カンボジア・シェムリアップでの年越し

親友との再会
2023年 12/30-2024年 1/02 カンボジア・シェムリアップ 
サムット ブティック ホテル滞在。

今回の旅の目的は、上倉さんのお寺参り。
そして葬儀、お別れの会を発起していただいたLidaさんにお礼が言いたい。

到着日すぐにチャンヤさんがホテルに来て、お寺に案内していただきます。
チャンヤさんは、私がカンボジア滞在時から信頼し、尊敬するカンボジア人。

1976年生まれの今年47歳。
首都のプノンペン生まれで、ポルポト時代の幼少期、警察官の父親を亡くし、
母親一人で弟と育てられました。

ポルポト時代では、教師、公務員、外国人と一緒に仕事をしていたどころか、
外国人と話しをしていたといいうだけで。
そしてメガネをかけていただけで文化人とみなされ虐殺の対象でした。
その世代以上のカンボジア人は、それぞれに悲しい体験があり、人には言いません。

貧乏のどん底でシクロマン(自転車タクシー)で生計を立て、
街灯の灯りで英語、日本語の勉強し、ホテルのフロントを経て、日本語ガイドになりました。

初め会った時、印象なかったのですが、
ある日、私がバイク事故を起こし、頭を打って血だらけになり、
一番心配をしてくれたのがチャンヤ。それがきっかけでした。

「すぐ病院行きましょう」
「いや、この国の病院は行かない方が早く治る」
「それもそうです」

1ヵ月、口も開けれないほど、頭がガンガン痛かったのですが、
結局病院へは行かず、今でも左腕の跡が思い出です。
チャンヤとは、それ以来の付き合いです。

どんなつらい時も、いつも笑顔で彼が笑ったら私も笑います。
かなりの女性好き。タバコ、ビールが大好物。
冗談ばかり言いますが、達観しています。

私の職歴⑨ ~生涯の友~
到着日にすぐにホテルに来てくれました。
子供3人を連れて。

最後に来たのが10年前で、長男が生まれた時。
3人とも男の子で10歳、7歳、5歳。とにかく賑やかで走り回ります。
3人ともインターナショナルスクールに通い家でも英語で会話。

チャンヤの車でお茶を飲みにセブンイレブンへ。
シェムリアップにセブンイレブンがあるのには驚きました。
なんとスターバックス、ケンタッキーもあるのです!
コーヒーを持ち帰りチャンヤの家へ。

街の中心部、3階建ての豪邸です。
以前も来たことがあるのですが、その時は1階だけでしたが、その後増築。
3階ベランダからシェムリアップの街が一望。

奥さんは、オールドマーケットで土産屋を出店。
朝10時から夜22時まで店に出ずっぱりで、交互に子供を学校へ送り迎えをしています。

チャンヤは残念な事に子供に悪影響だと、タバコ、ビールを辞めました。

今ではそうでもありませんが、当時日本語ガイドは日本人の感覚ではプロ野球スター選手。
日本人感覚の何千万円の年俸。

その頃、シェムリアップは土地が安く、ガイドは土地を購入していました。
チャンヤも街の中心に土地を購入し家を建てました。
10年もたたないうちに、土地が何十倍に高騰し億万長者に。

私が最後にシェムリアップに来た10年前、
働かなくても十分なお金があるので、殆どのガイドが仕事を辞めていました。

その時、日本語ガイドだったサムウンさんが会いに来てくれました。
お腹がビール腹ではちきれそうに膨らんで、全身金を身に着け、
どうみても似合わない成金そのもの。
土地が高騰して凄いお金が入ってきて、日本語ガイドを辞め、
お金はあるけど、毎日何もすることがなく暇だと言っていました。

今回、サムウンの行方は誰も分かりませんでした。
カジノにはまり一文無しになり、知り合いに50ドル貸してと、言いまわっていたそうです。

お寺参り
上倉さんの葬儀、お別れの会が行われたお寺「ワット・プレアー・プロム・ロァト」へ。

街から郊外の寺だと思い込んでいましたが、
街の中心であるオールドマーケットすぐ近く、シェムリアップ川沿いにある寺院。
立派な寺院で、住職と会うことができて、その時の事をよく覚えていただいており、
お礼を言うことができました。

亡くなってから2年半。
遅くなりましたが、やっとお参りすることができました。

そして、葬儀、お別れの会を発起していただいたLidaさんにもお礼をいうことができました。

シェムリアップでの年越し
2023年12月31日 
シェムリアップでは、日中40℃近くある猛暑ですが、
ホテルの部屋は冷房が効き、快適に過ごします。
紅白歌合戦、ゆく年くる年を垂れ流ししながら、リゾートを満喫します。
カンボジアは日本より2時間遅く、日本では新年を迎えた後、街の中心へ出かけます。
パブストリート周辺では、人でごった返し。
年越しラーメンをいただき、カウントダウン。
素晴らしい新年を迎えました。

2024年皆様にとって、穏やかな一年でありますよう、お祈り申し上げます。

私の宝物 1枚の写真
2000年撮影 シクロナイトツアーで国王別荘庭園にて。

その頃、外灯がなく街全体が真っ暗で道はガタガタ。
バイクでシクロを先導をしていました。

この写真は私の母からカンボジアに送られてきました。

シクロに乗る女性。この方が私の伯母(母の姉)と親友で、
カンボジア旅行の土産話で、撮った写真を伯母に見せた所、
もしかしてと、私に気づき驚いて、伯母から私の母へ送り、
大分時間が経ってから、私に送られてきました。
青森に住む叔母は、私がカンボジアに住んでいることは知りませんでした。

それも数多くいるガイドの中で、偶然チャンヤと。

2000年 シクロナイトツアー 国王別荘庭園にて

パタヤ カウントダウン2022 2万発の花火!

■ 2021年を振り返り ■
コロナ禍から2年が経ちます。
今年もコロナから始まってコロナで終わりました。
今年の漢字は、2020年、2021年も「煽」か「疑」だと思っていました。

今でも2年前と全く同じ事をやっており、
煽って利益を受けている方々、もうこのくらいで十分です。

Gotoトラベル。行きたい人は行きます。
未だにエボラ並みの2類。補助金をもらっておきながら空床で医療崩壊。

それも2021年で終わりです。
2年間の膿を芯まで出し切り、線引きするためにどうしても海外に出たかった。

■ 前回のパタヤでの年越し ■

パタヤ到着後、1泊の待機が終わり、ホテルを移動。

朝6時に起床。朝食。
ホテルのジムでジョギング。
サウナで読書、プールにドボンを繰り返し。
仕事をしてから昼寝。
散策しながら早めの夕食。

滞在中、毎日これを繰り返し。
私にとってこの1日のルーティーンが至福の時です。

結局、パタヤでの7泊、海にも一回も入らず、バイクを借りずにどこも行きませんでした。
唯一行ったのが、パタヤ カウントダウン2022です。

2003年の大晦日パタヤに何も知らないで来たことがあります。
多数の人の流れについていったら、バリハイ埠頭へ。

無数のコムローイ(ランタン)が空を舞い、
カウントダウンが始まり、目の前で盛大な花火。
上からはハングライダーが飛び交い、
真下の海には何十台ものジェットスキーが新年を祝う。
あまりの迫力に鳥肌立ちっぱなしでした。

あまりに素晴らしく、母親に一回見せたいと、翌年母親を招待しました。

2004年12月26日 スマトラ島沖地震発生。
津波によりタイ全土で5,395人亡くなり、2,932人行方不明。
既にタイに入っており、そのニュースをホアヒンで知りました。
既にホテルを予約していたのでパタヤへ移動。
その年のカウントダウンは中止になりました。

その際、母親と行った時の忘れられない思い出があります。

2004年12月31日。
マイクショッピングへ買い物に行き、
ホテルへ戻るソンテウ(乗り合いタクシー)に乗車中にいきなり発車。
私の右足が後部ステップに挟まり、運転手はそのまま加速。
車内に数名乗客がおり、窓をドンドン叩いて合図しますが、
そのままどんどん加速して走り続けます。

通行人は引きずられているの見て、驚いて止まれ!!と大声と合図。
それでも止まらず、右足をステップでアキレス腱固め状態で、
尻もちで1kmの距離を引きずられました。

セントラルロードに右折したところでやっと止まり、その時には何十人と寄ってきました。
大勢の人が運転手に怒って詰め寄り、警察に行こうと話している間に全速力で逃走。
逃げられてしまいました。

「大丈夫?」「病院に行こう」「あの運転手許さない」「ナンバー控えたので訴える」
何十人も寄ってきて、声をかけていただきました。
みんなが、運転手は薬をやっていると、言ってました。
あの時のタイ人の優しさありがたかったです。

私は奇跡的にケガがありませんでした。
走行中、手でジャンプして尻もちを最小限に抑えました。
手が擦り切れ失血しただけで、お尻の出血は殆どありませんでした。
ただ、ズボンがピンポイントで擦り切れて、見事にお尻丸出しになっていました。
お尻を隠してホテルに帰ったのを覚えています。

無意識にかなり踏ん張ったのでしょう、翌日、極度の筋肉痛。
母じゃなくて本当によかった。

■ 大晦日 パタヤ カウントダウン2022 ■
タイではの水かけ祭りの4月ソンクランが正月ですので、
1/01の元旦は多少店舗が閉まっていても、それほど正月気分ではありません。

旅での1日ルーティーン後、紅白を観ながらゆっくりする。
ここアルテラ ホテルでは、ほぼリアルタイム(3分遅れ)でNHKプレミアム、民放全局、WOWOWが観れます。

紅白を観ても誰だか全然分からないし、初めて聞く曲ばかりでつまらない。
チャンネルを変えたら、「孤独のグルメ 大晦日スペシャル」。
大晦日パタヤで観る大好きな五郎。最高の贅沢だ。

観ているうちに「腹が減った」

そうと決めたら店を探そう。
この町で何を食う?何がある。う~ん。
とりあえずターミナル21まで行ったらなにかあるか、
えーっとここは、フードコートだけあって、いろいろある。

焦るんじゃない。
どんな一食だって一生に一度の飯だ。
落ち着け。直感を研ぎ澄ますんだ。

俺の体は肉を求めてる。
心の叫びはステーキだ。

セイラーバー&レストランへ。
この店ひょっとしてひょっとするみせなんじゃないの?
心の叫びに従って、ここでは迷わずTボーンステーキ160B(約600円)を注文。

これでもかというほど固い肉。
食べるほどに俺の中の野生が解き放たれてくる。
う~ん。う~ん。
おおー、これだよこれ。いかにも肉って肉だ。
カロリー度外視。これでもかバターが乗っている。
俺こういうの好み。

そして安い。カクテルも1杯70B。他店の半額以下。
2021年最後の闘いに勝った気分だ。

タイは日本より2時間遅れ。
紅白が終わり、ゆく年くる年。

2022年0時。
日本では年が明け、タイでは22:00。
一粒で二度おいしい、得した気分。
これからパタヤ カウントダウン2022へ繰り出そう。

タイ各地でカウントダウンイベントを予定してますが、
オミクロン感染拡大で、バンコクは無観客。
パタヤ市長は、我慢の連続だったので年越しくらいいいじゃないか。
タイ最大規模のニューイヤーイベントで、ともに新年を幸福に祝いましょう。
と予定通り続行宣言。
レストランでの飲酒は12月から21:00までと時間を決めて再開。
年越しは深夜2時まで酒提供を発表。

パタヤはナイトライフが盛んで、タイの中でも一番といっていいほど影響を受けていました。
今までパタヤは、ほとんどの期間がロックダウンされていたので、
みんな我慢して溜まりに溜まっていたのでしょう。

バリハイ埠頭会場では、12/29から連日コンサートイベントが行われており、
タイの有名な歌手が来ているそうです。

以前行った時には、かなりの渋滞だったので、
ホテルからバリハイ埠頭までビーチロードを歩きます。距離は3.5km。約45分。
一部空いているゴーゴーバーでは、爆竹でお祝い。
この爆竹の火薬量が凄いのです。間近で動画を撮りました。
編集しようと、今見たらまたもや停止ボタンを押していて、撮れてなかった。
至る所で、個人で花火を打ち上げてます。
ビーチには、花火を見ようとたくさんの人が集まり、ゴザ屋も大忙し。

ビーチロードをウォーキングストリートへ。
ここは、ゴーゴーバーなど、一番賑やかな所ですが、殆ど店がクローズ。

バリハイに近づくにつれ、人で混みあってきました。
チェックポイントがあり、ワクチン接種、陰性証明の提示が必要です。
入ったら、ずらっと屋台あり、ステージではコンサート開かれ祭りで大賑わい。

いよいよカウントダウン。
Happy New Year!!
花火2万発。
間近に見る花火は迫力満点でお腹にまで響き渡る音。

以前と比べると、コムローイ(ランタン)は、パタヤでは保安上禁止になり、
ハングライダー、ジェットスキーがなく、縮小したように思いますが、花火は素晴らしかった。
最高に良い年を迎え、これを観るだけでも、タイに来た価値はありました。

2022年 皆様にとって穏やかな一年でありますように。
心よりお祈り申し上げます。

Part1 コロナ禍後 初めての海外へ
Part2 全ての要望がかなった タイ・パタヤ「アルテラ ホテル & レジデンス」宿泊
Part3 パタヤ カウントダウン2022 2万発の花火!
Part4 バンコク5つ星ホテル 泊り比べ ソフィテル vs シェラトン ~ソフィテル編~
Part5 バンコク5つ星ホテル 泊り比べ シェラトン vs ソフィテル ~シェラトン編~
Part6 旅の終わり
Part7 コロナ後、初めての海外 ~ 総括 ~