カンボジア・シェムリアップの日本人

2024年 元旦
シェムリアップのホテルで、年始の挨拶を書いていたら、
テレビの緊急速報が騒がしく、大津波警報。
よほどの地震でないと大津波警報はでません。
能登半島地震の発生。

何も言葉が見つからず、結局、年始の挨拶はアップしていません。

お客さんが1/03発で金沢旅行を手配いただいており、
金沢の状況が分からなく、旅館に連絡。
温泉は使用できませんが、通常通り営業するとの事。
JRは1/02午後から運行再開しましたが、結局、お客さんはお取消しとなりました。

能登半島地震で被害を受けられた皆さまに対しまして、心よりお見舞い申し上げます。
一日も早く復興し、落ち着いたら能登旅行に、どんどん行っていただきたいです。

翌日1/02 テレビから離れられずNHKの地震関連を見ていたら、
羽田空港で飛行機が炎上している模様との一報。
海外から客観的にみて、日本いったいどうなっているんだ。

バインミー屋台
カンボジア・シェムリアップの日本人
1/02は川崎さんと夕食の約束。

川崎さんは、私がカンボジア滞在時に同業社で同じ年。
1年前に大阪でお会いした以来。

ランドオペレーター(現地旅行社)をカンボジア、ラオス、ベトナムに。
ホテル経営、お土産屋など。バリバリの実業家。

1995年にビジネスでの夢を達成すべくカンボジアへ。
当時のカンボジアは、今では想像もできないような暗黒街。
舗装されている道も殆どなく、電気もままならない。
まだまだ観光客は皆無に近い状況。

1997年 カンボジア内戦。
ロケット弾で目を覚ます日々。
日本へ出稼ぎして、カンボジアへ送金して会社を存続。

SARS、東日本大震災を乗り越え、その後、会社はますます繁栄してきましたが、
今回のコロナは、今までとは全く比べ物にならない程の大打撃。
現在もまだ影響が続いています。

それにしてもシェムリアップは激変して以前の面影は全くありません。
日本料理といえば、シンガポール人経営の「銀河」くらいしかありませんでした。

今では、吉野家、ケンタッキー・フライド・チキン、バーガーキング、
チェーンのピザ屋、スターバックス、セブンイレブン、日本料理は数えられない程。
何も不自由することはありません。

日本料理「侍」で待ち合わせ。
川崎さんとお会いすることができました。

もう一人来るとの事で、幸子さんが参戦。
幸子さんとは、私がカンボジア滞在時から親しくしていました。

仕事が休みの日曜日、その頃のシェムリアップは何もすることがありません。
日曜日にはシェムリアップ川沿いの「ラッキーカフェ」で読書をするべく、
コーヒーを飲みに行きます。
その頃、コーヒーが飲める所は「ラッキーカフェ」しかありませんでした。

日曜日にラッキーカフェに行ったら、必ずと言っていい程、
幸子さんに会い、同じく本を持ってきます。
一緒にコーヒーを飲みながら、いろんな話をしたことが思い出です。

当時、日本語教師からガイドをやっていました。
カンボジアではお土産がタイからの輸入品くらいしかなく、
何かお土産になるものがあったらいいねと。

一念発起し、
2004年 マダム サチコ ANGKOR COOKIES 創業。
年商3.5億円。カンボジア人従業員100名の雇用を生み出しました。

その後、会社を売却して、40ヘクタール・東京ドーム8個分の無農薬の農園。
Svay Chek Organic Farmを経営しています。

農薬は使わず、新鮮で安心な野菜で健康的な国に。
カンボジア発祥の世界初「マンゴーワイン」。

幸子さんとは、約10年ぶりの再会。
楽しい時間はあっという間に過ぎました。

一度しかない人生、一日一日を精一杯生きています。
とことん笑い、とことん泣き、とことん楽しみ、とことん悲しみ、
苦しみさえも楽しく乗り越えていきたい。

幸子さんと必ず再会したい。
神様は乗り越えれない壁は造りません。

カンボジアで乳がんになるvol.1 癌宣告を受けて
サムット ブティック ホテル

タイ・カンボジア陸路の旅② ~国境越えてシェムリアップへ~

陸路で国境越え
タイ国境の街 アランヤプラテートに1泊してカンボジアへ。
ホテル朝7時に出発。

ホテルからトゥクトゥクで約10分。100バーツ。
以前は50バーツだったのが2倍に跳ね上がり。

国境に到着し、まずはタイを出国。
出国審査は待ち時間もなくあっという間。

そこでタクシーの客引き。
カンボジア側のポイペトからシェムリアップまでセダンチャーターで1台$50。

これでもよかったのですが、今は定期運行のバスが10:30発で一人$10で出ているとネット情報。
そのために早起きをしたのでバスで行くことにして、客引きはお断りしました。

タイとカンボジアの国境は小さな川が流れ、約200mの橋を渡ります。
以前はこの200mが200年の違いを感じ、タイムマシーンに乗った気分に。

タイ側は心地よい風が吹き、コンビニがあり、みんな服を着ています。
橋を渡りカンボジア側に入った途端、川にゴミが散乱。
物乞い、荷物運び屋、裸率が急上昇。
心地良い風が砂埃に変わります。

200mの違いでこれだけ差があるのかと驚愕しました。
国が違うとはこういうことなのかと、国力の差を目の当たりにしました。
決して大げさでなく200mが200年の差を感じました。

川の橋を越え、カンボジア側に。
カンボジアの入国は立派な綺麗な建物に変わっています。
建物の入国審査では、扇風機もなく無風の所を何時間も並びましたが、なんとエアコンが!

ここでカンボジアビザを取り入国審査ですが、
殆どの方はインターネットでビザをとっているのか、ここでのビザ申請は殆どいません。
私はここでビザを取ります。

入国審査の前の窓口には、いかにも怪しい出入国係官が獲物を物色しています。
看板には観光ビザ(シングル):$30と書かれているのに、
「1,200バーツだ」と言ってきます。
為替レードの差額でお小遣いにしようとしています。

バーツはないので、米ドルで払うというと、こそっと持参のメモ用紙に$33-と記入。
「なんで$30と看板があるのに、なんで$33-!?」
わざと入国審査待ちの人に聞こえるように大声で言いました。
すると、お前に要はない。さっさとあっちに行け!と、
さっさとビザのシールを貼り、追い払われました。

役人の不正はまだまだ健在で、ホッと安心しました。
さすがに入国係官が警察バッジを売らなかったのですが。

以前は本物のカンボジア警察バッジを$10で売っていました。
安いのでお土産に購入してもよいと思っていたのですが。
以前、ガイドにそのことを言うと、
「絶対に買わないでください!」と、役人の不正を暴く真っ当な意見。
見直したのですが、「市場に行ったら$1で買えます」。

国境地帯は免税になっているのか、タバコ1カートン160バーツ(約650円)で買えます。
1箱(20本)65円という激安価格。
「テキサス5」という銘柄で赤、白、メンソールの3種類。
3種類吸いましたが、赤、白は全く同じ味ですが、これがなかなか美味しいのです。

私はカンボジア滞在時、「ARA」を吸っていました。
こちらも赤、金の2種類パッケージがありましたが、全く同じ味。
当時1箱(20本)25円。今回、残念ながら生産終了でありませんでした。

カンボジア人はめっきりタバコ人口は減っています。
以前はお金持ちは1箱単位で買いますが、庶民は1本づつ買っていました。

そして大麻も街中で普通に販売されており、主に労働者が吸っていました。
あと風邪気味の時、スープに調味料として入れ体を温める効果があるとの事です。
それも昔の話で、今はタバコ1本づつ販売も大麻も見なくなりました。

無事にビザを取得し、カンボジア入国審査に並びます。
約1時間列に並びましたが、以前のような蒸し風呂の中で待つといったこともなく、
建物はエアコンが効いて快適。

並んでいる時、さっきのタクシー呼び込みが建物内に入ってきて、
ずっとこちらを見て、手を振ります。
ごめんなさい、要りませんと合図。

彼はタイ・カンボジアの入出国関係なしに国境を出入りしています。
なんと自由な男なんだ!

カンボジアの入国スタンプが押され、無事入国。
すぐにそのタクシー呼び込みが寄ってきて、
他に乗客が見つかったから、すぐに出発するぞ!と、強引にその流れでタクシーを乗ることに。

国境のカンボジア側は全く違う国になっていました。
ゴミだらけで、道も舗装をしていないので埃っぽく、お金をせがまれしたが、
今回、裸の人はどこにも居なく、道も綺麗に舗装され、
カフェ・アマゾン(タイのコーヒーチェーン店)も。
それも1軒ではなく数か所。

以前はコーヒーなんか誰も飲まなく、カジノ以外では食べれるレベルのレストランも1軒もありませんでした。
ポイペトの変わりように驚きました。
タイ側より発展しているかもしれません。

タクシーの詳細を聞くと、二人で$30。ホテルまで送る。との事。
車も日本製の綺麗な車。
これならバスより快適で、断然こちらの方が良い。

呼び込みはそこでお別れ。運転手にバトンタッチ。
丁重にお礼を言い、ありがとうの握手。
カンボジアも変わったものだと感動していました。

5分走ったら車を停め、空いている座席にもう一人が乗車。これで満席。
10分走ったところで、再び停車。
まさか!

ここでさらに二人乗り込み。
乗用車に前方3名。後部に4名。
これがカンボジアの定員なのです。

すっかり違う国になっていたので、確認しなかった。
そこで文句を言ってもしょうがないので諦め、
2時間半ギュウギュウ状態でシェムリアップへ向かいました。
それでも以前のピックアップと比べたら天国。

途中、ドライバー、乗客も、私の泊まるホテルを知らなく、
「降りろ」、「ホテルまで行く約束だ」とひと悶着ありましたが、
無事にホテルに到着。

シェムリアップホテル サムット ブティック ホテル

サムット ブティック ホテル Sakmut Boutique Hotel 
建築年:2017年 客室数:56室
デラックス ツインルーム(36㎡)
6号線から100m入った所に位置し、街の中心のオールドマーケットまでトゥクトゥクで約10分。
まずまずのロケーション。こちらで5泊します。

小規模なリゾートで、団体客などは皆無。
スタッフはみんな笑顔。ロビーでは心地良い風が流れ、ウェルカムドリンク。

コロナ前にオープンして、すぐに休業をしていたのでまだまだ新しく、
全体的に綺麗にしているリゾートです。

ホテルにもよると思いますが、シェムリアップのホテルスタッフは、ホスピタリティレベルが高い。
今まで泊まったホテルで、スタッフのホスピタリティが最高だったのが、
数年前に泊まったシェムリアップ「シンタマニ」。
ここのスタッフは、つかず離れず、自然な対応で、
よくここまでトレーニング積んでいると感動したことがあります。

今回のホテルは、「シンタマニ」と比べると洗練さは劣りますが、
自然な対応で心地よい滞在になりました。

旅の良し悪しはホテルで決まります。
国際基準5つ星ホテルに泊まれば外れはありませんが、それだけ高額になります。
今回のホテルはローカル5つ星で、値段もかなりお手頃設定。

私の旅のルーティン。
朝、日の出とともに起きて朝食へ。
レストランも雰囲気が良く、テラス席かレストラン屋内でいただきます。
種類は少ないのですが、一品一品丁寧で美味しくいただきました。

朝食後、休憩してジョギング。
できれば近くに公園があれば言うことなしですが、シェムリアップはそんな公園はなく、
ホテルのジムか、シェムリアップの街をジョギング。

アジア中級ホテルあるあるで、ジムのランニングマシーンは点検していなく、
ローラーが滑り転びそうになり、走れたものではありません。
街をジョギングした方が楽しい。

シェムリアップは年間を通して、この年末年始が一番涼しい時期。
ただ日中は暑くて、ほぼ歩いている人は見かけません。
40℃近い猛暑の中を毎日ジョギング。

ホテル選びで外せないのは、宿泊者無料サウナ。
このホテルには、ドライサウナ、ミストサウナが各2づつあり、
スパ施術がいなかったら、好きな方を自由に利用できます。
ジャグジーもあり、6日間いつ行っても誰もいなく貸切状態。

この日の為にとっておきの本をサウナで読書をして、プールにドボン後、デッキチェアで整う。
至福の時です。
日中はみなさん遺跡に行っているのかプールも貸切状態。

そうこうしているうちにお昼過ぎになります。

小腹がすくので、ホテル前の果物屋でマンゴを切ってもらい、部屋のベランダでいただきます。
この時期はマンゴは、熟れていて甘くて美味しい。
1kg=$2-。日本では考えらない値段。
1kgを二人でお腹いっぱいになります。
ベランダは日影が少なく、暑くて10分も居れません。

冷房が効いている快適な部屋で休憩・昼寝。
その後、夕食へ行きます。

客室はセンスのよいデザインでゆったりリゾートを満喫できます。
テレビも200チャンネル以上あり、日本のテレビは、NHKプレミアム(日本語)、日本テレビが視聴。

センスの良いバスタブがありますが、お湯は5分しか出なく、ぬる風呂になりますが、
常夏の国なので問題ありません。

客層は40~50代の欧米人が殆どで皆さんマナーがよいので静かです。
大晦日、元旦はプノンペンからのカンボジア人家族が多くこの日だけ賑やかでした。

ただひとつ欠点なのが、机がない事。
ベランダでもコンセントがあり、机で座ってパソコンができるのですが、
暑くて10分も居れなく、それより暑さでパソコンが爆発しそうに。
ベッドの上で寝転んで仕事をしていました。

シェムリアップのこのホテルで5泊しましたが、
結局アンコール遺跡には一回も行きませんでした。

静かでコスパの良いリゾートで旅のルーティンを満喫することができました。
これが私の旅の楽しみなで、これをする為に日頃頑張れます。

私の職歴⑭ ~チャンス~

先日のバンコクで


カンボジアに来て1年以上が経ちました。
上倉さんが入り、精神的に楽になりました。

このお盆に、タイ・バンコクへ行き、上倉さんとお会いしました。
今年、2016年5月から、カンボジアからタイへ異動。
カンボジアに住んでいた時より、驚く程、顔色が良くなってました。

毎朝、満員のBTS(高架鉄道)で通勤しているとの事。
カンボジアでは、車、バイクで、ドアtoドアで、歩くことがまずありません。

バンコクに来てから、1日/1万歩近く歩き、汗もかきにくい体質になってました。
その夜、Hook Shark-Fins Restaurantへ。
フカヒレとアワビをご馳走になりました。

いつものように話が盛り上がり、
普段の私は、あまり飲まなく、ビール1本飲んだら、相当飲んだレベル。
この日は、二人でシンハビール10本以上あっと言う間に空けました。
美味しかったです!ご馳走さまでした!!

日本食レストラン「銀河」オープン!


話は、15年前のカンボジア滞在時に戻ります。

ホテルのレストランで毎食行くことはできず、
自炊するようになりました。
パサパサご飯を炊き、おかずは魚醤にニンニク、唐辛子を入れたタレのみ。
もしくは、タイ製インスタントラーメンにこのタレをぶっかけ。

毎日、唐辛子を食べていると、辛さに口が麻痺をするせいか、
日に日に唐辛子の量が増えていきます。
その時、日本で激辛大会があれば、優勝したと思います。

そんな食生活でしたが、ある日、日本食レストランがオープン。
「銀河レストラン」シンガポール人経営で、主な素材はシンガポールから空輸。
毎食のように行くようになりました。

値段は日本の定食屋と同じ程度。
出前を交渉し、昼食に弁当を出前するようになりました。
$5-でトンカツ弁当か鯖弁当の2種類。
日本で食べたら、今ひとつのレベルですが、その時は本当に美味しかった。
1年間、昼食はトンカツ弁当か鯖弁当。

トラベル懇話会 カンボジアへ


日本の大手旅行会社のお偉いさんが、ご夫妻15組程で、毎年世界へ旅行に行きます。
その評価により、鶴の一声で、会社の将来が大きく変わります。

その年、ベトナム&カンボジアに決まり、当社に決定します。
失敗は許されない大仕事であり、大きなチャンス。

ガイドは、チャンヤ。
いつもやっているように、後悔のないように、精一杯やろう!!

知りたいのは、遺跡の歴史でなく、
カンボジアの歴史、日常、考え方、政治、宗教、日本をどう思うか。
できたらポルポト時代の話も聞きたい。

どの業界でも同じように、旅行業では特に、政治、宗教の話はご法度。
でも、相手を尊重し、嫌な思いをさせない言い方もあると思います。

チャンヤには、
失敗したら、私の責任になるので、何も心配しないで下さい。
チャンヤが、どこまで本音で話せるか。
出し切ろう!!

チャンヤにとっては、大チャンスです。
成功すれば、カンボジア ナンバー1ガイド。
指名がかかり、仕事には困ることがなくなります。

何としてでも、成功するぞ!!
Chanya3                ●チャンヤ 2014年撮影

事件発生


トラベル懇話会がカンボジアに来る3日前、事件発生。
私の貯金が全部なくなっていました。

カンボジアに銀行はあるにはあるのですが、
いつ潰れてもおかしくないので、
お金は、自宅の机の引き出しに鍵をかけてました。

普通、その引き出しは開けませんが、その日何気なく開けたら、
スッカラカン。
日本円で150万円位。目の前が真っ暗になりました。

家のオーナー家族が取るはずもなく、
メイドさんを疑ったのですが、泣いて絶対してないと主張。

日本大使館の知り合いの方に連絡。
カンボジアの警察に言ったら、逆に狙われる。

その方は、群馬県警からの出向で、大使館の警備責任者の桜井さん。
熱い男。魅力ある方で、この国に「交番」を普及させることが使命。

日本大使館は首都プノンペンにあるので、
たまにシェムリアプに来た時は、必ずご連絡をいただき、
気にかけていただき、いろいろお世話になりました。
(一緒にいろいろ悪いことも)

桜井さんにその件を伝えると、
よーし!カンボジア初めての指紋採取だ!!
と、シェムリアップ警察署長にすぐに連絡し、
直々に、国を挙げての大事件捜査。

調書を受け(殆ど通じない)、いざ家宅捜査。
悪徳警官(カンボジアでは警官全て悪徳と思ってました)が10人程、家に入り、
机の大きさ、ドアの大きさ、入り口から冷蔵庫までの距離を、メジャーで図り、
冷蔵庫の中身も調べられ、
その時点でこりゃダメだと確信しました。

そして、いざ、カンボジア初の指紋採取。

誰かに教わって来たのですが、本人たちは誰一人理解してません。
何回もやっているうちに、もう駄目だ。と、
暑いから、指紋が取れないと、グジャグジャにしてしまいました。
家中が指紋採取の汚れ。

帰り際に、今晩飲みに行くからお小遣いくれ。
冷蔵庫に入っているもの貰っていいか。

渡さないと報復があります。
案の定、スッカラカンになってしまいました。

翌日、気落ちして放心状態。
ホテルでの打ち合わせで、ロビーで座り、そのまま移動。
あっ!!鞄を忘れた。
すぐに行ったら、当たり前ですが、鞄ごとなくなってました。
昨日、お金を取られ、用心し全財産を鞄に入れてました。

何で夜遅くまで無給で、ガイドの仕事を手伝い、
クレームをなくそうと、命まで張って、狙われてる。
そしてカンボジアで頑張った分(殆ど日本からの貯金)が、全てなくなりました。
腐って辞めようかと真剣に考えました。

この先、長い人生で、ここで逃げたら、一生逃げることになる。

元々、何もなかったではないか。
冬の寒い日、自動販売機の前で、100円の温かい缶コーヒーを買うか買わないか、
30分悩んでいた頃から比べたら、こんなの大したことない。
また頑張るしかない。と、自分に言い聞かせました。

明日から、大仕事。
チャンヤは、人生を変える程の大チャンスの仕事。
腐っている場合じゃない。

当社の日本社長ご夫妻が添乗、ホスト役で同行。
入国審査素通り。(三浦社長が全て段取り)、

失敗するよりも、あの時、これをやっとけば良かったという、後悔だけはしたくない。
私もチャンヤとともに、ずっとお客様に付き、
2泊3日、全力を尽くしました。

帰りの空港で、日本本社の社長に、
「お礼状をお送りしたく、皆様のお名刺をいただきたく、ご挨拶してよろしいでしょうか。」
と、お伺いしました。

「バカヤロー!!、まだ、いただいてなかったのか!!
 自分から求めなかったら、何も動かないぞ!!」

目からウロコとはこのことです。
この言葉は、今でも私の基本です。
自分から求めなかったら、何も始まらないことを学びました。

これをきっかけに、チャンヤはカンボジア№1ガイドに。
チャンヤより日本語がうまいのは、他にたくさんいるいます。
心です。

その件以来、お金は銀行に預けました。
マレーシア資本のOverseas bank。

1年がたち、
その銀行に、外国人預金者が殺到している。と聞きました。
すぐに行ってみると、外国人が10名程、解約手続きに。
お金を返してもらえないとの事。

行列でやっと私の番に。
マレーシア人支店長に、すぐ解約と言ったら、
今、本店より送金待ちで、今はない。
日本人を尊敬している。
他の外国人より先にあなたに連絡する。

それでも、すぐに解約と粘って交渉しましたが、
家族がこの2階に住んでおり、逃げも隠れもしない。
日本とマレーシアの絆は深い。
我々は仲間だ。安心しろ。

翌朝、シャッターが閉まり、張り紙。
異議申し立ては、国際金融裁判所へ。みたいなことが貼ってある。
すぐに国内線でプノンペンのOverseas bankへ。
シャッターが閉まり、同じ張り紙。

なんでこうなるの!?

そうこうしているうちに、三浦社長から連絡が。
ずっと、脅迫されてましたが、子供を誘拐すると言ってきてます。
私だけだったら、なんてことないのですが、
子供を出されたら、参ってしまいます。
もう疲れました。

私が辞めれば、問題解決します。
帰ろう。

私の職歴⑬ ~エンジョイ カンボジア!~

エンジョイ カンボジア!!


上倉さんが来てから、それまでの重圧がどこかに飛んで行きました。
上倉さんは仕事もでき、タイ語、カンボジア語、英語も堪能。
私と全く逆のやり方で、こんなやり方があるのかと、勉強になりました。

シェムリアップに日本食レストラン「銀河」がオープン。
シンガポール人オーナーで、食材はシンガポールから空輸。
昼は、弁当を出前。
「とんかつ弁当」か、「鯖塩焼き弁当」の2種類。$5-。
毎日、ずっと食べ続けました。

土曜日の午後は、スタッフに内緒で、
カンボジア・タイの国境の街「ポイペト」へ1泊旅行。

カンボジア側にカジノ・カジノホテルが4軒程あり、殆どがシンガポール資本。
タイにはカジノがないので、タイ人が国境を越えてやってきます。

地獄のピックアップトラック


それまでもポイペットに行った事がありました。
初めて行った時には、道が悪く8時間かかりました。

公共交通機関がないので、移動手段はピックアップトラック。
定員:乗せる分だけ。
これ以上乗れないとなったら、出発します。
鶏、豚、自転車、何でも載せます。

運転席の屋根付き部分には、
1シート二人。ギアもまたいで座ります。
その後ろの座席(荷物置き)では、5人座ります。
その後ろのトラック部分には、これ以上乗らない限界から、あと5人乗せます。

道は、もちろアスファルト舗装はなくデコボコ赤土。
どう説明したら伝わりやすいか、想像×5倍のデコボコ。
雨季には、いたる所に小川ができ、橋屋、誘導屋が登場します。

橋屋は、ずっと一日中、板を2枚持ち、お金を払ったら、その板を敷く。
誘導屋は、一日中、おっさんが川の中に顔だけを出し、
どこが浅いかお金を払ったら、教えてくれます。
運転手はいつも、そのお金を渡すのではなく、川に投げそれを何人も追いかける。

初めての国境への旅は、
そんな過酷なものと分からなかったので、
ピックアップトラックの運転席後ろを乗りました。
地獄の8時間でした。

ピックアップトラック

運転席の後部座席に本来なら、人の乗らない荷物置きに5人びっしり。
前後の間隔もなく、足が1cmも動かせない。
手は動かせず、かろうじて指が数ミリ動くだけ。
隣の人と密着で、息遣いを8時間。

出発前、そんなこと分からなかったので、
ズボンの前ポケットに、ボックスのタバコを入れてました。
ボックスの角は、股に当たっており、激痛。
手が動かせないので、それも動かせない。
下車したら、血だらけになってました。

やっとのおもいで、ポイペトに到着。
なぜか、全身泥だらけになってました。
冷房もつけずに、本当に地獄でした。

後で分かったのですが、助手席+ギアまたがりを3人分払ったら、
助手席を独占できます。帰りは3人分支払い助手席を独占しました。

●2012年のポイペト シェムリアップからの道は全線舗装

目の前の1泊/$2-のゲストハウスへ。
ゲストハウスには泊まりたくなかったのですが、
カジノに豪華ホテルがあることを知らずに泊まりました。
裸電球の1つの、陽が当たらない、ジメジメした部屋。
布団も枕も臭い。ベッド下には使用済みコンドーム。
水道もなく、かめで雨水を使う。
泥だらけの体をかめの水で頭からかぶり、泥を流す。

カンボジア・タイ国境のカジノは、タイでは法律で禁止されてるので、
カンボジア側にあります。
と、いってもカンボジア人はゲートより先には行くことができません。
シンガポール資本のカジノ&ホテルが4軒。
タイ人がカジノ目的で訪れます。週末はかなりの混雑。

カジノゲートには、警官がチェックをしており、
パスポートを持ってないというと、入りたければいくらかかると、
お小遣いを渡さなければ入ることができません。
頭から水を被ったので、ビショビショで、
来る途中に足がぬかるみにはまり、泥だらけでカジノへ。
よく入れたものです。今では絶対に入ることはできないでしょう。

●2012年 ポイペットのカジノ

カンボジアのイミグレーションを通り、
約200mの川に橋があります。この川が国境。
タイのイミグレーションへ。
この200mが、タイムマシーンの如く、200年の差を感じます。
カンボジア側は、裸の人が多く、埃っぽいのが、
タイに入ったとたん、心地よい風が吹きます。
道路も全て舗装されており、コンビニもあります。

●2012年 年々イミグレーションが混み合いっていきます。

タイ国境からトゥクトゥクで約10分でアランヤプラテートの街。
田舎町で何とも落ち着く街です。
夜にはちょっとしたナイトマーケット。
カジノで泊まるより、アランヤプラテートで泊まる方が楽しいです。

上倉さんと、ポイペトに行くには、車をチャーター。
その頃は、道がよくなり4時間で行くことができました。
今では、全線舗装しているので、2時間で行くことができます。

上倉さんとは、カジノで、夜通し日本の歌を歌いながら、横同士のスロット。
アランヤプラテートへ泊りに行ったり。
プノンペンの船上カジノへ行ったりと、
カンボジア生活をエンジョイしました。

仕事もしっかり、遊びもしっかり。
何かあると、納得するまで話し合いました。

私の職歴⑫ ~カンボジアでの転機~

日本人との出会い


カンボジアに来て1年。
シェムリアップ初の信号機が設置。
当日、私も見に行きましたが、その信号機に黒山の人だかり。
初めてのガソリンスタンド、カルテックスにスターマートがオープン。
日本のコンビニの様なもので、これで生活は激変しました。
チョコレートがいつでも食べれるようになり、
$1-のホットドックが食べれるようになりました。

ホテルもどんどん建設され、
ロイヤル・アンコールホテルがオープン。
そこに日本人がゼネラル・マネージャーとしてくるとの事。
オープンセレモニーでその日本人GMとご挨拶。

会社の斜め前に位置しているので、
レストランでは、毎回チャーハンか、焼きそばですが、
なかなか美味しく、昼食に一人で行くようになりました。

ある日、一人で食べていると、
その方が、「何をしてるんですか。食べるなら声をかけて下さいよ!」。
すぐに打ち解け、毎日、昼食をご一緒するようになりました。

上倉さん。
卒業後、タイのランドオペレーターに勤務。
その後、カンボジア・プノンペンのホテル、ロイヤル・プノンペンを経て、
ロイヤル・アンコールホテルのGMに。
私より、4歳年上で、海外勤務17年。

仕事抜きに、お会いするようになり、何でも話せる友人になりました。

転機


ある日、日本の本部長(のち社長)から直接連絡があり、
「ニック」は何者だ。と、唐突に聞かれました。
悪い噂が出ており、私がその店をガイドに強制して、売春斡旋し、
荒稼ぎし、独り占めしているということ。
「当社は、売春斡旋はしていない。するなら辞めてもらう。」
しれに対し、私はかなり怒って反論したことを覚えてます。

ガイドが、カンボジアスタッフに言い、それを日本へ苦情として報告。
その他、脅迫は相変わらず続いており、
それ以外にもトラブルは多々ありました。
まだ根に持ったスタッフ、元スタッフが動き回ってました。

すぐに辞めようと思いました。
クレームをなくし、(この頃クレームはほとんどなし)
お客さんに喜んでいただければ、ガイドの収入も増える道筋、
朝から、夜中まで、命を狙われながら、給料以外$1-も貰わず、
何をやっているのだろうと、情けなくなりました。
それに本社の日本人から言われたことが、決定的でした。

ベトナム社の日本人にとことんついて行こう。

その他にも、いろいろありましたが、今、楽になったのは、上倉さんの存在。
いろいろとお話しし、聞いていただきました。

ある日、上倉さんが、ホテルを辞めて、私の会社へ入ることはできないかとの相談。
オーナーとの絡みであまりうまくいってないとの事。
せっかく頑張ってGMまで上り詰めたのに、もったいない。考え直して下さい。

上倉さんが言うには、
上倉さんが、中の仕事を全て行い、
私が、外の仕事(お客さんのフォロー、オプショナルツアー)を行う。
オプショナルツアーの何パーセントを歩合にしましょう。
クレームを出すどころか、お客さんに満足していただき、
お客さんを増やしましょう。
そうすれば我々の給料も増えます。

二人でやるにあたって、絶対にトラブルがあります。
それは、徹底的に話し合いましょう。
どんな事でも話し合い、解決できます。

分かりました。
私も辞めようと思っていたので、上倉さんは1年と言ったのですが、
半年の約束でやることになりました。

三浦社長に相談。「OK!!」
他の人にはそんな対応とらなく、きついので有名です。
私が相談すると、いつも三浦社長は「OK!!」と言ってくれます。
本当にありがたく感謝しておりました。

上倉さんは、ホテルを退社し、
ホテルから私の家の真横の部屋に引っ越しました。

二人で頑張りましょう!!

シェムリアップ