カンボジア・シェムリアップの日本人

2024年 元旦
シェムリアップのホテルで、年始の挨拶を書いていたら、
テレビの緊急速報が騒がしく、大津波警報。
よほどの地震でないと大津波警報はでません。
能登半島地震の発生。

何も言葉が見つからず、結局、年始の挨拶はアップしていません。

お客さんが1/03発で金沢旅行を手配いただいており、
金沢の状況が分からなく、旅館に連絡。
温泉は使用できませんが、通常通り営業するとの事。
JRは1/02午後から運行再開しましたが、結局、お客さんはお取消しとなりました。

能登半島地震で被害を受けられた皆さまに対しまして、心よりお見舞い申し上げます。
一日も早く復興し、落ち着いたら能登旅行に、どんどん行っていただきたいです。

翌日1/02 テレビから離れられずNHKの地震関連を見ていたら、
羽田空港で飛行機が炎上している模様との一報。
海外から客観的にみて、日本いったいどうなっているんだ。

バインミー屋台
カンボジア・シェムリアップの日本人
1/02は川崎さんと夕食の約束。

川崎さんは、私がカンボジア滞在時に同業社で同じ年。
1年前に大阪でお会いした以来。

ランドオペレーター(現地旅行社)をカンボジア、ラオス、ベトナムに。
ホテル経営、お土産屋など。バリバリの実業家。

1995年にビジネスでの夢を達成すべくカンボジアへ。
当時のカンボジアは、今では想像もできないような暗黒街。
舗装されている道も殆どなく、電気もままならない。
まだまだ観光客は皆無に近い状況。

1997年 カンボジア内戦。
ロケット弾で目を覚ます日々。
日本へ出稼ぎして、カンボジアへ送金して会社を存続。

SARS、東日本大震災を乗り越え、その後、会社はますます繁栄してきましたが、
今回のコロナは、今までとは全く比べ物にならない程の大打撃。
現在もまだ影響が続いています。

それにしてもシェムリアップは激変して以前の面影は全くありません。
日本料理といえば、シンガポール人経営の「銀河」くらいしかありませんでした。

今では、吉野家、ケンタッキー・フライド・チキン、バーガーキング、
チェーンのピザ屋、スターバックス、セブンイレブン、日本料理は数えられない程。
何も不自由することはありません。

日本料理「侍」で待ち合わせ。
川崎さんとお会いすることができました。

もう一人来るとの事で、幸子さんが参戦。
幸子さんとは、私がカンボジア滞在時から親しくしていました。

仕事が休みの日曜日、その頃のシェムリアップは何もすることがありません。
日曜日にはシェムリアップ川沿いの「ラッキーカフェ」で読書をするべく、
コーヒーを飲みに行きます。
その頃、コーヒーが飲める所は「ラッキーカフェ」しかありませんでした。

日曜日にラッキーカフェに行ったら、必ずと言っていい程、
幸子さんに会い、同じく本を持ってきます。
一緒にコーヒーを飲みながら、いろんな話をしたことが思い出です。

当時、日本語教師からガイドをやっていました。
カンボジアではお土産がタイからの輸入品くらいしかなく、
何かお土産になるものがあったらいいねと。

一念発起し、
2004年 マダム サチコ ANGKOR COOKIES 創業。
年商3.5億円。カンボジア人従業員100名の雇用を生み出しました。

その後、会社を売却して、40ヘクタール・東京ドーム8個分の無農薬の農園。
Svay Chek Organic Farmを経営しています。

農薬は使わず、新鮮で安心な野菜で健康的な国に。
カンボジア発祥の世界初「マンゴーワイン」。

幸子さんとは、約10年ぶりの再会。
楽しい時間はあっという間に過ぎました。

一度しかない人生、一日一日を精一杯生きています。
とことん笑い、とことん泣き、とことん楽しみ、とことん悲しみ、
苦しみさえも楽しく乗り越えていきたい。

幸子さんと必ず再会したい。
神様は乗り越えれない壁は造りません。

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サムット ブティック ホテル