サムット ブティック ホテル滞在。
今回の旅の目的は、上倉さんのお寺参り。
そして葬儀、お別れの会を発起していただいたLidaさんにお礼が言いたい。
到着日すぐにチャンヤさんがホテルに来て、お寺に案内していただきます。
チャンヤさんは、私がカンボジア滞在時から信頼し、尊敬するカンボジア人。
1976年生まれの今年47歳。
首都のプノンペン生まれで、ポルポト時代の幼少期、警察官の父親を亡くし、
母親一人で弟と育てられました。
ポルポト時代では、教師、公務員、外国人と一緒に仕事をしていたどころか、
外国人と話しをしていたといいうだけで。
そしてメガネをかけていただけで文化人とみなされ虐殺の対象でした。
その世代以上のカンボジア人は、それぞれに悲しい体験があり、人には言いません。
貧乏のどん底でシクロマン(自転車タクシー)で生計を立て、
街灯の灯りで英語、日本語の勉強し、ホテルのフロントを経て、日本語ガイドになりました。
初め会った時、印象なかったのですが、
ある日、私がバイク事故を起こし、頭を打って血だらけになり、
一番心配をしてくれたのがチャンヤ。それがきっかけでした。
「すぐ病院行きましょう」
「いや、この国の病院は行かない方が早く治る」
「それもそうです」
1ヵ月、口も開けれないほど、頭がガンガン痛かったのですが、
結局病院へは行かず、今でも左腕の跡が思い出です。
チャンヤとは、それ以来の付き合いです。
どんなつらい時も、いつも笑顔で彼が笑ったら私も笑います。
かなりの女性好き。タバコ、ビールが大好物。
冗談ばかり言いますが、達観しています。
子供3人を連れて。
最後に来たのが10年前で、長男が生まれた時。
3人とも男の子で10歳、7歳、5歳。とにかく賑やかで走り回ります。
3人ともインターナショナルスクールに通い家でも英語で会話。
チャンヤの車でお茶を飲みにセブンイレブンへ。
シェムリアップにセブンイレブンがあるのには驚きました。
なんとスターバックス、ケンタッキーもあるのです!
コーヒーを持ち帰りチャンヤの家へ。
以前も来たことがあるのですが、その時は1階だけでしたが、その後増築。
3階ベランダからシェムリアップの街が一望。
奥さんは、オールドマーケットで土産屋を出店。
朝10時から夜22時まで店に出ずっぱりで、交互に子供を学校へ送り迎えをしています。
チャンヤは残念な事に子供に悪影響だと、タバコ、ビールを辞めました。
今ではそうでもありませんが、当時日本語ガイドは日本人の感覚ではプロ野球スター選手。日本人感覚の何千万円の年俸。
その頃、シェムリアップは土地が安く、ガイドは土地を購入していました。
チャンヤも街の中心に土地を購入し家を建てました。
10年もたたないうちに、土地が何十倍に高騰し億万長者に。
私が最後にシェムリアップに来た10年前、
働かなくても十分なお金があるので、殆どのガイドが仕事を辞めていました。
その時、日本語ガイドだったサムウンさんが会いに来てくれました。
お腹がビール腹ではちきれそうに膨らんで、全身金を身に着け、
どうみても似合わない成金そのもの。
土地が高騰して凄いお金が入ってきて、日本語ガイドを辞め、
お金はあるけど、毎日何もすることがなく暇だと言っていました。
今回、サムウンの行方は誰も分かりませんでした。
カジノにはまり一文無しになり、知り合いに50ドル貸してと、言いまわっていたそうです。
街から郊外の寺だと思い込んでいましたが、
街の中心であるオールドマーケットすぐ近く、シェムリアップ川沿いにある寺院。
立派な寺院で、住職と会うことができて、その時の事をよく覚えていただいており、
お礼を言うことができました。
亡くなってから2年半。
遅くなりましたが、やっとお参りすることができました。
そして、葬儀、お別れの会を発起していただいたLidaさんにもお礼をいうことができました。
シェムリアップでは、日中40℃近くある猛暑ですが、
ホテルの部屋は冷房が効き、快適に過ごします。
紅白歌合戦、ゆく年くる年を垂れ流ししながら、リゾートを満喫します。
カンボジアは日本より2時間遅く、日本では新年を迎えた後、街の中心へ出かけます。
パブストリート周辺では、人でごった返し。
年越しラーメンをいただき、カウントダウン。
素晴らしい新年を迎えました。
2024年皆様にとって、穏やかな一年でありますよう、お祈り申し上げます。
私の宝物 1枚の写真
2000年撮影 シクロナイトツアーで国王別荘庭園にて。
その頃、外灯がなく街全体が真っ暗で道はガタガタ。
バイクでシクロを先導をしていました。
この写真は私の母からカンボジアに送られてきました。
シクロに乗る女性。この方が私の伯母(母の姉)と親友で、
カンボジア旅行の土産話で、撮った写真を伯母に見せた所、
もしかしてと、私に気づき驚いて、伯母から私の母へ送り、
大分時間が経ってから、私に送られてきました。
青森に住む叔母は、私がカンボジアに住んでいることは知りませんでした。
それも数多くいるガイドの中で、偶然チャンヤと。