私の職歴⑩ ~新たな挑戦~

日本の美徳は海外では通じない?


今まで、クレームばかりなので、まずは信用を付ける時。

その場限りでの儲けではなく、
一生懸命、お客さんに喜んでもらうように、頑張ったら、
そのお客さんが、めぐりめぐって、仕事が増え、収入も増える。

これは日本人の美徳で、外国では通じません。
日本人は、仕事が生きがいで喜び。
ありがたく、今日も働かせていただいているのに対し、
欧米の考えでは、聖書にも書いているように、仕事は罰。

やはりカンボジアでも、仕事は生きがいとする考えはなく、
仕事が生きがいで喜びではなく、生きる為の手段。

日本の考えを、押し付ける事はしたくありません。
しかし、お取り扱う全てが日本人。

ガイドがもらう賃金は、一日いくらと決まっているので、
それ以上、稼ぐには、現地でオプションを売り、土産屋に連れて行くしかありません。
会社を通さず、勝手にドバイバーと行くので、
行程が狂い、お客さんは、決めてきたコースではないと、
日本に帰ってからクレーム。旅行業法の旅程補償(ペナルティ)の対象。

カンボジアスタッフは、日本の会社、営業がどれだけ頑張って、
仕事をとってきているのかわかるはずもありません。
また世界はカンボジアだけではありません。

日本人はお金持ちだから、簡単に旅行を行ける。
そんなことはありません。
あなたたちより何倍も働いて、倹約もして、
カンボジアに行くことが、どれだけ楽しみにしているか。

観光客は、ガイドでその国の印象が決まります。
ガイドは、毎日同じことの繰り返しで、どうしても慣れてきます。
お客さんの殆どが、初カンボジア。
慣れてはいけません。
この仕事で大事なのが、一期一会。

私の月給も$1,000-。
カンボジアに居れば、高給取りの部類ですが、日本では、初任給以下。
何とかしなけれなりません。

頑張ったら、頑張った分、仕事が増え、収入も増える。
日本の美徳は、言い聞かせるのではなく、私が実践してみせるしかありません。

新たな挑戦


第一にお客さんに喜んでいただく。
その為には、目先のお金を求めない。
これは長期になりますが、この仕事を生業とするなら、必至です。

遺跡の案内で、歴史物語は3分以内。
40℃にもなる所で、長々と歴史の話を聞くのは遺跡マニア以外は苦痛。

日本人が知りたいのは、何を食べているのか。
どんな所に暮らし、どういう生活をして、何が贅沢なのか。
あなたの夢はなにか。生活、考え方、日本をどう見ているか。
ネタが尽きることはありません。

長期の目標だけでは、ついてこないので、
オプショナルツアーを会社が完全管理。
会社に利益を入れ、ガイドも今まで以上の利益がないと動きません。
尚且つ、お客様に喜んでいただく。

オプショナルツアーをいろいろ考え実行しました。

●土産屋と契約し、コミッションの完全管理。

●シクロで遺跡観光
シクロ:輪タク(自転車タクシーのベトナム語)で、それがカンボジアにも普及。
遺跡を風を切って、歩く目線で遺跡を周る。
どんなに素晴らしいだろう。

シェムリアップにはシクロの文化がなく、カンボジアの首都のプノンペンにしか居ません。
三浦社長に相談し「OK!!」と、いっていただきました。
3日後には、プノンペンからシクロマンが10人、
自身のシクロで3日かけてシェムリアップにきました。
給料は、半日を月給$15-+1回1$。
寝泊りは会社の敷地で自身のシクロ。

みんないい人ばかりで、三浦社長は、よく短時間に良い人ばかり10人も選び、
すぐにシェムリアップへ来たのには驚きました。

その間に観光省に遺跡にシクロ乗り入れ許可を申請。
同時に当社での独占許可も通りました。
日本へ新企画「アンコール遺跡をシクロでめぐる」を発信。
現地オプションでも販売。

●シクロナイトツアー
夜、その頃、どこにも行くところがないので、シクロナイトツアーを開始。
シンガポールのトライショー(輪タク)ツアーをパクりました。
シンガポールでは、インド人街、オカマ人街などを通り、
最後にニュートンサーカスでのかき氷。

それに対してシェムリアップでは、
電気がない、真っ暗闇の街を楽しみ、最後にシェムリアプ川沿いの
ラッキーカフェで、フルーツシェイク。

●足つぼマッサージ店オープン
当時、シェムリアップに1軒もなかった足つぼマッサージ。
今では、シェムリアップで数多くありますが、これが1号店です。

三浦社長に、会社の1階を足つぼマッサージにしたい。(会社は新社屋に引っ越し)
と、相談しましたら「OK!!」
プノンペンにマッサージ師いないでしょうかと、聞いたら、
3日後に中国人のマッサージ師がシェムリアップにやってきました。

プノンペンの台湾系マフィア経営の「ベンツサウナ」から、中国人を引き抜き。
その方を指導者として、マッサージ師を募集。
いつもながら、三浦社長の行動力には、本当に凄いの一言。

マッサージ師は、完全歩合制で、1回/$1-。
多数募集があり、8人を確保。
その日から1週間、中国人先生の特訓が始まりました。

中国では、足つぼマッサージは医療で、国家資格が必要。
その為の医療学校を卒業し、資格を持ってないとできません。
私も足つぼは好きでよく行きます。
棒で押したりする所も多いですが、先生は、許しません。
全て指押し。

先生が施術したら、おしっこが我慢できなくなります。
体の毒素が尿ででているとのこと。

施術中、ここが痛いのは、どこが悪い等の身振り手振りも説明も取得。
1週間の特訓で、指の皮が擦り剥けても、みんな頑張りました。

私は、バンコクへ買い出し。
店で音楽を流し、良い雰囲気にしようと、
CDプレイヤー。BGMのCD。足つぼステッカーを購入。
椅子は、籐の椅子をシェムリアップで購入。

いよいよオープン。
一番目に三浦社長に受けてもらいました。
施術する前に、ズボンを膝上までめくったら、両足のスネ、ふくらはぎに、無数の傷跡。
直径1cmの穴が40個ほどありかなり深い傷跡。
聞くと、ポルポト時代に、無我夢中で逃げた際、ジャングルで、
パチンコ地雷を踏みました。
踏んだら、パチンコ玉のような物が、無数に飛び散る爆弾。
命からがら、カンボジアを脱出し日本へたどり着きました。
その後、日本国籍を取得。

カンボジアのポルポト時代を知っている世代は、
みんながみんな、そういう経験があります。

平和な日本で生まれ暮らしていたら、平和があたりまえ。
今の日本は、歴史上経験したことがない平和で、豊かな国。
この平和で豊かなのは、日本も先人たちが命がけで勝ち取ったもの。

人に対しての礼節、思いやり、世の為、人の為。
世間様にご迷惑をかけないよう。

こんな素晴らしい国は、世界どこにもありません。

足つぼマッサージは、ガイドがお客さんに販売すれば、一人当たり/$5-のコミッション。
ガイドにとっては、良いビジネス。

空港に張り付いて、私がお客さんにご挨拶。
滞在時の注意事項と、オプショナルツアーのご案内。
足つぼマッサージは、なかなか反響がよく、そこそこ売れました。

ただ、シクロツアーは、想像より大変でした。

アンコール遺跡は、アンコールワットだけでなく、
その周辺には200以上の遺跡があります。

アンコールトムという遺跡の中心にバイヨン遺跡があります。
その周りに遺跡が点在し、小回りルート、大回りルートがあり、
シクロは、その小回りルートを周ります。

通常車では、2時間で周れますが、シクロの場合、4時間かかります。
それもシクロを遺跡に待機させ、バスで行き乗り換えます。
道が舗装されてないところも多く、事故の心配もあり、
ガイドだけでは心細い。

また、シクロナイトツアーは、シンガポールと違い、市内の道はデコボコ。
雨季には、水たまり、ぬかるみ。
何より、電灯が殆どないので、殆どが真っ暗闇。
安全に運行する為、バイクでの先導が必要です。

先導の見本を見せる為、私が同行しました。
シクロツアーは、夕食レストランからホテルまで約2時間。
さらに、足つぼマッサージをプラスすれば、
終わるのが0:00を過ぎることもあります。

ガイドは翌朝、アンコールワット・サンライズが、殆ど入っているので4:00起き。

私が、毎晩やるはめになりました。
朝から夜遅い時は、深夜1:00まで。
もし、コミッションが私に入ってきたら、喜んで何時まででもやりますが、
ガイドに入り、私には一切入ってきません。

道筋を作って見せる。お金は後からついてくる。
これを信じて、毎晩深夜まで休みなく働き続けました。

●夜の社交場・大人のカラオケ店
これは会社は一切ノータッチ。

これが大騒動の始りでした。

シェムリアプ
2014年 市内中心のオールドマーケット公衆便所の看板。

私の職歴⑨ ~生涯の友~

いつも思い出したのが日本でのささやかな楽しみ


私がカンボジアに来て、いろいろな衝突があり、自信がなくなってきました。

何しに来たんだろう。
何を目的にやってきたんだろう。
何の為に、嫌われものになってもやるのだろう。

心を打ち解け、本音で話せる人は誰もいません。

あのまま日本でやってたらどうなっていたのだろう。
道を間違ったかな。

カンボジアに行く前の日本では、
土曜日の午後は、一人で焼肉の倉で焼肉定食を食べ、
その後、佐竹台公園で車を停め、
ジョージアのコーヒー(ロング缶)、ベビースターラーメンを食べ昼寝。
日本に居た時、かけがえない土曜日の午後のひと時。

カンボジアでは、土曜日の午後に、その光景がいつも思い出されました。

土曜日の午後の佐竹台公園でのジョージアのコーヒー、ベビースターラーメンが、
一番幸せを感じていたのが、離れてみて初めて気付きました。
たわいない、なにもないことが、一番の幸せという事も分かりました。

カンボジア・シェムリアプでは、石(遺跡)はあっても娯楽がない。
ラッキーカフェに行って、コーヒーを飲み、
何回も読んだ本を読むしかありません。

食べ物も慣れなく、
住んでいる日本人にたまに会うと、「また痩せたね」が挨拶になりました。

バイク事故


ある日、土曜日の夕方、ガイドから電話があり、
お客さんが、プノンバケン(夕日の名所遺跡)で、ガイドと会えなく困っていると連絡。
通常、そのうち会えるので、10分ほど様子をみました。
また電話があり、まだ会えない。
ガイド誰か分からいけど、私の会社のお客さんということは確からしい。

会社からアンコールワットまで約15分かかるので、大急ぎで向かいました。
バイクを飛ばし、時速50km位で向かっている時、
穴があり、突っ込んでしまいました。

アスファルトの舗装道は、街の中心しかなく、
日本と違い、補修しないので、アスファルトでは、よく大穴があります。
そこに突っ込んで、頭を強打、全身も強打。

日本だったら、救急車で病院へ直行、即入院レベルですが、
ここはカンボジア。
救急車はなく、病院はあることはありますが、
かえって悪化するので、意地でも行きませんでした。
その事故で1ヵ月以上、頭が痛く、食べるのも一苦労で、
まだ、その時の傷がありますが、16年経った今でも病院は行ってません。

カンボジアで事故があったら、バンコクに搬送されます。
ヘリコプター、飛行機をチャーターするので、何百万円という金額になります。
カード付帯保険では、殆ど対応しきれてません。
海外に行くときは、必ず海外旅行傷害保険に加入しましょう!!
ちなみに弊社は、AIU保険の代理店です。

お客さんがケガをした時は、なるべく我慢をしてもらいますが、
ひどい場合、その日の便でバンコクへ行っていただきます。

ある日、お客さんがバスタブで転倒し、目の上を切って、
出血がひどく、一刻も早く処置が必要でした。
病院に連れて行き、早く縫ってと、お願いしたら、
やったことがない。怖いから嫌だ。とのこと。
「あなたならできる!!Go for broke!!」と勇気付け、縫ったことがあります。

※Go for broke:マサ斉藤の格言
 マサ斉藤…日本を代表するプロレスラー。
 アメリカ生活が長く、そのアメリカで事件を起こし刑務所へ。
 その中であみだした必殺技「監獄固め」は、全米を震え上がらせた。

その時、お客さんは、かなり痛がってました。
私もそのお客さんを必死で押さえ縫いました。

会計の際、その先生が「いくら請求したらいい?」
とりあえず、$50-位は!?
そんなにもらっていいのか!?
お客さんには、応急処置なので、バンコクに着いたら、
直行で病院に行ってくださいとご案内しました。

穴に突っ込んで、何十分も立ち上がれなく、そのうち人だかりが。
みんな大丈夫!?と、声をかけてくれていたのですが、全然動けません。
バイクはボロボロで、至る所から出血。服もボロボロ。

知り合いのガイドが通り、連絡をとってくれました。
お客さんは、ガイドと会うことができ、今レストランにいるとのこと。
(ガイドは、やはりダンポンでした)
事故後、そのまま血だらけで、そのお客さんがいるレストランに謝罪しに行きました。

引きずりながら、頭も強打したので、顔も歪めながら。
「大変ご迷惑をおかけしまして、申し訳ございませんでした」
すると、こちらを振り向くこともせず、手で追い払われました。

その頃は、会社に住んでいた頃で、家(会社)まで送ってもらい、
みんなが心配してくれました。
その中でも一番心配してくれ、薬を買ってきてくれて、手当してもらい、
ずっと付っきりで面倒を見てくれた人がいました。

生涯の友との出会い


それまでも彼を知っていたのですが、挨拶程度で、深く話したことはありませんでした。

これがチャンヤとの出会いです。
この人に出会えただけで、カンボジアに来た価値がある程の、
私の人生の中で、大きな大きな出会いです。

今でも、チャンヤを思い出す度、胸が痛みます。

1976年プノンペン生まれ。
お父さんは、ポルポト時代に亡くなり、お母さんが、チャンヤと弟を育てました。
子供の頃からシクロ(輪タク)の運転手をし、家計を助けながら、
夜、電灯の下で、英語の勉強。
英語の勉強になるのでホテルのフロントで働き、
よく利用する日本人と出会い、日本語を勉強し、
その方の推薦で、国費で日本にも短期留学をすることができ、
シェムリアップで日本語ガイドになりました。

それがきっかけで、チャンヤとは仲良くなりました。
人間味あふれ、ビールが好きで、女好き。
良い奴で、話せば話すほど、尊敬しました。

私が一番辛い時、どんどん人が離れて行った時も、いつでも支えてくれました。

私はカンボジアスタッフからは、悪役日本人だったので、
仲良くなるにつれ、チャンヤに対しての中傷。
「日本人に胡麻をする」
「チャンヤは、森本にお金を渡している」
そういうのが私の耳にも入ってきました。

そんな時、チャンヤが、話したいことがあると、
お茶を飲みに行きました。
日曜日の午後。
市内中心にお洒落なカフェがオープン。「Red Piano」
そこで話をしました。

「森本さん、いろいろ言われてますが、
私は、正しいことをやっていると思います。
私が言われてることは、何も気にしないで下さい。
私は森本さんを、どんなことがあろうと信じてます」

今から2年前にお客さんとカンボジアへ。
ガイドは、チャンヤ。
カンボジアは激変をして、バーストリートなるものができてます。
欧米人客でかなりの人だかり。
チャンヤも頭が禿げ上がり。
その中心にあるのが、「Red Piano」。

お客さんを案内しながら、「Red Piano」の前を通った時、
チャンヤが、ここ覚えてますか!?

その時、嬉しくて、嗚咽をこらえ何も言えませんでした。
一日でも忘れたことなどありません。

チャンヤ

私の職歴⑧ ~カンボジアでの学びの時~

牛耳っていた、ナンバーワンガイドとの衝突で、
良くも悪くも空気が変わりました。

話は前後しますが、
ある日そのガイドが、怒って会社に帰ってきて、
「日本人はなってない!!」
聞いたら、お客さん(日本人観光客)を案内していて、レストランで食事の際、
そのお客さんが、レストランのウェイトレスに、
「今晩いくら?」と聞いたとのこと。

同じ日本人として、恥ずかしく申し訳ないと、言いながら聞いていると、
勝手にお互い交渉して、私を通さずに言い値で連れて帰った。
怒った理由はそこでした。

日本からも最も信用ある社員。
しかも日本の本社の社長まで、何かあったら、彼に相談しろだったので、
私がクビにされてもしょうがないと思ってました。

ただ、後悔は一切ありませんでした。
黙っていたら、ずっと誰もルールを守らないし、
滅茶苦茶のままで、私が来た意味がありません。

誰かがメスを入れ、膿みを出し切る必要がありました。
私が来る前も何人かの日本人が駐在されたと事ですが、
誰も何も言わずに、すぐに辞めてます。

カンボジアでは、議論することがありません。
自分の主張をし、感情的になったら喧嘩になり、
喧嘩をしたら、終わりなのです。

街中で欧米人がレストランを経営している場合、店前にライフルを持つ警備がいます。
カンボジア人を雇い、働きが悪く解雇したら、その日の内に報復があります。
強盗だけでなく、報復から守る為でもあります。

翌日、ナンバーワンガイドとの衝突の件を、プノンペンにいる三浦社長に報告しました。
「OK!この際、クビにしましょう。」
逆に会社にいる足を引っ張る、親戚数名を一掃しました。

三浦社長から、この時も、
「カンボジア人は正面から来ません。後ろから来ますので、気を付けて下さい。」
あっさりと言います。

その頃、まだ銃が出回っており、買おうと思えばすぐに買えました。
あるガイドが、森本さんも銃を持ったらの提案。
明日、プノンペンに行くので、買ってきます。

翌日、電話があり、今、市場にいて、USD150-しますが買いますか。
現実にそれを聞いて、ビビッてしまいました。
実際に銃を携帯し、何かあったら威嚇する。
それでも向かって来たら撃つ。
私にはできません。
断りました。

ただ、復讐で襲われる空気だったことは間違いありません。

衝突したガイドが中心になり、解雇された親戚が労働局に不当解雇と訴えました。
要はお金が欲しいだけ。労働局なるものが、あったことにも驚きました。

その頃から脅迫電話が毎日かかってくるように。
私は、カンボジア語が分からないので、全く影響ありません。
来るならいつでも来い!日本人を舐めるな!!
と、言って下さいと、スタッフにお願いしてました。

後日、カンボジアの英字新聞に私の記事がありました。
内容は、会社名を出して、悪い日本人が会社のお金を横領し、
正当な社員を不当解雇。
三浦社長の名前も実名で出され、その日本人のPuppetだ。
という記事でした。

私が来た時から、いろいろと教えていただいた、
社員のソカさんもこの時辞職しました。
同じ年で、身の回りの世話から、カンボジアの常識など教えていただきました。
お互い頑張ろうと良いパートナーと思ってました。
何かスタッフにいう時も、ソカさんを通して言うことも多く、
それがかなりのストレスだったようです。

ソカさん自身も、私の味方だと思われ、
もうこれ以上できません。
と辞めました。

ある日、朝、出社したら、
張り紙が至る所に何十枚も張ってあり、
私のパソコンのモニターにも貼ってました。
カンボジア語なので、全く分からず聞いたら、
森本は悪い奴。辞めさせろ。との内容。
書いた本人は、ダンポンというおっさん社員ガイド。

内戦以前(’97)から日本語ガイドをやっているベテランで社員。
彼の日本語は何を言っているのか1割も理解できないレベル。
お風呂嫌いで、そもそもカンボジアにはお風呂はありませんが、
日本人でも風呂嫌いは居ますが、レベルが違います。本物です。
ダンポンの周りは、ハエがいつも飛んでいました。

その時の社員のガイドは3人。
一人は衝突して辞めたガイド。
後の二人は誰が選んだのか、どう考えても低レベル。
あとは、専属で来ていただいているのが20名程。

ガイドにもかなりのレベルの差があります。
一日、ガイドの日当は、1日:$18-。
送迎のみ、半日とは別に計算します。

良いガイドでも悪いガイドでも日当は同じですが、
どの仕事に付けるかで、収入が変わります。
人数が多くなればなる程、土産屋等のコミッションが増え、収入が増えます。
良いガイドからグループ、団体をアサインし、
次に個人の高額パッケージツアー。
最後に格安の個人パッケージツアーです。

1か月の収入では、トップクラスのガイドで、
月/USD1,000-以上(コミッション、チップ合わせて)のガイドもいました。
日本だったら、一流プロ野球選手レベルです。

ダンポンは、今まで社員で、団体をメインにガイドをしていたのが、
私が格安の個人パッケージツアーをアサインしたので、
彼が怒って張り紙をして抗議したのです。

ダンポンを会社に呼んで、話ました。
激怒しており、カンボジア語の早口で、全く何を言っているのか分からず、
後でカンボジアスタッフに何を言ってたのと聞いたら、
カンボジア語ではなく、日本語じゃなかったのですか!?
その日をもって退職。

その後、どこの会社でも仕事はなく、
たまに日本の旅行会社の某激安ツアーでガイドをやっているということを聞きました。
その後、エイズになり、仕事は辞めたとのこと。

それまでの専属ガイドもかなりの数が離れていきました。
私が来たせいで、会社が混乱しているのは確かです。

ソカさんが辞め、誰にも相談する人がいなくなり、
これからは一人で考え、決断しなければなりません。

そんな時、私の人生を変えるほどの出会いがありました。

私の職歴⑦ ~カンボジアでの改革~

カンボジアに住んで仕事をして、1か月が過ぎ、
生活にも少しは慣れ、仕事の流れも分かってきました。

クレームだらけのカンボジアの会社。
私の職務は、クレームをなくし、さらに来客を増やす。そしてガイドの教育。
三浦社長からは、思うようにやっていいと承諾を得ました。

3つのルール


まずはルール作り。
当たり前のルールで、簡単そうに思えますが、これが難しい。

1.遅刻はしない。
・ガイド、ドバイバーは到着便の30分前までに会社へ来て、
 お客様のミーティングボードも持って空港へ。

・出発の10分前にホテルで待機。

2.オプショナルツアーは会社を通す。
・行程を勝手に変更し、コミッション稼ぎはダメです。
 会社を通したら、それよりも多く稼げて、クレームはでません。 

3.トラブルがあったら報告。
・すぐに報告してください。私が会いに行き、火消し役になります。

この3つをルールを作り、スタッフに説明しました。

文化の違いがもちろんあります。
それは日本人が正しいというのではなく、日本人を相手にして仕事をするにあたり、
知っておかなければなりません。

押し付けないように、穏やかに、怒らずに、喧嘩をせずに、楽しく。
私があまり前にでないよう意識してました。


3つのルールとともに、自分の役割を決めました。

・日本にはクレームを持ち帰らさない。
お客様全てに、カンボジアでの注意事項の案内を作り、
私が空港に張り付いて、お客様へご挨拶。

・日本への情報発信。
新しいホテル、レストラン、カンボジア情報などどんな細かいことでも
発信することにより、カンボジアを広く知ってもらう。

・お客様へのサービス。
暑い中、遺跡を歩き、日中40℃を超える時には、遺跡での温度は、50℃を超える時も。
観光のパターンは、午後アンコールワットへ行き、プノンバケンで夕日鑑賞。
そのままレストランで夕食なので、汗だくのままです。
こんな時、冷たいおしぼりがあれば、どれだけ嬉しいか。

三浦社長に相談し、即「OK!」
カンボジアスタッフに話し、それはいい考えだ。協力すると約束。

すぐに実行しました。
オールド市場でおしぼりに似たタオルを300本、クーラーボックスを10個購入。
冷蔵庫は会社にあったので、タオルを水に付け、1本1本巻いて、冷凍庫・冷蔵庫へ。
おしぼりを洗う洗濯機を購入しようと思ったら、みんなから止められました。
誰も洗濯機を知らなかったのです。
毎日の事で、手洗いはすごい労力なので、洗濯機を購入しました。

念願の引っ越し


家もオフィスとドア1枚で、プライバシーがなく、引っ越すことにしました。
もちろん不動産業、アパートなどなく、
大きくて、住みやすそうな家に直接行って、空き部屋ありませんか?と、交渉するだけ。

いろいろ見に行きました。
小奇麗で、大きさもちょうどよい家がありました。
家賃1ヶ月:USD200-。
通貨はカンボジア・リエルがありますが、使うのは少額で、米ドルが流通してます。

2階部分で、気に入り、ここで決めよう。
帰り際、窓を開けてみると、1階部分にはワニの群れ。
横の家の塀との狭いスペースで、200匹以上はいました。

カンボジアでは、一般の家でもワニを育てており、
餌を与えるだけで、手間がかからず、大きくなったら高値で売れます。
寝ぼけて落ちたら終わり。
さすがにやめました。

違うところで、日本のワンルーム位(約20㎡)で、狭いですが、
小奇麗で、居心地が良さそう。
なにより大家さんの家族がいい人なので、契約しました。
1ヶ月:USD150-ドル。電気代別。

そこの家主の住み込みのメイドさんに、洗濯、掃除等、1ヶ月:USD30-でお願いしました。
20歳の独身の素直で可愛い娘さん。
田舎から働きに来て、(シェムリアップも田舎ですが)
メイドをやって現金を稼ぎ、何か月に一回、田舎へ持ち帰ります。

○写真は自宅。
私の趣味ではありません!全て家主さんの趣味。
家主:パパ・ママ・息子。他には、ちびまるこにでてくる、そっくりのおじいちゃん

事件勃発


なるべく私が前に出ず、怒らず、押し付けないように、穏やかに、喧嘩をせずに、楽しく。
が、かなりストレスになってました。
それをすることによって、舐められるのです。
まだカンボジアに来て、一回も怒ったことがありませんでした。

そんなある日、事件が起こります。
前に紹介した、何かあったら相談し従えと、日本の本社の社長から言われていた
優秀なカンボジアナンバー1ベテランガイド社員。

かなり遅刻が目立っていました。
もちろん誰も何も言いません。
他のガイド、ドバイバーも真似をする。
その人がメチャクチャにしているのは、誰がみても分かりました。

いつものように遅刻。飛行機は到着している。
私が、代わりにガイドをすると、会社を出たとき、
彼が何食わぬ態度で堂々ときました。
「○○さん、遅刻ですよ。到着30分前に来てください」
と、やさしく、穏やかに言いました。
無視。

もう一度、やさしく「聞こえてる?」
無視。

もう一度、やさしく「聞こえてないのかな~?」
すると、私を睨み付けて、唾を吐きました。
「ブチーン!!」と、はっきり何かが切れる音が聞こえました。
ずっと我慢していたのが、爆発してしまいました。

カンボジア人に感情むき出しで、怒るのはご法度。
しかも最高にプライドが高い。

泣いて「お前は絶対許さない」。
スタッフ全員が見に来ていて、
それから態度が明らかに変わりました。
そのナンバー1ガイドは、その時限りで退職。

その事件以来、訴えられ、新聞に載り、脅迫され続ける始まりでした。

私の職歴⑥ ~カンボジアでの仕事~

1か月ぶりのバンコク


オフィスに住んでいることで、プライバシーがなかったのがきつかった。

初回は、観光ビザ(30日有効)で入国したので、
一回、国を出ないとオーバーステイで、罰金を取られます。
カンボジアに来て一ヵ月。ビザが切れる前に、タイ・バンコクへ1泊で行きました。

一ヵ月ぶりのバンコク。
全てが揃っていて、欲しいものは何でもあり、日本に帰ってきたような感です。
帰ってきた。と、ほっとしました。

昼食は、バンコク伊勢丹のZENでお寿司。
食べて涙がでたのは初めてです。

夕食は、タニヤの日本式焼肉屋へ。
ここでも涙がでました。

夜は有馬温泉へ。(パッポン近くの大浴場・サウナ)
久しぶりの湯船に浸かりました。ここでも涙がでました。

体重を計ったら、1か月で10キロ減ってました。
ダイエットはいろいろありますが、カンボジアダイエットは間違いありません。
体重計はシェムリアプにもあり、
裸のオヤジの体重計屋さんが自転車を乗って、街を回ってます。

お腹一杯でもう食べれませんが、
明日カンボジアへ帰ったら、食べれなくなるので、
ラーメン亭に行き、吐きそうになりながら食べました。

カンボジアに住んでいて、食べて涙がでたのは、もう一つ。
お客さんに、日清の麺職人(みそ味)をいただき、
すぐ食べたらもったいないので、数日間楽しみに眺めた後、食べた時。
こんなに美味しかったのかと、感動しました。

日本に帰ってきてから、あの時の味が忘れられなく、
同じ物を食べたのですが、普通のカップラーメンの味。

バンコクからシェムリアップへ帰る時、ケンタッキーフライドチキンの、
コーネルバーガー(普通のバーガーより肉が薄い)を10個買って帰りました。

カンボジアに帰り、家で楽しみに食べようと、
翌朝、起きたら、アリが数十匹、群がっていました。

アリはよく家の中に入り込むのは日常茶飯事で、
夜寝ていたら、横でゴソゴソ音がして、見たらアリの行列。数百匹、数千匹の行列。
そんな時、退治したら群れがバラバラになり、一晩中格闘になるので、そのまま寝ます。
翌朝、何事もなかったように、消えているのです。
種類があって、赤アリの場合は、とにかく逃げます。
噛まれたらとんでもなく痛い。

ケンタッキーハンバーガーは貴重品なので、
アリが食べた後、いただきました。

バンコクには良いイメージがあり、今でも大好きです。
この時の経験があったからだと思います。

カンボジアでの仕事


そんな調子でのカンボジア生活。
生活以上に大変だったのが、仕事です。
仕事内容はたいしたことないのですが、やはり人です。

仕事内容は、
日本のお客さんが日本の旅行会社へ申し込み、
その旅行会社が、日本のランドオペレーターへ手配。
お見積りし、決定後、その手配を元に、ホテル、食事、車、ガイドを
手配するのが現地での仕事です。
殆どが日本の旅行会社のツアーです。

クレームが多いとは聞いてましたが、それもそのはず。
スタッフは社長、社長の奥さんの親戚ばかり。
何も仕事しないのに、偉そうな態度で、
真面目にやっている親戚ではないスタッフ、ガイド、ドライバーをこきつかい。
みんなが自分勝手にやりたい放題。

その頃のシェムリアプは、日本からの観光客は、月平均2,000~3,000人。
日系ランドオペレーターは5社。
それぞれに日本人がいました。多いところで1社5人もいます。

私のいった会社は、取り扱い数がナンバー1でした。
日本人スタッフはそれまで居なく、入ってもすぐ辞める。
クレームが多くても、いかに日本の営業が頑張って送客しているかの証。

私はこの国に、おじゃまして、仕事をさせてもらっている立場。
しかし、取り扱っているのは日本人観光客。
私が来た役割は、クレームをなくし、逆に増やすこと。

始めは慣れるのに精一杯で、仲良くやることを最優先にしたせいもあって、
何も言いませんでした。

もう飛行機が、到着しているのに、ガイド、ドライバーは、まだ来ない。

決まっている行程を変え、ガイド、ドバイバーが理由をつけ、勝手に追加代金を収受。
日本には旅行業法があって、主催旅行の場合、変更保証金
(ペナルティ)を支払なけれなならない。

アンコールワット・サンライズツアーの遅刻は日常茶飯事。

コミッション欲しさに土産屋に連れまわし。
そのコミッションをガイドとドライバーが奪い合い、ナイフで喧嘩。
そのナイフをもって、お客さんを案内していた。

カンボジアは直行便がなく、タイかベトナム経由で帰国するのですが、
カンボジアを出国する時、その流れが分からないので、お客さんは大混乱。
誰も外国へはおろか、飛行機に乗ったことがないので当然。
これは、日本で出発前にある程度、案内が必要ですが、
そういうインフォメーションを日本に一切カンボジアから発信ないのが原因。

まだまだありますが、
よくこんなので、仕事がまわっていたと、逆に関心しました。

日本の本社の社長から、社員で、優秀なベテランのガイドがいる。
何か問題があったら、その人に相談し、従えと言われてました。

その人は、日本の大手新聞社・プノンペン支局に努めていて、
日本人より日本語のボキャブラリーがあり、頭がよく、
人に対して、今でいう上から目線。
周りもその人の前では、萎縮してます。

カンボジアの社長から、重々注意されていたのが、

カンボジア人に、感情的になったらいけない。
カンボジア人に、人前で怒ってはいけない。
カンボジア人は、正面からでなく、後ろから襲ってきます。

気を付けて下さい。
普通に言われたので、びっくりしました。

カンボジア人は、笑顔で、自己主張はめったにしません。
それでいてプライドが高く、感情的になるのは、最後に本当に怒った時。
ポルポト時代の名残りだと思います。
穏便に笑顔でいないと、命の危険があり、
自己主張すればすぐに殺される。

その人とも仲良くなろう。
親戚の人たちとも仲良くなろうと、頑張ったのですが、
かなり無理をしていました。
それが、逆になめられていました。
それがだんだん蓄積してきました。

もう我慢の限界です。
「本物の日本人をなめるなよ!!」