご挨拶が多くなってきました。

私の警備アルバイトは状況は変わらなく当初の予定よりさらに延びました。

警備アルバイトは、道路工事での片側通行現場が多く、誘導は紅白の旗。
かなり交通量の多い所での交差点での誘導。
猛暑の中、一瞬も気が抜けない、一番忙しいポジションばかり。

一日中ボケーっと突っ立って、何もしないポジションの人と同じ日当。
ポジションを変えて欲しいので、他の人に旗誘導を教えてていたら、
旗振り先生と呼ばれるようになりました。

全国旗振り選手権があったら、出場し優勝を狙います。

今、自分は、何をしているんだろう。
今、自分は、どこにいるんだろう。
自問自答しながらの毎日でした。

昨年の1月から毎朝、手を合わせる時、唱えています。
「全ては良い方法へ歩み進んでおります。ありがとうございます。」

出航の時
緊急事態宣言が終わるのと同時に、警備アルバイトを終了しました。
昨年を入れたら一年近く警備アルバイトをやっていたことになります。

緊急事態宣言が終わり、10月に入り少しづつ問合せがでてきました。
そんな時、にっぽん丸から、コロナ対策を体験乗船を、直前のお誘い。
迷わず申し込みました。

10/15-18 にっぽん丸 別府・生口島 瀬戸内海クルーズ 神戸発着 3泊4日
神戸発着の国内クルーズということもあって、
普通、クルーズだったら、楽しみでワクワクした高揚感があるのに、
今回は楽しみだけど、それほど高揚感はありませんでした。

当日、神戸港についてにっぽん丸を前にしてもピンとこない。
目の前の神戸メリケンパークオリエンタルホテルでPCR検査。
結果がでるまで、ホテルのボールルームで昼食。
アクリル板の仕切りがあり、お弁当が用意されてました。
クラシックが流れ、ホテルマンのサービス。

三段のお弁当を開けて食べようとしたら、急に嗚咽がでて涙が溢れだしました。
この1年10カ月のいろんなことが駆け巡りました。
雨の中ずぶ濡れになりながら、あんパンを無理やり詰め込んでいたのが、つい数日前。

にっぽん丸では、心地よいサービス。
料理の美味しさ。
ショーは、ハウスバンドの70年代メドレー、ヴァイオリンコンサート。
全てに感動して、全てに涙が溢れだしました。
今までいくら感動しても、涙まででたことはありません。
完全に忘れていた感動、ワクワクした高揚感が蘇りました。
コロナ前より感受性が高くなり、何事にもありがたく、感動しています。

生きていたら、こんな良い事がある。

ずっとコロナ禍では、憎み恨んでばかりでした。
交通事故でも、コロナ菌が少しでもあれば原因はコロナ。PCR陽性を感染者。
メディアは煽るばかり。テレビ、マスコミは正義だと信じて疑わない人たち。
マスク2枚重ねを平気で勧める自称専門家。
小規模、大規模一括りにして飲食店が大打撃という一方的な報道。

憎み恨んでいても、何も前に進めなく成長はしない事に気が付きました。
どんな理不尽な状況でも、今起こっているのが現実なのです。

どんな状況でも人として大きくなります。

そして、支えていただいた人があるからこそ、今までやってこれたし、再出発ができます。
感謝の気持ちは忘れてはいけません。

さあ、出航の時です。

にっぽん丸乗船で読む本を書店に行き、一冊の本に導かれました。

「自分の人生は『大いなる何か』に導かれている」
「人生で起こること、すべて、深い意味がある」
「すべては導かれている」
「人生で起こること、すべて、良きこと」

「運気を引き寄せるリーダー
 七つの心得 危機を好機に変える力とは」
 著者 田坂 広志

私の職歴㉗ ~創業20周年~

2002年8月22日 ビガー・トラベル・サービス設立。
おかげさまで20周年を迎えることができました。

当初、開業時には10周年を迎えることができたなら、
社会に必要とされていると認識し、大いに胸を張り、
自分の言いたいことズバズバ言おうと思っていました。

10年が経ち、まだまだその域には達してないと感じました。
20年が経ち、まだまだその域には達していません。

お客様、取引先に支えられて、20年やることができました。
開業当初より、感謝の気持ちが強くなっていることは確かです。

ネームバリュー、信用がある大手ではなく、
聞いたことがないような所に大事な旅行を手配していただく。
こんなありがたいことはありません。

ここに言ったら間違いない。
こつこつ貯めた大事なお金をここに託す。
お客様はそういう思いで言ってきてくださる。
その思いにこたえる為に、全力で期待以上のものを。
その思いで挑んでおります。

旅行で元気になっていただきたい。
生きててよかったと言わせて見せます。

皆様に支えていただき、20周年を迎えることができました。
感謝の言葉しかありません。

今後ともご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます。

2021年 8月19日
株式会社ビガー・トラベル・サービス
代表取締役 森本 哲也

私の職歴㉖ ~恩人~

カンボジアから1枚の写真
今年5月中旬 カンボジアのチャンヤさんから1枚の写真が送られてきました。
説明も何もなく、葬式のような写真?
誰か亡くなった?
何の写真から分からなく聞きましたら、お別れの会の写真。

お別れの会の写真は上倉さんでした。

つい一ヶ月前、誕生日にお祝いメッセージを送ったら、
「ありがとうございます‼️
カンボジア、激暑です。
食欲がなく、コーラばかり飲んでます。」
お元気そうだと安心しました。

上倉さんとの出会い
夢を追い求めて行ったカンボジア。
自分なりにやりましたが思うようにいかず、日本へ帰りたいという気持ちが。

そんなある日、会社の斜め前にロイヤル・アンコール・ホテルが完成。
オープニング・セレモニーで初めてお会いしたのが、
そのホテルのGM(総支配人)が上倉さん。

その当時、シェムリアップで私が食べるところがありませんでした。
シェムリアップに来て1カ月で10kg減ったほど。

よく通っていた近所の食堂では、焼き飯、焼きそばにハエが1~2匹入っているのは我慢できましたが、10匹以上入っていた時があり、もうこの店には来ないと誓いました。

違う食堂では、テーブルのど真ん中に大ゴキブリがのっしのっしと闊歩。
カンボジアのゴキブリはのんびりしている。
店の人に苦情を言ったら、「何を言ってるの?」と、逆に変人扱い。
皆に笑われました。

ロイヤル・アンコール・ホテルのレストランは、出来たばかりなので綺麗で、お手軽で、
なかなか美味しい。毎日のように、一人で昼食を食べに行ってました。

ある日偶然、上倉さんがレストランにいて、一緒に食事をすることに。
初めて話したのはその時です。
「なんで声をかけてくれないんですか!水臭いなぁ~!!」
ザ・社交辞令。と、始めは思っていましたが、
意気投合し、どんどん親しくなってきました。

上倉さんは私より4つ年上。
タイ・バンコクでランドオペレーター(現地旅行社)、カンボジア・プノンペンではホテルに勤務。
その時点で10年以上海外で過ごしていました。

正直、初めは良い印象は一つもありませんでした。
個性的にも程がある(癖が強い)
言葉がきつい(毒舌)
が、私にはちゃんと立ててくれ、認めていただきました。

その頃、シェムリアップで初めての日本食レストラン「銀河」がオープン。
シンガポール人がオーナーで、プノンペンに本店がある。
店内のBGMは五輪真弓の1枚のCDがいつ行っても垂れ流し。
聞き飽きて気分が悪くなる程。全ての曲を覚えてしまいました。
一緒によく行きました。
上倉さんは冷麺大盛ばかり注文していたのを覚えてます。

そんなある日、上倉さんからホテルを辞めたいとの相談されました。
あまり人とうまくいっていなく、私が働いている会社で一緒にやりたい。
私も日本に帰りたいと思っていたので、私と入れ替わったら、会社に迷惑がかからない。

ただ上倉さんの条件が一つあり、私と1年で一緒に仕事がしたい。
私は以前より、友人とは一緒に仕事はしない。友人でなくなるという考えがありました。
伝えると、どんなことでも徹底的に話し合って、お互い絶対ストレスはためない。
必ずできます!!
細かい事も話しあって、これならいけると確信しました。

私の一存では決めれません。
三浦社長に話したら、即「OK!!」。

そのカンボジアの会社の社長は、三浦 キリブットさん。
ポルポト時代に命からがら日本へ逃げて亡命し日本国籍を取得。

初めてお会いしたのが、私がお客様をお連れして行ったプノンペン。
事前に日本人スタッフを募集していたことを知っていて、
詳しくお聞きしたく、ツアー中にメコン川のレストラン、
肌が黒く、日本語も癖があったので、長く住んでいたらこういう風になるんだと思ってました。

三浦さんはカンボジアでは有力者で有名人。
いずれ議員になり次期首相候補と言われてました。

会社はプノンペンが本社でシェムリアップが支店。
三浦社長はプノンペン拠点に住んでおり、シェムリアップに来るのは年に数回。

シクロ(自転車タクシー)でアンコール遺跡を廻るツアーがあれば面白い。
ただシェムリアップにはシクロがいません。
三浦社長に相談すると、翌週プノンペンから20人がシクロでシェムリアップに来ました。
この方たちの寝泊りは!?「シクロで寝ます」
給料はどのように!?「一回走れば$1渡して」

今ではシェムリアップに何十軒もある足つぼマッサージ。
通常営業でお客様が来るし、オプショナルツアーで入れる為、流行るのでやりたいと相談。
プノンペンの台湾人経営のベンツサウナから中国人施術士が翌週にはにシェムリアップにきました。
ベンツサウナは台湾マフィアがオーナーという噂があり、
実際サウナ内は全員派手な模様の体で、何人も殺ってきたという顔ばかり。
よくそんなところから、すぐに引き抜いてきたものです。

シェムリアップで初めての足つぼマッサージがオープン。
第一号のお客様として三浦社長。
施術の際、ズボンを上げたら、足に100以上のの穴の傷跡。
驚いて聞くと、ポルポトから逃げる時、ジャングルでパチンコ地雷を踏んだ跡。

カンボジア滞在中、ありがたいことに、全てに即「OK!!」していただきました。
カンボジアスタッフからすれば、そんな人ではないということで、
きつく、細かく、意見が通らないことが殆どだということです。
三浦社長には本当にお世話になりました。今でも感謝しております。

上倉さんは正式にホテルを辞めて入社。
シェムリアップには不動産屋、アパートはなく、家を見つけてここを借りることはできるかを直接交渉。
ちょうど私の部屋の横が空いていたので、横に引っ越してきました。

横同士で話し声もかすかに聞こえるのですが一切干渉しない。
緊急重大の場合以外はノックしない。
そこまで話し合いました。

社内の仕事は上倉さん。日本への情報発信、提案、回答。
社外の仕事は私。日本からのお客様の対応、オプショナルツアー販売。

これが大成功。
肩の力が抜け、こんなに違うのかと思うほど楽になりました。
クレームは皆無になり、日本からのお客様はどんどん増えていきました。
トラブルがあれば、力をあわせてなんなく乗り越えれる。

毎日が充実して楽しかった。
土曜日は午前のみ半ちゃんですが、三浦社長、スタッフに内緒で、
二人で朝から1泊のカジノツアー。タイとの国境ポイペット、プノンペンへ。
横同士のスロットを日本の歌を二人で歌いながら夜中まで。

ある日、上倉さんの知人がシェムリアップに、
プレイステーション(ファミコン)とプロレスゲームを持ってくるとの事。
シェムリアップでは娯楽がなく、プロレスゲームを一緒にできるのが待ち遠しく、
ずっと楽しみにしてました。

その日の仕事そ早く終わり、上倉さんの部屋でプロレスゲーム大会を開催。
ハッピーピザを夕食に持ち帰り準備万端。
さあ、やりましょう!!

私も興奮して、コンセントに差し込み電源ON!
その時、上倉さんの叫び「あー!!」
電源を入れた瞬間、ボンと煙が上がり、壊れてしまいました。
日本は100V。カンボジアは220V。
一瞬の出来事で二人で唖然としたのが何時間にも感じました。
結局一度も電源が入らなく、見ることもできなかった。

仕事も遊びも何をやっても楽しく、今から考えたらこの時期が一番輝いていました。

今、私があるのは上倉さんのおかげです
私は2002年3月末で退職。日本へ帰国。

上倉さんは仕事も好調で、シェムリアップに土地を購入し何十倍にも高騰。
外国籍は買えないので、会社スタッフ名義。
広い一軒家に住み、マイカーはナビ付のレクサス。
どう考えても赤土でナビはいらないでしょう。
一番の成功者は上倉さんと日本にいる私にも風の噂が届きました。

ご両親がお亡くなりになり、日本には2回帰国。
実家は東京ですが、私に会いに大阪に2回とも来ました。

親族は東京にお姉さんがいらっしゃいますが、
お姉さんには頭があがらなく、ずっと正座して、
「ごもっともです」
「おっしゃるとおりです」
「申し訳ございません」
3つの単語しか言わなかったと。
もう日本には帰る所がなくなったと。

大阪では着いてすぐローレックスを購入。
近所のイオンへ買い物へ。見るもの全てに驚き、全て購入。
CDショップでは近藤真彦ベストなど大量に大人買い。
どれだけ日本に帰っていなかったのか分かりました。
温泉旅館に行ったり、美味しいものをたくさん食べに行き、日本を満喫。

数年前、清さんの誕生日お祝いでカンボジアへ。
清さんは、クルーズをやり始めたころから応援していただいている福島・郡山のお客様。

出会った頃、既に末期がんで余命半年。
クルーズは、体力で皆さんにご迷惑をおかけするとのことで近年は不参加。
二人だったら誰にも気を遣わず、清さんに喜んでいただける。

清さんとは、アンコールワットを半日だけ観光しただけで、
観光するより、隠れ家リゾートホテルのプールで一日中何もしないのが好み。
昼食もプールサイド。

その間に上倉さんと市内のカフェでお茶をしました。
いきなり何も言わずに収めてくださいと、封筒を渡されました。
すぐに現金だとわかりました。
私は上倉さんには、ホームページでの失敗の事は言いましたが、
大変だとは一言も言ってないです。
このブログにも書きましたが、正直大変な時だったことは間違いなかったです。

なんでですか。受け取れません。
「何も言わないでください。妻に相談したらあなたの思うようにしてと了解も得ました」
気持ちだけで十分です。本当にありがとうございます。
「今の私があるのは森本さんのおかげです」
そんな事はなく上倉さんの実力です。私の方が感謝しています。
二人で人目を憚らず号泣してしまいました。

今、私があるのは上倉さんのおかげです。
間違いない事実です。
私の人生での中で重大な事です。

訃報
その後、上倉さんは、同グループ会社のタイ・バンコクの会社へ移動。
バンコクにも会いに行ったりしていましたが、再びカンボジア・シェムリアップに戻る事に。
共に頑張ってきた会社を辞めて、日本の大手旅行会社のシェムリアップ支店へ。

昨年からコロナ禍で仕事が皆無に。
上倉さんからは、スタッフが殆ど解雇されたと。

今年の正月に、私が上倉さんへ長文でのコロナ愚痴に対しての返答。
「森本さんも千佳さんも本当に外出には気を付けて下さいね。」
話が嚙み合ってない。

チャンヤさんからの写真で、信じられなく、シェムリアップの日本人に確認しました。

5/13に大家が異臭がして部屋を確認したところ、
薬が散らばっていた状態で亡くなっていたとのことです。
警察の調べでは死後4日程。

日本の大手旅行会社のシェムリアップ支店を解雇になってから誰とも連絡を取っていなかったようです。
解雇になってエアコンもないアパートに引っ越したようで、
失業で収入が無くロックダウンで飲みにも行けず孤独の中、
うつ病などだったかもしれません。

ご親族などの近い方がいらっしゃらなかったようなので、
上倉さん、私が在籍していた会社スタッフから、
(最後に在籍していた日本の大手旅行社ではありません)
「会社としてせめて小さくても何かしたい」という声があがりお寺でお別れの会が行われました。
ご遺体は使館の管理下で火葬され、遺骨が日本へ移送されるのではないかと思います。

上倉さん

解雇された事、エアコンなしのアパートに住んでいた事、何も聞いてなかったです。
一人で悩み、どれだけ不安で、苦しかったか。

いつも上倉さん口癖でいってたじゃないですか。
「なんで声をかけてくれないんですか!水臭いなぁ~!!」

恩返しまだじゃないですか。
それを目標にずっと頑張っているのに。

私たちがいた、エーペックスのスタッフがお別れの会を開いてくれて、
こんな嬉しいことはないですね。
上倉さんいろいろと迷惑をかけたかもしれないのに。

癖が強すぎて、10人中9人は合わないかもしれませんが、
上倉さんをどんなことがあっても信頼して応援している人が一人でもいたら、
胸を張れる素晴らしい人生だと思います。

上倉さんは、私にとってかけがえない友人であり恩人です。
感謝の言葉しかありません。

私の職歴㉕ ~試練の時~

コロナ禍
一昨年の2019年12月。武漢で発生した新型コロナウィルス。
あれから約1年半。まさかここまで長引くとは夢にも思いませんでした。
あの時の報道で、影響がでると覚悟してました。

阪神大震災、O157、9.11同時多発テロ、SARS、リーマンショック、東日本大震災。
世の中に何かあれば、旅行業は真っ先に影響を受け、最低でも半年間は仕事が皆無に。

今回のコロナ騒動で半年間は仕事がなくなる。何とか耐えようと腹を括ってました。
その時、半年が経ちましたが状況は変わらず、全く光が見えない状況が続きます。

その時2019年12月当時。今まで比べ物にならない程の勢いで絶好調。
ありがたいことに、どんどんど仕事が入ってきました。
というのも2020年の日本発着クルーズは、新クルーズ元年と言われる程、
外国船がどどっと押し寄せるように、日本発着クルーズを設定しました。
それ以外にも海外クルーズ、クルーズ以外の一般の旅行(個人・団体)も絶好調。

2021年1月~4月までの四半期で、2020年の1年間の売上を優に超えていました。
連日、睡眠もしっかりととれない程、仕事がくる。

そんな中、年末年始にアジアクルーズ。今思い出して夢のような時でした。
幸せの絶頂。

年が明けて、武漢での新型コロナ感染のニュースがどんどん入ってきましたが、
それをはるかに超えるように、1月は仕事がどんどん入ってきました。

そんな幸せの日々が1日にして奈落の底に落ちていったのが、
2020年2月03日横浜港でのダイヤモンド・プリンセスでの隔離。

私も2/03から横浜発のダイヤモンド・プリンセスに乗船することが決まっており、
東京に1/31から前泊してました。

2/02の朝、ネットニュースでクルーズ船で新型コロナが発生。
どの船が公表していなかったので、違う船だと思ってました。
徐々に情報が入り、まさかの私が乗るダイヤモンドプリンセスでした。
中止にならないように祈ってましたが、前日2/02の18:00過ぎに中止決定の連絡。
やむなく翌日に大阪に帰りました。

ダイヤモンド・プリンセスでは、乗客は下船できずに2週間の隔離。
なぜ船内で隔離!?
そうなったら船内で感染拡大するのは誰でも分かります。
クルーズを知らない人は、コロナ=クルーズ=怖いイメージになり、クルーズが悪になってしまいます。

そのダイヤモンド・プリンセス隔離から、キャンセルの嵐。
旅行会社は、クルーズではお申込みの時にお申込み金をいただきますが、
それは、船会社に支払うので右から左。
実際に旅行に行かないと売り上げがたたなく、一切の手数料もいただけません。
今回、1~2年前からやってきた仕事が、キャンセルになった場合、
悪い言い方をしたらタダ働きどころか完全に赤字。
全額いただいていたものは、その利益分もお客様へ全額返金しなければいけません。

毎日がキャンセルの連絡。キャンセル処理の繰り返し。
その時は、こんなに長引くことは想定していません。
先のクルーズでは、キャンセル免除をだしていなかったので、お客さんによっては毎日電話をかけてくる方も。
「いつキャンセル免除になる?」
「船会社、航空会社からまだでておりません。情報が入り次第、ご連絡しますのでお待ちください。」
「なんで、中止になるって分かっているのに!!」
翌日も同じ電話。この状態が約半年続きました。
人と話すのが嫌になり、会うのも怖くなりました。

結局、全ての仕事がキャンセルになりました。
かなりの額の融資を受けて、お客様に全て返金したのが6月。

2021年6月26日 実父永眠。

7月22日からGOTOトラベルがスタート。
国内旅行が半額(割引35%+地域共通クーポン15%・最大2万円)になるというもの。
全くお問合せもありません。

少しでも出血を抑えるべく、約6年前の最大の危機以来のアルバイト探し。
もう二度とアルバイトをすることはない。と思っていましたが。
3カ月という目処をつけて。3カ月経ったら状況も変わるだろう。

ドラックストア、病院の清掃、パン工場等、応募・面接しましたが、殺到して採用されません。
専門職は仕事がなくなるということはありませんが、こういう時に、自分は何をやってきたんだろうと思います。

ありがたく採用していただいたのが、警備会社。
道路工事、建築現場、スーパー駐車場の誘導。
面接に行った時点で即採用。
コロナでは一切影響なく、仕事が有り余っている状態だという。

20時間の講習を終え、始めたのが7月下旬。一番暑い時期からのスタート。
前日に会社から連絡があり、現場・時間が決まります。
始めの1カ月行ったのが、スーパーの駐車場誘導。
国道沿いにあり、ビュンビュン飛ばす車を誘導するのですが、一番暑い時期だったので体感40度以上。
暑さで意識が朦朧として、何回か道路に出て轢かれそうになりました。
その後、100円ショップ駐車場、建築現場、スーパー改装の受付警備。

一日一日が長く、岩に噛り付くような毎日。
カレンダーばかり見て、1週間が1カ月。1カ月が1年に感じました。
誰でもやっている仕事なのに、自分は弱くわがままなだけかも。
もっと強くならなければと自分に言い聞かせる毎日。

私は元々、自黒なのですが、警備でずっと外にいるせいで、黒いにも程があるレベルに。
自分でもわかってましたが、黒光りしてました。
8月末に神奈川のお客様が大阪に用事があり来社したいとの連絡。
よく知っているお客さんには、アルバイトの事は言えるのですが、初めてお会いするお客様。
私を見るなり引いているのがわかりました。
「コロナでゴルフしかすることがないもので」

途中で何回もギブアップしそうになりましたが、何とか約束の3カ月。
2021年10月31日警備のアルバイトが終了。

私のやっている仕事は、やればやるだけお客様の満足度が上がり次の旅行も。
自分の血となり骨となり、自分のものとなる。
どんなに恵まれていて、どれだけ感謝しないといけないかを改めて思い知らされました。

これからは本業で全力を尽くせる喜び。
その頃には、GOTOトラベル国内旅行が動き出し、ありがたいことに多数受注することができました。

既存のホームページを全面リニューアル。
新しい3つの専用ホームページ完成。
・オーシャニア・クルーズ
・リージェント・セブンシーズ・クルーズ
・コスタ・クルーズ

オーシャニア・クルーズ(デラックス)、リージェント・セブンシーズ・クルーズ(ラグジュアリー)は、
私のいちおしクルーズ。
サービス、料理、設備、クルーのホスピタリティどれをとっても抜きん出ています。

コスタ・クルーズ(カジュアル)は対照的にお手軽クルーズ。
週末旅行感覚で、お手軽にお気軽に誰でも行くことができる。

より詳しく、そのクルーズの良さを知っていただきたく、専用ページをオープンしました。

ところが、2020年末 感染拡大によりGOTOトラベル中止により、再び全ての仕事がキャンセルに。

2021年1月13日 2回目 緊急事態宣言
2021年4月25日 3回目 緊急事態宣言

昨年からこのブログでいろいろ書きましたが、全て削除しました。
その為、お得情報以外の自分自身の声はありません。
このブログ、そして経営理念である「元気になっていただきたい」の趣旨から外れ、
愚痴、泣き言になっていたかもしれなかったからです。

ワクチン接種が始まり光が見えました。
海外クルーズでは、7月から再開決定したクルーズもあり動きだしております。
2022年コースは既に完売のコースも目立ち、
クルーズ最大手のカーニバルグループでは、2022年の事前予約が2019年実績を上回ったことを発表しました。

世の中、本来の新型ウィルスの危険度をしっかりと認知しないまま、
「命の危険」と煽るのが正義です。

私は4月から、再び警備アルバイトを3カ月の約束でお世話になっております。

どんな事になろうと、どんな手を使っても、生き延びてクルーズを世に広めていきます。
「生きててよかった」と、言わせてみせます。

私の職歴 番外編 ~私の親友~

我らのジャイアン


中学時代からの同級生で、とにかく人の面倒見が良い奴。
学生時代、柔道で全国的に有名な位、強かったのですが、腰を怪我して断念。

10人かかっても倒せない位、規格外の腕力。
体力だけでなく、頭の回転も速く、悪知恵が働く。
悪友です。

私の職歴に書きましたが、
23歳の時、旅行会社で完全歩合制になり、土木作業と旅行の営業をやっていて、
100円の缶コーヒーを買うか買わないか、1時間以上迷うような時。

その時期に彼は結婚し、披露宴には呼ばれませんでした。
私の状況を知っている、彼なりのやさしさです。

そして、彼が働いている、親族が経営する会社の旅行を、
長い付き合いの大手旅行社から、全て私に。
60名でバス2台、春・秋の年2回。
「赤い風船」から「黒い風船」へと、力ずくで全てコーヤンが、やってくれました。
その頃、からかって「黒い風船」と呼んでいたのもコーヤン。
この仕事が柱になり、軌道に乗り、生活に困ることがなくなりました。

散々お世話になったのに、私の夢を求めてカンボジアに行くことに。
お世話になったお客さんに話し「頑張ってこい‼」と、
送別会が毎日、1ヶ月休みなく続いたのも、
この道を作ってくれた、コーヤンのおかげです。

コーヤンの会社は、私が居ない間、旅行には行っておりませんでした。
カンボジアから帰ってきて、独立して、
また、以前と同じように旅行に行っていただきました。
勝手に行って、勝手に帰ってきたのに。

その頃、コーヤンといろいろな事があり、疎遠になりました。

10年ぶりの再会


約10年後の2015年の2月、何年ぶりかの同窓会があり、
そこで10年ぶりにコーヤンと会いました。

会うのも、話すのも10年ぶり。
居酒屋に入ってくるなり、私の所へきて、
「いろいろあって、お互い言いたいことがあるけど、水に流そうや。」
「わかった」
「けど、結婚して、まだ祝ってもらってないぞ」
私は、この10年の間に結婚しましたが、結婚式、披露宴を挙げていません。

2015年 4月11日(土)レストランを貸し切って、
私たちの披露パーティーを盛大に行っていただきました。
コーヤンが発起人なのですぐに人が集まり、
沢山の人に祝っていただきました。

久しぶりに見るコーヤンは、顔色が悪く気になりました。

その2か月後、お昼に友人から電話。
「コーヤンが亡くなった」

冗談だと、今でも信じられません。
2015年 6月10日、心臓発作。享年45歳。

先週末、コーヤンのお墓参りに行きました。

浜村淳さんがCMしている、池田メモリアルパーク。
山間にあり、朝は清々しく、小鳥のさえずり、優しい風が吹き、
心地よく、幸せな気分になりました。

お墓参りは、通常友人と行きますが、
今週末の命日は添乗が入っているので、今回、初めて1人で行きました。

友人と行ったら、なかなか語り合えませんが、
いろいろとゆっくりと語り、いろんな思い出が蘇りました。

周りのみんなが、コーヤンに支えてもらった。
私も彼に人生を変えていただいた一人です。

いつも与えてもらいっぱなし。
今でも、見守っていただいてます。
「コーヤン、本当にありがとう」しか言葉がありません。