バンコク到着。エータス・ルンピニにチェックイン。

これを書きながらの今の写真です。

久しぶりにバンコクに到着。
昨年の年末年始以来なので、約1年半ぶり。

昨日の昼に大阪をでて、東京でお客さんに会いに行き、
羽田発00:40発で、今朝05:00バンコクに到着。

●羽田空港国際線ターミナル

大阪は暑かった。それに比べると東京はまだ過ごしやすい。
台風の影響からか、風があり心地よかった。
バンコクは、昨日の東京と同じ程度で、大阪よりは過ごしやすいです。

今回は、プライベートです。
今回も、エータス・ルンピニにチェックイン。
06:00にはホテルに到着。

●バンコク到着 スワンナプーム空港 ルンピニ公園を散策

ありがたいことに、10:00には部屋を用意できるとのことで、
それまでルンピニを散策し、屋台でコーヒー。
ホテルの例のサウナへ。
いつものように貸切状態。
いつも以上に汗を流し、さっぱり。
最高!!

●ホテル周辺には、ルンピニ公園以外にも屋台がでてます。

2時間程、寝てから仕事をしてます。
日本にいるより、仕事がはかどります。

夜は、上倉さんと、20:00に夕食を約束。
私の職歴でかいた上倉さん。
今年5月にカンボジアからタイに異動。
何も連絡なしで、驚かそうと思いましたが、都合もあり迷惑になるので、
昨日、連絡し約束しました。

今は、どこでもネット環境が発達しているので、
日本に居る時以上に集中して仕事もすることができます。

何も仕事をしなくてもいう方は、
日常を離れて、自分を見直すことができます。
ぶらっと海外へ。
エータス・ルンピニ

私の職歴⑬ ~エンジョイ カンボジア!~

エンジョイ カンボジア!!


上倉さんが来てから、それまでの重圧がどこかに飛んで行きました。
上倉さんは仕事もでき、タイ語、カンボジア語、英語も堪能。
私と全く逆のやり方で、こんなやり方があるのかと、勉強になりました。

シェムリアップに日本食レストラン「銀河」がオープン。
シンガポール人オーナーで、食材はシンガポールから空輸。
昼は、弁当を出前。
「とんかつ弁当」か、「鯖塩焼き弁当」の2種類。$5-。
毎日、ずっと食べ続けました。

土曜日の午後は、スタッフに内緒で、
カンボジア・タイの国境の街「ポイペト」へ1泊旅行。

カンボジア側にカジノ・カジノホテルが4軒程あり、殆どがシンガポール資本。
タイにはカジノがないので、タイ人が国境を越えてやってきます。

地獄のピックアップトラック


それまでもポイペットに行った事がありました。
初めて行った時には、道が悪く8時間かかりました。

公共交通機関がないので、移動手段はピックアップトラック。
定員:乗せる分だけ。
これ以上乗れないとなったら、出発します。
鶏、豚、自転車、何でも載せます。

運転席の屋根付き部分には、
1シート二人。ギアもまたいで座ります。
その後ろの座席(荷物置き)では、5人座ります。
その後ろのトラック部分には、これ以上乗らない限界から、あと5人乗せます。

道は、もちろアスファルト舗装はなくデコボコ赤土。
どう説明したら伝わりやすいか、想像×5倍のデコボコ。
雨季には、いたる所に小川ができ、橋屋、誘導屋が登場します。

橋屋は、ずっと一日中、板を2枚持ち、お金を払ったら、その板を敷く。
誘導屋は、一日中、おっさんが川の中に顔だけを出し、
どこが浅いかお金を払ったら、教えてくれます。
運転手はいつも、そのお金を渡すのではなく、川に投げそれを何人も追いかける。

初めての国境への旅は、
そんな過酷なものと分からなかったので、
ピックアップトラックの運転席後ろを乗りました。
地獄の8時間でした。

ピックアップトラック

運転席の後部座席に本来なら、人の乗らない荷物置きに5人びっしり。
前後の間隔もなく、足が1cmも動かせない。
手は動かせず、かろうじて指が数ミリ動くだけ。
隣の人と密着で、息遣いを8時間。

出発前、そんなこと分からなかったので、
ズボンの前ポケットに、ボックスのタバコを入れてました。
ボックスの角は、股に当たっており、激痛。
手が動かせないので、それも動かせない。
下車したら、血だらけになってました。

やっとのおもいで、ポイペトに到着。
なぜか、全身泥だらけになってました。
冷房もつけずに、本当に地獄でした。

後で分かったのですが、助手席+ギアまたがりを3人分払ったら、
助手席を独占できます。帰りは3人分支払い助手席を独占しました。

●2012年のポイペト シェムリアップからの道は全線舗装

目の前の1泊/$2-のゲストハウスへ。
ゲストハウスには泊まりたくなかったのですが、
カジノに豪華ホテルがあることを知らずに泊まりました。
裸電球の1つの、陽が当たらない、ジメジメした部屋。
布団も枕も臭い。ベッド下には使用済みコンドーム。
水道もなく、かめで雨水を使う。
泥だらけの体をかめの水で頭からかぶり、泥を流す。

カンボジア・タイ国境のカジノは、タイでは法律で禁止されてるので、
カンボジア側にあります。
と、いってもカンボジア人はゲートより先には行くことができません。
シンガポール資本のカジノ&ホテルが4軒。
タイ人がカジノ目的で訪れます。週末はかなりの混雑。

カジノゲートには、警官がチェックをしており、
パスポートを持ってないというと、入りたければいくらかかると、
お小遣いを渡さなければ入ることができません。
頭から水を被ったので、ビショビショで、
来る途中に足がぬかるみにはまり、泥だらけでカジノへ。
よく入れたものです。今では絶対に入ることはできないでしょう。

●2012年 ポイペットのカジノ

カンボジアのイミグレーションを通り、
約200mの川に橋があります。この川が国境。
タイのイミグレーションへ。
この200mが、タイムマシーンの如く、200年の差を感じます。
カンボジア側は、裸の人が多く、埃っぽいのが、
タイに入ったとたん、心地よい風が吹きます。
道路も全て舗装されており、コンビニもあります。

●2012年 年々イミグレーションが混み合いっていきます。

タイ国境からトゥクトゥクで約10分でアランヤプラテートの街。
田舎町で何とも落ち着く街です。
夜にはちょっとしたナイトマーケット。
カジノで泊まるより、アランヤプラテートで泊まる方が楽しいです。

上倉さんと、ポイペトに行くには、車をチャーター。
その頃は、道がよくなり4時間で行くことができました。
今では、全線舗装しているので、2時間で行くことができます。

上倉さんとは、カジノで、夜通し日本の歌を歌いながら、横同士のスロット。
アランヤプラテートへ泊りに行ったり。
プノンペンの船上カジノへ行ったりと、
カンボジア生活をエンジョイしました。

仕事もしっかり、遊びもしっかり。
何かあると、納得するまで話し合いました。

私の職歴⑫ ~カンボジアでの転機~

日本人との出会い


カンボジアに来て1年。
シェムリアップ初の信号機が設置。
当日、私も見に行きましたが、その信号機に黒山の人だかり。
初めてのガソリンスタンド、カルテックスにスターマートがオープン。
日本のコンビニの様なもので、これで生活は激変しました。
チョコレートがいつでも食べれるようになり、
$1-のホットドックが食べれるようになりました。

ホテルもどんどん建設され、
ロイヤル・アンコールホテルがオープン。
そこに日本人がゼネラル・マネージャーとしてくるとの事。
オープンセレモニーでその日本人GMとご挨拶。

会社の斜め前に位置しているので、
レストランでは、毎回チャーハンか、焼きそばですが、
なかなか美味しく、昼食に一人で行くようになりました。

ある日、一人で食べていると、
その方が、「何をしてるんですか。食べるなら声をかけて下さいよ!」。
すぐに打ち解け、毎日、昼食をご一緒するようになりました。

上倉さん。
卒業後、タイのランドオペレーターに勤務。
その後、カンボジア・プノンペンのホテル、ロイヤル・プノンペンを経て、
ロイヤル・アンコールホテルのGMに。
私より、4歳年上で、海外勤務17年。

仕事抜きに、お会いするようになり、何でも話せる友人になりました。

転機


ある日、日本の本部長(のち社長)から直接連絡があり、
「ニック」は何者だ。と、唐突に聞かれました。
悪い噂が出ており、私がその店をガイドに強制して、売春斡旋し、
荒稼ぎし、独り占めしているということ。
「当社は、売春斡旋はしていない。するなら辞めてもらう。」
しれに対し、私はかなり怒って反論したことを覚えてます。

ガイドが、カンボジアスタッフに言い、それを日本へ苦情として報告。
その他、脅迫は相変わらず続いており、
それ以外にもトラブルは多々ありました。
まだ根に持ったスタッフ、元スタッフが動き回ってました。

すぐに辞めようと思いました。
クレームをなくし、(この頃クレームはほとんどなし)
お客さんに喜んでいただければ、ガイドの収入も増える道筋、
朝から、夜中まで、命を狙われながら、給料以外$1-も貰わず、
何をやっているのだろうと、情けなくなりました。
それに本社の日本人から言われたことが、決定的でした。

ベトナム社の日本人にとことんついて行こう。

その他にも、いろいろありましたが、今、楽になったのは、上倉さんの存在。
いろいろとお話しし、聞いていただきました。

ある日、上倉さんが、ホテルを辞めて、私の会社へ入ることはできないかとの相談。
オーナーとの絡みであまりうまくいってないとの事。
せっかく頑張ってGMまで上り詰めたのに、もったいない。考え直して下さい。

上倉さんが言うには、
上倉さんが、中の仕事を全て行い、
私が、外の仕事(お客さんのフォロー、オプショナルツアー)を行う。
オプショナルツアーの何パーセントを歩合にしましょう。
クレームを出すどころか、お客さんに満足していただき、
お客さんを増やしましょう。
そうすれば我々の給料も増えます。

二人でやるにあたって、絶対にトラブルがあります。
それは、徹底的に話し合いましょう。
どんな事でも話し合い、解決できます。

分かりました。
私も辞めようと思っていたので、上倉さんは1年と言ったのですが、
半年の約束でやることになりました。

三浦社長に相談。「OK!!」
他の人にはそんな対応とらなく、きついので有名です。
私が相談すると、いつも三浦社長は「OK!!」と言ってくれます。
本当にありがたく感謝しておりました。

上倉さんは、ホテルを退社し、
ホテルから私の家の真横の部屋に引っ越しました。

二人で頑張りましょう!!

シェムリアップ

私の職歴⑪ ~海外の日本人~ 

ベトナムに足は向けません。


私がカンボジアに来る前から、ベトナム駐在の日本人が出資し、
シェムリアップでカラオケ屋を立ち上げる計画をたててました。

経営者は、カナダ人のニック。
メンサのメンバーで、ベトナム・ホーチミンの有名バー、Apocalypse Nowで大成功し、
プノンペンでも、Heart of Darknessでも大成功。
その人が、シェムリアップに夜の社交場・大人のカラオケ店を立ち上げる。

※メンサ…人口上位2%の知能指数 (IQ) を有する者の交流を主たる目的とした非営利団体。

出資したベトナム駐在の日本人は、同業者のランドオペレーター。
その頃、日本人の訪越数は、カンボジアの約5倍。
1995年の関西ーホーチミン直行便就航により、ブームに火が付きました。

その中心なのが、同グループのベトナム社の社長。
ブームになる前から、これからはベトナムだと、合資で会社を立ち上げ、
日系の会社では取扱数、取扱数、断トツ№1。
その頃のベトナム社は、社員100人。
旅行以外にも、超有名レストランのオーナー、
誰もが手にするフリーペーパー、
その他にもいろいろビジネスを成功させている方です。
その方には、本当に面倒を見てもらい、お世話になりました。

私がシェムリアップに来て1日目。
その方も、シェムリアップに会い来ていただきました。
仕事のやり方、コツをアドバイスしていただきました。

最後にお願いしたいことがあると、
これから立ち上げるニックの店を応援していただけませんか。

シェムリアップ初日だったので、訳も分かりませんでした。

それからカンボジアではいろいろと衝突ありましたが、
いつもその方が私の味方をしていただき、支えていただきました。

日本でのマネージャー会議でも、(カンボジアは、三浦社長が出席)
例のベテランスタッフを解雇し、いろいろ揉めてた時の会議。

カンボジアでは命がけなのですよ。
ベトナムはナイフだが、カンボジアでは銃ですよ。
あなたはカンボジアでできますか。
人伝いに効きました。
日本(本社)には足を向けても、ベトナムには足を向けない。

今では、日本を含む全グループの会長。

その方とニックが昔からの友人で、
シェムリアップでのカラオケ店オープンになりました。
ニックはその方を「ラストサムライ」だと言ってます。
私より4歳上で、その頃34歳。
実際、凄い人です。

その方以外にも、ベトナムにいる日本人は、バイタリティがあり、
人間的に魅力がある人が多い。
今でもありがたく交友があります。

カンボジアに住む日本人は、3種類に分かれます。
・遊びの延長
・チャンスを求めて
・NGO関係

男性より、女性の方がはまる傾向があり、
カンボジアに来て、バイクタクシーの運転手と恋に落ちるのが圧倒的に多い。
そして、移り住み、子供が生まれる。
カンボジア男性の優しさがいいらしい。

大人の社交場 バイヨン・ムーン


ニックは、日本語ペラペラで、すぐに意気投合。
ニックの店の立ち上げも毎日のように行くようになり、
オープンに向け準備を手伝いました。

店名は何種類か候補がありましたが、最終的に「バイヨン・ムーン」に決定。
バイヨン遺跡:宇宙の中心
200以上ある遺跡で、最も有名なのが、アンコールワット。
次いで有名なのがバイヨンです。

ちなみに、私が一番好きな遺跡は、「東メボン」です。
ここは人が少なく、他の遺跡みたいに人で混み合うことはありません。
休みの日に、夕陽を見に行ったことがあります。
(1回のみですが)
私は、遺跡にはあまり興味がありません。

バイヨン・ムーンをオープン。
他社オペレーターにも営業にまわりました。
我社のお客さんは、バイヨンムーン指定。
コミッションも他店より増額。
強制することはできませんので、私個人からのお願い。

これには、空港張り付き営業もできません。
あくまでガイドに任せるしかありません。

9.11 アメリカ同時多発テロ


2011年9月11日の夜、仕事中、三浦社長からの電話。
「大変です!アメリカの大きなビルに飛行機が突っ込んだ!」
三浦社長は日本語堪能ですが、時々何を言っているのか分からなく、
突拍子もないことを言うこともあります。

バイヨンムーンにCNNを見に行こう。
テレビの前には、お店の女の子たち10名以上が、食い入るようにテレビを見てます。
ニュースを見ているのかと思ったら、
中国のふた昔前の三流ドラマ。
女の人が空を飛び、口から糸を吐いて人をぐるぐる巻きにしたり、
口から火を噴いたりと、なぜかいつもみんなそればかり見てました。

世界が大変なことになっていると、
チャンネルを変えたら、大ブーイング。
テレビには、ワールドトレードセンターに旅客機が2機も突っ込み、目を疑う光景。
映画の特撮でなく、本当の映像だとすれば、いや信じられない。

大ブーイングで、すぐにチャンネルを変えられました。
女の子たちは、世界が終わるかもしれない大事件よりも、
口から糸を吹く中国の三流ドラマに興味がありました。

一夜明け、グループ会社、各国から状況をレポート。
・タイ:首相が声明を発表。テロには断じて屈しない…
・ベトナム:市民は驚きを隠せず…
 ミャンマー、上海、インドネシアの状況
・カンボジア:いつもと何も変わらない暑い朝を迎えております。
電気が通ってないので、誰もテレビは持ってないので、誰も知りません。
会社の外を見ましたら、いつもの光景で、
裸の人がたくさん歩き、鼻くそをほじくっている人がいます。
あれだけ指を深く入れて痛くないのか心配です。

カンボジアだけ、レポートから外されてました。

アメリカ人を含めて、翌日からも、通常通りに何も影響はありませんでしたが、
日本人だけ、約3か月、キャンセルが相次ぎ、殆ど仕事がありませんでした。
キャンセルが多数あったのは日本人だけ。

私の職歴⑩ ~新たな挑戦~

日本の美徳は海外では通じない?


今まで、クレームばかりなので、まずは信用を付ける時。

その場限りでの儲けではなく、
一生懸命、お客さんに喜んでもらうように、頑張ったら、
そのお客さんが、めぐりめぐって、仕事が増え、収入も増える。

これは日本人の美徳で、外国では通じません。
日本人は、仕事が生きがいで喜び。
ありがたく、今日も働かせていただいているのに対し、
欧米の考えでは、聖書にも書いているように、仕事は罰。

やはりカンボジアでも、仕事は生きがいとする考えはなく、
仕事が生きがいで喜びではなく、生きる為の手段。

日本の考えを、押し付ける事はしたくありません。
しかし、お取り扱う全てが日本人。

ガイドがもらう賃金は、一日いくらと決まっているので、
それ以上、稼ぐには、現地でオプションを売り、土産屋に連れて行くしかありません。
会社を通さず、勝手にドバイバーと行くので、
行程が狂い、お客さんは、決めてきたコースではないと、
日本に帰ってからクレーム。旅行業法の旅程補償(ペナルティ)の対象。

カンボジアスタッフは、日本の会社、営業がどれだけ頑張って、
仕事をとってきているのかわかるはずもありません。
また世界はカンボジアだけではありません。

日本人はお金持ちだから、簡単に旅行を行ける。
そんなことはありません。
あなたたちより何倍も働いて、倹約もして、
カンボジアに行くことが、どれだけ楽しみにしているか。

観光客は、ガイドでその国の印象が決まります。
ガイドは、毎日同じことの繰り返しで、どうしても慣れてきます。
お客さんの殆どが、初カンボジア。
慣れてはいけません。
この仕事で大事なのが、一期一会。

私の月給も$1,000-。
カンボジアに居れば、高給取りの部類ですが、日本では、初任給以下。
何とかしなけれなりません。

頑張ったら、頑張った分、仕事が増え、収入も増える。
日本の美徳は、言い聞かせるのではなく、私が実践してみせるしかありません。

新たな挑戦


第一にお客さんに喜んでいただく。
その為には、目先のお金を求めない。
これは長期になりますが、この仕事を生業とするなら、必至です。

遺跡の案内で、歴史物語は3分以内。
40℃にもなる所で、長々と歴史の話を聞くのは遺跡マニア以外は苦痛。

日本人が知りたいのは、何を食べているのか。
どんな所に暮らし、どういう生活をして、何が贅沢なのか。
あなたの夢はなにか。生活、考え方、日本をどう見ているか。
ネタが尽きることはありません。

長期の目標だけでは、ついてこないので、
オプショナルツアーを会社が完全管理。
会社に利益を入れ、ガイドも今まで以上の利益がないと動きません。
尚且つ、お客様に喜んでいただく。

オプショナルツアーをいろいろ考え実行しました。

●土産屋と契約し、コミッションの完全管理。

●シクロで遺跡観光
シクロ:輪タク(自転車タクシーのベトナム語)で、それがカンボジアにも普及。
遺跡を風を切って、歩く目線で遺跡を周る。
どんなに素晴らしいだろう。

シェムリアップにはシクロの文化がなく、カンボジアの首都のプノンペンにしか居ません。
三浦社長に相談し「OK!!」と、いっていただきました。
3日後には、プノンペンからシクロマンが10人、
自身のシクロで3日かけてシェムリアップにきました。
給料は、半日を月給$15-+1回1$。
寝泊りは会社の敷地で自身のシクロ。

みんないい人ばかりで、三浦社長は、よく短時間に良い人ばかり10人も選び、
すぐにシェムリアップへ来たのには驚きました。

その間に観光省に遺跡にシクロ乗り入れ許可を申請。
同時に当社での独占許可も通りました。
日本へ新企画「アンコール遺跡をシクロでめぐる」を発信。
現地オプションでも販売。

●シクロナイトツアー
夜、その頃、どこにも行くところがないので、シクロナイトツアーを開始。
シンガポールのトライショー(輪タク)ツアーをパクりました。
シンガポールでは、インド人街、オカマ人街などを通り、
最後にニュートンサーカスでのかき氷。

それに対してシェムリアップでは、
電気がない、真っ暗闇の街を楽しみ、最後にシェムリアプ川沿いの
ラッキーカフェで、フルーツシェイク。

●足つぼマッサージ店オープン
当時、シェムリアップに1軒もなかった足つぼマッサージ。
今では、シェムリアップで数多くありますが、これが1号店です。

三浦社長に、会社の1階を足つぼマッサージにしたい。(会社は新社屋に引っ越し)
と、相談しましたら「OK!!」
プノンペンにマッサージ師いないでしょうかと、聞いたら、
3日後に中国人のマッサージ師がシェムリアップにやってきました。

プノンペンの台湾系マフィア経営の「ベンツサウナ」から、中国人を引き抜き。
その方を指導者として、マッサージ師を募集。
いつもながら、三浦社長の行動力には、本当に凄いの一言。

マッサージ師は、完全歩合制で、1回/$1-。
多数募集があり、8人を確保。
その日から1週間、中国人先生の特訓が始まりました。

中国では、足つぼマッサージは医療で、国家資格が必要。
その為の医療学校を卒業し、資格を持ってないとできません。
私も足つぼは好きでよく行きます。
棒で押したりする所も多いですが、先生は、許しません。
全て指押し。

先生が施術したら、おしっこが我慢できなくなります。
体の毒素が尿ででているとのこと。

施術中、ここが痛いのは、どこが悪い等の身振り手振りも説明も取得。
1週間の特訓で、指の皮が擦り剥けても、みんな頑張りました。

私は、バンコクへ買い出し。
店で音楽を流し、良い雰囲気にしようと、
CDプレイヤー。BGMのCD。足つぼステッカーを購入。
椅子は、籐の椅子をシェムリアップで購入。

いよいよオープン。
一番目に三浦社長に受けてもらいました。
施術する前に、ズボンを膝上までめくったら、両足のスネ、ふくらはぎに、無数の傷跡。
直径1cmの穴が40個ほどありかなり深い傷跡。
聞くと、ポルポト時代に、無我夢中で逃げた際、ジャングルで、
パチンコ地雷を踏みました。
踏んだら、パチンコ玉のような物が、無数に飛び散る爆弾。
命からがら、カンボジアを脱出し日本へたどり着きました。
その後、日本国籍を取得。

カンボジアのポルポト時代を知っている世代は、
みんながみんな、そういう経験があります。

平和な日本で生まれ暮らしていたら、平和があたりまえ。
今の日本は、歴史上経験したことがない平和で、豊かな国。
この平和で豊かなのは、日本も先人たちが命がけで勝ち取ったもの。

人に対しての礼節、思いやり、世の為、人の為。
世間様にご迷惑をかけないよう。

こんな素晴らしい国は、世界どこにもありません。

足つぼマッサージは、ガイドがお客さんに販売すれば、一人当たり/$5-のコミッション。
ガイドにとっては、良いビジネス。

空港に張り付いて、私がお客さんにご挨拶。
滞在時の注意事項と、オプショナルツアーのご案内。
足つぼマッサージは、なかなか反響がよく、そこそこ売れました。

ただ、シクロツアーは、想像より大変でした。

アンコール遺跡は、アンコールワットだけでなく、
その周辺には200以上の遺跡があります。

アンコールトムという遺跡の中心にバイヨン遺跡があります。
その周りに遺跡が点在し、小回りルート、大回りルートがあり、
シクロは、その小回りルートを周ります。

通常車では、2時間で周れますが、シクロの場合、4時間かかります。
それもシクロを遺跡に待機させ、バスで行き乗り換えます。
道が舗装されてないところも多く、事故の心配もあり、
ガイドだけでは心細い。

また、シクロナイトツアーは、シンガポールと違い、市内の道はデコボコ。
雨季には、水たまり、ぬかるみ。
何より、電灯が殆どないので、殆どが真っ暗闇。
安全に運行する為、バイクでの先導が必要です。

先導の見本を見せる為、私が同行しました。
シクロツアーは、夕食レストランからホテルまで約2時間。
さらに、足つぼマッサージをプラスすれば、
終わるのが0:00を過ぎることもあります。

ガイドは翌朝、アンコールワット・サンライズが、殆ど入っているので4:00起き。

私が、毎晩やるはめになりました。
朝から夜遅い時は、深夜1:00まで。
もし、コミッションが私に入ってきたら、喜んで何時まででもやりますが、
ガイドに入り、私には一切入ってきません。

道筋を作って見せる。お金は後からついてくる。
これを信じて、毎晩深夜まで休みなく働き続けました。

●夜の社交場・大人のカラオケ店
これは会社は一切ノータッチ。

これが大騒動の始りでした。

シェムリアプ
2014年 市内中心のオールドマーケット公衆便所の看板。