カンボジア・シェムリアップからタイ・バンコクへ

シェムリアップをあとに
シェムリアップで年末年始を過ごし、再び陸路でタイ・バンコクへ移動します。

事前にカンボジア側国境のポイペトまでバスチケットを購入。
@$15-。しっかりと一人1シートを確認しました。

今回のシェムリアップホテル「サムット ブティック ホテル」

滞在中、団体客は皆無でホテル内は静か。
ロケーションはそこそこですが、目の前に果物屋、コンビニがあります。
サウナ、プールがいつ行っても貸切状態。
何よりスタッフのホスピタリティ。どのスタッフと会ってもいつでも自然な笑顔。
朝食は料理の種類は少ないのですが、一品一品丁寧で美味しくいただきました。
コスパもよく満足のホテルです。

1/04 10:30 ホテルピックアップ。
ホテルスタッフにお見送りをしていただきました。

カンボジア原風景
1年前のポイペトホテル火災

人数が集まらずバスではなくバンで移動するとの事。
途中、一回休憩があり2時間半でポイペトに到着。
往路同様、徒歩で国境を反対向きに越えます。

国境のカンボジア側のポイペトでは、カジノホテルが数軒あり、利用客はほぼタイ人。

一年前の2023年12月28日未明
「グランドダイアモンドシティ・ホテルアンドカジノ」で火災発生。
ホテル連絡歩道を伝って、周辺ホテルにも燃え広がり、27人お亡くなりになりました。

原因はホテル厨房の調理用ガスボンベの爆発により、
瞬く間に17階まで延焼したと伝えられています。

一年経った今でも、火災現場の爪痕が残り、柵で覆われています。

国境を徒歩で越えてアランヤプラテートへ

カンボジアイミグレーションの立派な建物でスムーズに出国。
国境を越え、タイの入国では1時間ほど列に並びタイ入国。

国境からトゥクトゥクで約10分。
アランヤプラテート「ステーションワン ホテル」にチェックイン。
6日前も宿泊しており、ホテルスタッフは顏馴染み。

往路は18:00過ぎに暗くなってから到着。
疲れていたせいもあり、ホテル周辺の屋台のみでしたが、今回はホテル到着が14:00。
部屋で休憩をした後、アランヤプラテートの街を散策。

ホテルから徒歩10分にアランヤプラテート駅。
タイ国鉄でアランヤプラテート駅がバンコクへのイースタンラインの始発駅。

アランヤプラテート07:05発、14:00発の1日2本運行。所要5~6時間。
断然バスの方が早いとの事と、自由席で混みあうとの事で乗車したことはなく、
今回もバスでバンコクへ移動します。

駅のすぐ近くにナイトマーケットがあり、食料品だけでも50軒以上屋台があります。
街を散策したのですが、これといったレストランがないので、
屋台で買い込みホテルでいただきました。

見どころは一切なく、時間がゆったり流れます。
素朴な雰囲気で懐かしい日本の昭和を感じます。
そんなタイの田舎町アランヤプラテート大好きです。

カンボジア・シェムリアップの日本人

2024年 元旦
シェムリアップのホテルで、年始の挨拶を書いていたら、
テレビの緊急速報が騒がしく、大津波警報。
よほどの地震でないと大津波警報はでません。
能登半島地震の発生。

何も言葉が見つからず、結局、年始の挨拶はアップしていません。

お客さんが1/03発で金沢旅行を手配いただいており、
金沢の状況が分からなく、旅館に連絡。
温泉は使用できませんが、通常通り営業するとの事。
JRは1/02午後から運行再開しましたが、結局、お客さんはお取消しとなりました。

能登半島地震で被害を受けられた皆さまに対しまして、心よりお見舞い申し上げます。
一日も早く復興し、落ち着いたら能登旅行に、どんどん行っていただきたいです。

翌日1/02 テレビから離れられずNHKの地震関連を見ていたら、
羽田空港で飛行機が炎上している模様との一報。
海外から客観的にみて、日本いったいどうなっているんだ。

バインミー屋台
カンボジア・シェムリアップの日本人
1/02は川崎さんと夕食の約束。

川崎さんは、私がカンボジア滞在時に同業社で同じ年。
1年前に大阪でお会いした以来。

ランドオペレーター(現地旅行社)をカンボジア、ラオス、ベトナムに。
ホテル経営、お土産屋など。バリバリの実業家。

1995年にビジネスでの夢を達成すべくカンボジアへ。
当時のカンボジアは、今では想像もできないような暗黒街。
舗装されている道も殆どなく、電気もままならない。
まだまだ観光客は皆無に近い状況。

1997年 カンボジア内戦。
ロケット弾で目を覚ます日々。
日本へ出稼ぎして、カンボジアへ送金して会社を存続。

SARS、東日本大震災を乗り越え、その後、会社はますます繁栄してきましたが、
今回のコロナは、今までとは全く比べ物にならない程の大打撃。
現在もまだ影響が続いています。

それにしてもシェムリアップは激変して以前の面影は全くありません。
日本料理といえば、シンガポール人経営の「銀河」くらいしかありませんでした。

今では、吉野家、ケンタッキー・フライド・チキン、バーガーキング、
チェーンのピザ屋、スターバックス、セブンイレブン、日本料理は数えられない程。
何も不自由することはありません。

日本料理「侍」で待ち合わせ。
川崎さんとお会いすることができました。

もう一人来るとの事で、幸子さんが参戦。
幸子さんとは、私がカンボジア滞在時から親しくしていました。

仕事が休みの日曜日、その頃のシェムリアップは何もすることがありません。
日曜日にはシェムリアップ川沿いの「ラッキーカフェ」で読書をするべく、
コーヒーを飲みに行きます。
その頃、コーヒーが飲める所は「ラッキーカフェ」しかありませんでした。

日曜日にラッキーカフェに行ったら、必ずと言っていい程、
幸子さんに会い、同じく本を持ってきます。
一緒にコーヒーを飲みながら、いろんな話をしたことが思い出です。

当時、日本語教師からガイドをやっていました。
カンボジアではお土産がタイからの輸入品くらいしかなく、
何かお土産になるものがあったらいいねと。

一念発起し、
2004年 マダム サチコ ANGKOR COOKIES 創業。
年商3.5億円。カンボジア人従業員100名の雇用を生み出しました。

その後、会社を売却して、40ヘクタール・東京ドーム8個分の無農薬の農園。
Svay Chek Organic Farmを経営しています。

農薬は使わず、新鮮で安心な野菜で健康的な国に。
カンボジア発祥の世界初「マンゴーワイン」。

幸子さんとは、約10年ぶりの再会。
楽しい時間はあっという間に過ぎました。

一度しかない人生、一日一日を精一杯生きています。
とことん笑い、とことん泣き、とことん楽しみ、とことん悲しみ、
苦しみさえも楽しく乗り越えていきたい。

幸子さんと必ず再会したい。
神様は乗り越えれない壁は造りません。

カンボジアで乳がんになるvol.1 癌宣告を受けて
サムット ブティック ホテル

カンボジア・シェムリアップでの年越し

親友との再会
2023年 12/30-2024年 1/02 カンボジア・シェムリアップ 
サムット ブティック ホテル滞在。

今回の旅の目的は、上倉さんのお寺参り。
そして葬儀、お別れの会を発起していただいたLidaさんにお礼が言いたい。

到着日すぐにチャンヤさんがホテルに来て、お寺に案内していただきます。
チャンヤさんは、私がカンボジア滞在時から信頼し、尊敬するカンボジア人。

1976年生まれの今年47歳。
首都のプノンペン生まれで、ポルポト時代の幼少期、警察官の父親を亡くし、
母親一人で弟と育てられました。

ポルポト時代では、教師、公務員、外国人と一緒に仕事をしていたどころか、
外国人と話しをしていたといいうだけで。
そしてメガネをかけていただけで文化人とみなされ虐殺の対象でした。
その世代以上のカンボジア人は、それぞれに悲しい体験があり、人には言いません。

貧乏のどん底でシクロマン(自転車タクシー)で生計を立て、
街灯の灯りで英語、日本語の勉強し、ホテルのフロントを経て、日本語ガイドになりました。

初め会った時、印象なかったのですが、
ある日、私がバイク事故を起こし、頭を打って血だらけになり、
一番心配をしてくれたのがチャンヤ。それがきっかけでした。

「すぐ病院行きましょう」
「いや、この国の病院は行かない方が早く治る」
「それもそうです」

1ヵ月、口も開けれないほど、頭がガンガン痛かったのですが、
結局病院へは行かず、今でも左腕の跡が思い出です。
チャンヤとは、それ以来の付き合いです。

どんなつらい時も、いつも笑顔で彼が笑ったら私も笑います。
かなりの女性好き。タバコ、ビールが大好物。
冗談ばかり言いますが、達観しています。

私の職歴⑨ ~生涯の友~
到着日にすぐにホテルに来てくれました。
子供3人を連れて。

最後に来たのが10年前で、長男が生まれた時。
3人とも男の子で10歳、7歳、5歳。とにかく賑やかで走り回ります。
3人ともインターナショナルスクールに通い家でも英語で会話。

チャンヤの車でお茶を飲みにセブンイレブンへ。
シェムリアップにセブンイレブンがあるのには驚きました。
なんとスターバックス、ケンタッキーもあるのです!
コーヒーを持ち帰りチャンヤの家へ。

街の中心部、3階建ての豪邸です。
以前も来たことがあるのですが、その時は1階だけでしたが、その後増築。
3階ベランダからシェムリアップの街が一望。

奥さんは、オールドマーケットで土産屋を出店。
朝10時から夜22時まで店に出ずっぱりで、交互に子供を学校へ送り迎えをしています。

チャンヤは残念な事に子供に悪影響だと、タバコ、ビールを辞めました。

今ではそうでもありませんが、当時日本語ガイドは日本人の感覚ではプロ野球スター選手。
日本人感覚の何千万円の年俸。

その頃、シェムリアップは土地が安く、ガイドは土地を購入していました。
チャンヤも街の中心に土地を購入し家を建てました。
10年もたたないうちに、土地が何十倍に高騰し億万長者に。

私が最後にシェムリアップに来た10年前、
働かなくても十分なお金があるので、殆どのガイドが仕事を辞めていました。

その時、日本語ガイドだったサムウンさんが会いに来てくれました。
お腹がビール腹ではちきれそうに膨らんで、全身金を身に着け、
どうみても似合わない成金そのもの。
土地が高騰して凄いお金が入ってきて、日本語ガイドを辞め、
お金はあるけど、毎日何もすることがなく暇だと言っていました。

今回、サムウンの行方は誰も分かりませんでした。
カジノにはまり一文無しになり、知り合いに50ドル貸してと、言いまわっていたそうです。

お寺参り
上倉さんの葬儀、お別れの会が行われたお寺「ワット・プレアー・プロム・ロァト」へ。

街から郊外の寺だと思い込んでいましたが、
街の中心であるオールドマーケットすぐ近く、シェムリアップ川沿いにある寺院。
立派な寺院で、住職と会うことができて、その時の事をよく覚えていただいており、
お礼を言うことができました。

亡くなってから2年半。
遅くなりましたが、やっとお参りすることができました。

そして、葬儀、お別れの会を発起していただいたLidaさんにもお礼をいうことができました。

シェムリアップでの年越し
2023年12月31日 
シェムリアップでは、日中40℃近くある猛暑ですが、
ホテルの部屋は冷房が効き、快適に過ごします。
紅白歌合戦、ゆく年くる年を垂れ流ししながら、リゾートを満喫します。
カンボジアは日本より2時間遅く、日本では新年を迎えた後、街の中心へ出かけます。
パブストリート周辺では、人でごった返し。
年越しラーメンをいただき、カウントダウン。
素晴らしい新年を迎えました。

2024年皆様にとって、穏やかな一年でありますよう、お祈り申し上げます。

私の宝物 1枚の写真
2000年撮影 シクロナイトツアーで国王別荘庭園にて。

その頃、外灯がなく街全体が真っ暗で道はガタガタ。
バイクでシクロを先導をしていました。

この写真は私の母からカンボジアに送られてきました。

シクロに乗る女性。この方が私の伯母(母の姉)と親友で、
カンボジア旅行の土産話で、撮った写真を伯母に見せた所、
もしかしてと、私に気づき驚いて、伯母から私の母へ送り、
大分時間が経ってから、私に送られてきました。
青森に住む叔母は、私がカンボジアに住んでいることは知りませんでした。

それも数多くいるガイドの中で、偶然チャンヤと。

2000年 シクロナイトツアー 国王別荘庭園にて

タイ・カンボジア陸路の旅② ~国境越えてシェムリアップへ~

陸路で国境越え
タイ国境の街 アランヤプラテートに1泊してカンボジアへ。
ホテル朝7時に出発。

ホテルからトゥクトゥクで約10分。100バーツ。
以前は50バーツだったのが2倍に跳ね上がり。

国境に到着し、まずはタイを出国。
出国審査は待ち時間もなくあっという間。

そこでタクシーの客引き。
カンボジア側のポイペトからシェムリアップまでセダンチャーターで1台$50。

これでもよかったのですが、今は定期運行のバスが10:30発で一人$10で出ているとネット情報。
そのために早起きをしたのでバスで行くことにして、客引きはお断りしました。

タイとカンボジアの国境は小さな川が流れ、約200mの橋を渡ります。
以前はこの200mが200年の違いを感じ、タイムマシーンに乗った気分に。

タイ側は心地よい風が吹き、コンビニがあり、みんな服を着ています。
橋を渡りカンボジア側に入った途端、川にゴミが散乱。
物乞い、荷物運び屋、裸率が急上昇。
心地良い風が砂埃に変わります。

200mの違いでこれだけ差があるのかと驚愕しました。
国が違うとはこういうことなのかと、国力の差を目の当たりにしました。
決して大げさでなく200mが200年の差を感じました。

川の橋を越え、カンボジア側に。
カンボジアの入国は立派な綺麗な建物に変わっています。
建物の入国審査では、扇風機もなく無風の所を何時間も並びましたが、なんとエアコンが!

ここでカンボジアビザを取り入国審査ですが、
殆どの方はインターネットでビザをとっているのか、ここでのビザ申請は殆どいません。
私はここでビザを取ります。

入国審査の前の窓口には、いかにも怪しい出入国係官が獲物を物色しています。
看板には観光ビザ(シングル):$30と書かれているのに、
「1,200バーツだ」と言ってきます。
為替レードの差額でお小遣いにしようとしています。

バーツはないので、米ドルで払うというと、こそっと持参のメモ用紙に$33-と記入。
「なんで$30と看板があるのに、なんで$33-!?」
わざと入国審査待ちの人に聞こえるように大声で言いました。
すると、お前に要はない。さっさとあっちに行け!と、
さっさとビザのシールを貼り、追い払われました。

役人の不正はまだまだ健在で、ホッと安心しました。
さすがに入国係官が警察バッジを売らなかったのですが。

以前は本物のカンボジア警察バッジを$10で売っていました。
安いのでお土産に購入してもよいと思っていたのですが。
以前、ガイドにそのことを言うと、
「絶対に買わないでください!」と、役人の不正を暴く真っ当な意見。
見直したのですが、「市場に行ったら$1で買えます」。

国境地帯は免税になっているのか、タバコ1カートン160バーツ(約650円)で買えます。
1箱(20本)65円という激安価格。
「テキサス5」という銘柄で赤、白、メンソールの3種類。
3種類吸いましたが、赤、白は全く同じ味ですが、これがなかなか美味しいのです。

私はカンボジア滞在時、「ARA」を吸っていました。
こちらも赤、金の2種類パッケージがありましたが、全く同じ味。
当時1箱(20本)25円。今回、残念ながら生産終了でありませんでした。

カンボジア人はめっきりタバコ人口は減っています。
以前はお金持ちは1箱単位で買いますが、庶民は1本づつ買っていました。

そして大麻も街中で普通に販売されており、主に労働者が吸っていました。
あと風邪気味の時、スープに調味料として入れ体を温める効果があるとの事です。
それも昔の話で、今はタバコ1本づつ販売も大麻も見なくなりました。

無事にビザを取得し、カンボジア入国審査に並びます。
約1時間列に並びましたが、以前のような蒸し風呂の中で待つといったこともなく、
建物はエアコンが効いて快適。

並んでいる時、さっきのタクシー呼び込みが建物内に入ってきて、
ずっとこちらを見て、手を振ります。
ごめんなさい、要りませんと合図。

彼はタイ・カンボジアの入出国関係なしに国境を出入りしています。
なんと自由な男なんだ!

カンボジアの入国スタンプが押され、無事入国。
すぐにそのタクシー呼び込みが寄ってきて、
他に乗客が見つかったから、すぐに出発するぞ!と、強引にその流れでタクシーを乗ることに。

国境のカンボジア側は全く違う国になっていました。
ゴミだらけで、道も舗装をしていないので埃っぽく、お金をせがまれしたが、
今回、裸の人はどこにも居なく、道も綺麗に舗装され、
カフェ・アマゾン(タイのコーヒーチェーン店)も。
それも1軒ではなく数か所。

以前はコーヒーなんか誰も飲まなく、カジノ以外では食べれるレベルのレストランも1軒もありませんでした。
ポイペトの変わりように驚きました。
タイ側より発展しているかもしれません。

タクシーの詳細を聞くと、二人で$30。ホテルまで送る。との事。
車も日本製の綺麗な車。
これならバスより快適で、断然こちらの方が良い。

呼び込みはそこでお別れ。運転手にバトンタッチ。
丁重にお礼を言い、ありがとうの握手。
カンボジアも変わったものだと感動していました。

5分走ったら車を停め、空いている座席にもう一人が乗車。これで満席。
10分走ったところで、再び停車。
まさか!

ここでさらに二人乗り込み。
乗用車に前方3名。後部に4名。
これがカンボジアの定員なのです。

すっかり違う国になっていたので、確認しなかった。
そこで文句を言ってもしょうがないので諦め、
2時間半ギュウギュウ状態でシェムリアップへ向かいました。
それでも以前のピックアップと比べたら天国。

途中、ドライバー、乗客も、私の泊まるホテルを知らなく、
「降りろ」、「ホテルまで行く約束だ」とひと悶着ありましたが、
無事にホテルに到着。

シェムリアップホテル サムット ブティック ホテル

サムット ブティック ホテル Sakmut Boutique Hotel 
建築年:2017年 客室数:56室
デラックス ツインルーム(36㎡)
6号線から100m入った所に位置し、街の中心のオールドマーケットまでトゥクトゥクで約10分。
まずまずのロケーション。こちらで5泊します。

小規模なリゾートで、団体客などは皆無。
スタッフはみんな笑顔。ロビーでは心地良い風が流れ、ウェルカムドリンク。

コロナ前にオープンして、すぐに休業をしていたのでまだまだ新しく、
全体的に綺麗にしているリゾートです。

ホテルにもよると思いますが、シェムリアップのホテルスタッフは、ホスピタリティレベルが高い。
今まで泊まったホテルで、スタッフのホスピタリティが最高だったのが、
数年前に泊まったシェムリアップ「シンタマニ」。
ここのスタッフは、つかず離れず、自然な対応で、
よくここまでトレーニング積んでいると感動したことがあります。

今回のホテルは、「シンタマニ」と比べると洗練さは劣りますが、
自然な対応で心地よい滞在になりました。

旅の良し悪しはホテルで決まります。
国際基準5つ星ホテルに泊まれば外れはありませんが、それだけ高額になります。
今回のホテルはローカル5つ星で、値段もかなりお手頃設定。

私の旅のルーティン。
朝、日の出とともに起きて朝食へ。
レストランも雰囲気が良く、テラス席かレストラン屋内でいただきます。
種類は少ないのですが、一品一品丁寧で美味しくいただきました。

朝食後、休憩してジョギング。
できれば近くに公園があれば言うことなしですが、シェムリアップはそんな公園はなく、
ホテルのジムか、シェムリアップの街をジョギング。

アジア中級ホテルあるあるで、ジムのランニングマシーンは点検していなく、
ローラーが滑り転びそうになり、走れたものではありません。
街をジョギングした方が楽しい。

シェムリアップは年間を通して、この年末年始が一番涼しい時期。
ただ日中は暑くて、ほぼ歩いている人は見かけません。
40℃近い猛暑の中を毎日ジョギング。

ホテル選びで外せないのは、宿泊者無料サウナ。
このホテルには、ドライサウナ、ミストサウナが各2づつあり、
スパ施術がいなかったら、好きな方を自由に利用できます。
ジャグジーもあり、6日間いつ行っても誰もいなく貸切状態。

この日の為にとっておきの本をサウナで読書をして、プールにドボン後、デッキチェアで整う。
至福の時です。
日中はみなさん遺跡に行っているのかプールも貸切状態。

そうこうしているうちにお昼過ぎになります。

小腹がすくので、ホテル前の果物屋でマンゴを切ってもらい、部屋のベランダでいただきます。
この時期はマンゴは、熟れていて甘くて美味しい。
1kg=$2-。日本では考えらない値段。
1kgを二人でお腹いっぱいになります。
ベランダは日影が少なく、暑くて10分も居れません。

冷房が効いている快適な部屋で休憩・昼寝。
その後、夕食へ行きます。

客室はセンスのよいデザインでゆったりリゾートを満喫できます。
テレビも200チャンネル以上あり、日本のテレビは、NHKプレミアム(日本語)、日本テレビが視聴。

センスの良いバスタブがありますが、お湯は5分しか出なく、ぬる風呂になりますが、
常夏の国なので問題ありません。

客層は40~50代の欧米人が殆どで皆さんマナーがよいので静かです。
大晦日、元旦はプノンペンからのカンボジア人家族が多くこの日だけ賑やかでした。

ただひとつ欠点なのが、机がない事。
ベランダでもコンセントがあり、机で座ってパソコンができるのですが、
暑くて10分も居れなく、それより暑さでパソコンが爆発しそうに。
ベッドの上で寝転んで仕事をしていました。

シェムリアップのこのホテルで5泊しましたが、
結局アンコール遺跡には一回も行きませんでした。

静かでコスパの良いリゾートで旅のルーティンを満喫することができました。
これが私の旅の楽しみなで、これをする為に日頃頑張れます。

タイ・カンボジア陸路の旅① ~マカオ経由でバンコクへ~

私の青春 カンボジア陸路旅
2021年5月 コロナ騒ぎ真っ只中。
カンボジアの友人 チャンヤさんから1枚の写真が送られてきました。

写真だけで何もコメントはなく、葬儀のようで遺影が誰だか分かりません。
まさかと思い確認したら、上倉さん。
今でも信じられません。

遺骨は日本大使館が管理し、日本のご親族に受け渡されたとの事。

日本のご親族の連絡先が分からなく、せめて葬儀が行われた寺へ手を合わせに。
そして葬儀、お別れの会を発起していただいたLidaさんにお礼が言いたい。

私の職歴㉖ ~恩人~

今から約24年前、私がカンボジア滞在時の一番の楽しみがタイに行くこと。
その頃のカンボジア・シェムリアップは何もなく、
チョコレートが食べたくてもどこにも売っていない。
カンボジアのローカル食堂では、伝統調味料のハエが料理の中に大量に入り食欲減退。
1か月で10kg痩せたほど。

バンコクもしくは、タイ側国境アランヤプラテートへは2-3ヵ月に1回行っていました。
シェムリアップ~バンコク・ドンムアン空港へは飛行機で1時間。
それだと値段も高額になるし、旅本来の楽しみが分からない。
陸路なら旅の醍醐味が味わえる。

当初、シェムリアップからタイの国境ポイペトまで、
ピックアップトラックで舗装なし悪路での約8時間。

ピックアップトラックの定員は、もうこれ以上乗れない限界からさらに詰め込む。
運転席列には4人。股にギアを跨ぎ、
通常物置の後部座席は人が乗らない造りでずが、無理やり5人詰め込みます。
荷台には豚、鶏、人、荷物をこれ以上載せれない所からさらに上積み。
1mmも隙間がなくなればやっと出発。

途中に食堂、ガソリンスタンドはもちろん、トイレという概念がないので地雷に気を付けてその辺で。
必ず数か所タイヤが泥にハマり、全員で押さないとならない。
ポイペトに着いた頃には泥だらけ。
ズボンのポケットに物を入れたら最後。足が血まみれに。
ボックスタバコを入れていたら、箱の突起部分が足に擦れ、
ビッチビチで足はもちろん、手も1cmも動かせない為、ポケットの箱を動かすことができない。

カンボジアを思い出すたびに、過酷な悪路旅が脳裏に浮かびます。

それも年々整備され、ポイペトのカジノでは新たなホテル。
道路も広く整備、バスも運行され、今では2時間半で快適行けるようになりました。

この陸路旅は私の青春そのもの。
何十年ぶりかに陸路旅へ。

私の職歴⑬ ~エンジョイ カンボジア!~
関西空港からマカオ経由でバンコクへ
2023年12/28 関西空港からマカオ経由でバンコク・ドンムアン空港へ。

航空会社は、NX マカオ航空 かなり格安に夏前に発券していました。
航空券はエコノミーでもクラスがあり細分化され、需要と供給でクラスを販売されます。
大体330日前の発売し、初めはそこそこ高いクラスで販売し、
状況に応じて最安のクラスを販売するのですが、今回は最安のRクラス。
諸費用合わせて¥50,000-切ります。

マカオ航空はLCCではなく、フルサービスキャリア。受託荷物25kg。
バンコクはスワンナプーム空港、ドンムアン空港どちらも運行しており、
久しぶりにドンムアン空港を選択。
ドンムアン空港⇒モーチットバスターミナル⇒アランヤプラテートへの陸路ルート。

<スケジュール>
12/28 NX855 関西13:45/マカオ16:55(所要:4.10)
12/28 NX936 マカオ19:40/バンコク21:50(所要:3.10)
1/10 NX935 バンコク22:45/マカオ02:30+1(所要:2.45)
1/11 NX856 マカオ08:15/関西12:45(所要:3.30)

安さにつられてすぐに発券しましたが、
往路の乗り継ぎは2時間45分で理想的ですが、
復路が深夜着の5時間45分の乗り継ぎ。

私自身マカオ空港は初めてで、お客さんの話では何もない小さな空港とよく聞いていました。
深夜は店は全部閉まっているし、マカオに入国してもカジノしかなく、中途半端な時間。
その時の気分で動きます。

マカオ航空は前日の出発国14:00にオンラインチェックインがオープン。
通路側をリクエストすることができました。

関西空港は活気が戻り、カウンター、セキュリティーに長蛇の列。
3時間前までにはカウンターに着きたい。

かなりのフライトが戻ってきていますが、関西空港は殆どがアジア線。
主に中国線が目立ちます。
モニターでロング線はフィンランド航空のみ。
アジア人が圧倒的に多く、日本人、欧米人が少ない。

関西空港はつい先日、制限エリアを大改装。
今までとは全く違い、ゲートを繋ぐモノレール移動の所に、
免税店、土産店、レストランなどの店舗が並びます。
両替の都市銀行なども撤退。出国審査後すぐのKIX CURREMCY EXCHANGE一か所のみ。

3時間前には空港に到着してましたが、チェックイン、セキュリティーに時間がかかり、
バタバタ状態でコーヒーを飲む時間もなくすぐに搭乗。

今回マカオまで4時間余りの近距離なので、問題ありませんが、
ロングフライトの場合、搭乗前にゆっくり一服したい。

あっという間にマカオ空港に到着。
乗り継ぎのセキュリティを通りゲートへ。

中国の空港ではセキュリティでライターを取られますが、今回は運よく取られませんでした。

何もない小さな空港と聞いていましたが、
免税店、レストラン、ラウンジもあり困ることがありません。
ただ19:00には閉店します。朝は早い免税店で7:00位に開店。
喫煙所も2か所あります。

マカオからバンコクまで3時間のフライト。
あっという間にバンコク・ドンムアン空港に到着。

着いた途端、バンコクの熱風。
年末年始はバンコクは最も涼しい時期ですが、30℃近くあるような熱気。

スワンナプーム空港は洗練された巨大な国際空港という感がありますが、
ドンムアン空港は、民家も近いせいかタイの活気が味わえます。

ターミナルを出たところで熱風と排気ガスでの一服。
ドンムアン空港の方がタイに来た!という感じになります。

タクシーでモーチット寄りのホテルへ約15分。
Livotel Hotel Kaset Nawamin Bangkok
23:00頃に到着しチェックイン。

ホテルの周りには、同クラスのホテルが数軒並び、
コンビニ、カフェ、屋台、コインランドリーも。
小腹がすいたので、屋台で軽く汁なしそばをいただきました。

翌朝、周辺を散策。
バンコク中心部から30分の距離ですが、懐かしいタイがあり、
たくさん食堂があり朝食がいただけます。

ホテルを8:30にチェックアウトして、タクシーで北バスターミナル(モーチット)へ。
タイ最大級のバスターミナルで、タイ全土へ運行してます。

タクシーの運転手に「ミニバスの方がいいんじゃない」と2-3回言われました。
しっかりと時間が決められているバスの方がよかったので、
北バスターミナルまでお願いしました。

北バスターミナルのアランヤプラテート行カウンターへ。
すると「今日は満席」。
こんな言われたのは初めての事で、どうやら今の主流はミニバスということが分かりました。

ミニバスのターミナルは道を挟み向かいになりますが、
片側3車線大きな道で横断歩道がありません。
歩道橋の急な階段をスーツケース25kg×2個を同時に運びます。

踊り場がない休憩することができない、階段を上らなければなりません。
血管が破裂しそうになり、途中力が入らなくなり、落としそうになりました。
登り切ったところで、一つづつ運んだら楽なのに気づき、
下りは1つづつ運び事なきを得ました。

年末年始帰省の影響かミニバスもかなりの人で、座って待つスペースもありません。
09:30にミニバスカウンターへ。
アランヤプラテート行は12:30しかなく、3時間も待たないといけない。
チケットを購入し、待つこと以外に選択なし。これが陸路の旅。

タイでのこの活気はバス乗り場でしか味わえません。
以前は北バスターミナルから幾度となくカンボジアに帰っていました。

ケンタッキーがあって、そこでコーネルバーガー(薄い形成肉ンバーガー)を15個ほど買って帰ります。
そのうち5個は土産で日本人に渡し、10個はその日の夕食、翌日の昼食と分けて食べるのが楽しみ。

翌日、昼休みに家にコーネルバーガーを楽しみに帰ったら、
200匹以上の蟻がコーネルバーガーに群がっているのです。
はらって全て頂きました。

シェムリアップには当時チョコレートもないレベルでしたので、
コーネルバーガーは夢に出てくるご馳走です。

12:30発ですが発車場にバスが来る気配がありません。
結局13:20にバス来て、13:30出発。
27人乗りのトヨタ・コースター。
後部座席は後部タイヤ部分が盛り上がっていて、ずっと足を曲げないといけないので避けたい。
タイの国境の街、アランヤプラテートへ約5時間。

バンコクの混雑を抜け、バスはひたすら東へ向かいます。
風景は何も変化のないタイの田舎町を走り、途中1回の休憩。
だんだんと様相も変わり、田園風景、椰子の木、夕陽。
こういう光景は陸路移動ならでは。

18:30、アランヤプラテート到着。
以前は街の中心であるアランヤプラテート駅近くに到着でしたが、国境が到着地。
今では国境の方が賑わっています。
事前に乗務員に言ったら駅近くに降ろしていただけます。

国境からトゥクトゥク約10分でホテルへ移動。
Station ONE Hotel
街の中心でバスもこちらのホテル前が到着地でした。
24年前に旧マーメードホテルがオープンした時に何回か宿泊したことがあります。

客室数:138室の立派な造りのホテルですが、
今では寂れた感があり、客室も2階の数ルームしか販売しておらず、
エレベーターも稼働していません。

1泊600バーツ(約2,600円)安い!これぞ中級ホテル。
こういう寂れた街の寂れたホテル。落ち着いた雰囲気が大好きなのです。

周辺にはコンビニ、夜には屋台が並び、徒歩5分にナイトマーケットがあります。

屋台でクイッティオ(米麺)、パッタイをいただきました。
明日は朝にカンボジアへ国境超え。
早めに就寝します。