私の旅

■旅の目的■


旅が好きです。
いつでも旅をの予約を入れて、それを目標に日頃頑張ります。

私の旅のスタイルは、「何もしない」というのが、何よりも楽しみ。
とっておきの本を持っていき、読みたいときに読み、
寝たいときに寝て、お腹が空いたらその時に食べたいものを食べる。

海外に出たら、自分の日常を客観的に見ることができます。
人に対しての感謝。
自分に足りないもの。
もっとこうしよう。
など、日頃考えない事が、旅にでたら考えるようになります。

日頃、運動をさぼり気味ですが、
旅に出たら、億劫になくことなく、日課になります。

朝、早めに起きて、ウォーキング。
その土地を見ることができるし、
歩くのは、脳にもよくて、いろいろなアイデアが浮かんできます。
ホテルに戻り、ゆっくり朝食。
朝食後、ホテルのジムで1時間ランニング。
その後、サウナで読書。

部屋に戻るころには昼前です。
部屋で仕事をさっと片付け、
昼からプールでギンギンに冷えたビールを飲みながら読書。
あっという間に夕方になり、自然にお腹がすいてくるので、
その時の食べたいものを食べる。

これが私のかけがえない至福の時です。

その為、名所旧跡の観光地には滅多に行くことはありません。
流れで行くことはありますが、それよりも自分の時間を大切にしたいです。

クルーズでも同じパターンで、昼から時間が空いた時にぶらっと周辺を散策。
名所旧跡の観光地が目的ではありません。

■旅のスタイル■


ゴールデンウィークにプーケットに行ってきました。

例年、ゴールデンウィークには、クルーズツアーを催行するのですが、
年々、集客が少なくなり、今年は催行しなかったのです。

そもそもクルーズは、団体で行くようなものではありません。
好きな時間を過ごすのがクルーズ旅の醍醐味。

今まで一緒に行っていたお客様も、初めは言葉の不安があり、
ツアーに参加という形でしたが、一回行き要領を得たら、自分で行くようになります。

パターンは同じです。
日本の空港を出発から帰国までの流れ、注意事項を詳しくご案内してます。
あとは、楽しむだけです。

ツアーを組んだら、いろいろなお客様に出会うことができます。
メディアツアー(新聞広告募集ツアー)専門の方は、空白を嫌がります。
行程が隙間なくびっしり詰まってなかったら、怒り出す方。
空白は、損だと思っているのだと。
観光地に、たくさん行かないと損をするという発想。
そういう方は、カジュアルクラス・内側客室が圧倒的に多く、
寝るだけだからと同じことをおっしゃいます。
回数を多くいくので、安い方が良い。

私も添乗で内側客室に数回泊まりましたが、
ドアを閉めたら、ライトをつけない限り真っ暗。
どこにいるのか、何時なのかさっぱり分かりません。
いくら仕事とはいえ、大好きなクルーズでは辛い。

カジュアルクラス客船の内側客室3回行くなら、
プレミアムクラスのベランダ1回。
カジュアルクラス客船の内側客室10回行くなら、
ラグジュアリークラス客船のベランダ1回行く方が得るものが多いと思います。

話がそれましたが、例年ご一緒するお客さんが、今年はアジアクルーズ。
プーケットに寄港します、そこで驚かせようと思い行きました。

お客さんには、プーケットでは、専用車・ガイドをこちらで手配。
時間だけを決めてました。

人生はじめての手術

■内視鏡検査■


私は幼少の頃から健康そのもので、病院に行ったことがない。

母子家庭ということもあり、病院の治療費は無料。
それが嫌だったせいか、病院とは無縁でした。

唯一、手術というべきか、20歳前後のある日、局部にイボが数個。
翌日には、それが大きくなり、新たに数個でき、
その翌日にはさら大きく、新たに数個。
まるでカリフラワー。

病院に行き、すぐに局部に麻酔注射で、レザーで焼き切り完治。
その時の麻酔注射のトラウマがあって、いまだに注射は苦手。
病気?は、それ位で、身体は健康そのもの。

その頃、おならをしたら、生ぬるいものが。
もらした!と、確認したら、パンツが真っ赤になる血便。
それ以来、体調が悪くなれば、血便がでました。
トイレでは、ワインレッドのような綺麗なもの。
周りに聞いたら、痔なので心配しなくてよいとのこと。

あれから28年。
一度も病院で検査はしてません。

お客さんで大腸ガン患者がおり、血便の事を話したら、
早期発見だったら、その場で簡単に切ることができるのですぐに検査すべし。
と、アドバイスに従い、昨日、大腸内視鏡検査へ。

正直、自分では、30年近くも血便がでてるのに、ほったらかしなので、
相当悪いと思ってました。

昨日、朝からの雨で、病院の駐車場が混み合い、
駐車場前には5台が並んでいます。
その時点で予約10:00の5分前。
電話して状況を伝えました。
この時点で、車で来たことがばれてしまいました。

鎮痛薬を利用するので、車では絶対に来ないように言われてました。
家族が迎えにくるので、大丈夫と、言い張っても、飲酒運転と同じなので絶対ダメ。
結局、鎮痛剤なしとなりました。

まずは、下剤で便を出し切り、3回目の便を看護師さん見せます。
1の個体状態~4の完全水分になるまで、便を出しきります。
4の完全水分でないと内視鏡が入らない為。

1リットルの下剤を1時間かけて飲みます。
その後、500mlの水を30分かけて飲み出し切ります。

その飲んでいる時に、同じテーブルで対象的なお2人と出会いました。
お2人とも70歳前後の男性で、お互いにお話しされてるので、友人だと思ってました。
(たまたま横同士)

横の方が、宇津井健似で、ジーンズにポロシャツ、スニーカーの、
検査なので、決して高価なものでなく、ダイエーの安売りファッションですが、
しかし腕にはロレックス。
姿勢が良く、若々しく、礼儀正しい。

もう一人は、革靴で、ポロシャツ、スラックスの老人ファッション。
姿勢が悪く、くたびれ感は否めません。
同年代ですが、全てが違い対象的。

1リットルを60分かけて飲むと説明に、
老人は理解できなく、看護師にペースが速すぎると、注意されてました。
健さんが、60分を4で割って15分ごとに250mlの線を飲んだらよいと、
的確なアドバイスに、さすがと心の中でうなりました。

便に行く度に、自分で記入します。
時間と1~4の番号。
健さんは、順調に便が出て、3、3、3、4、4と、
1時間半でクリアになりました。

老人の方は、なかなか便がでません。
焦っている老人に健さんは、
「なんでも人生と同じ。のんびりゆっくりいこうや!」

健さんのこの言葉に感動しました。
なんて素晴らしい方だろう!なんて魅力的な人だろう!!

老人は、45分経ち始めての便。
要領を理解していないので、1回目の便で看護師を呼び、
結局、全ての便を看護師に見せて、全て看護師が時間番号を記入。

1時間経ち、健さんは水を購入し、30分かけて500ml飲み、
スムーズに数回目の4番を記入。
検査OKがでました。

老人は、1時間経ち、水を1.5リットルを2本購入。
薬が入っていたプラチックコップにご丁寧に少しずつ入れて飲んでました。
30分たった後も、社会の窓を全開に飲み切らない水をさらに購入しに行き、
看護師に、それ以上飲まないでと、注意されてました。

私の方は、30分経っても全く出る気配はありません。
どうなっているのだろうと思っていたら、
急にトイレに行きたくなり、3回目で4番になりました。
これで検査OKとなると思ったら、それから3回、4番を確認され、ようやく検査OKに。

車に乗って来た為、鎮痛剤が使えなくなり、かなりビビりました。

お尻部分が切れている紙パンツに履き替え、出血止めの点滴。
昔のトラウマが今でもあり、
この注射が、肛門からの内視鏡より、怖く辛かった。

いよいよ診察室へ。
男性の先生と、女性の看護師。
横には32型モニターがあり、自分の大腸内をリアルに見ることができます。
今、どこに来ているか、あとどの位で奥まで達するかを教えてくれます。
約10分、特に痛みはなく奥まで挿入。
もう痛みはないとわかったら、リラックスタイム。

冷静に自分の大腸を観察し、真っ黒なものとおもいきや、
なんて綺麗な大腸なのだろうと感心しました。
見るだけでご飯3杯いけそうな、美味しそうなテッチャンではないか。

途中、1つポリープがあり、その場で摘出。
切除し、クリップを3か所留め。
あっという間の30分。何にも痛みはありません。

そのポリープが良性か悪性かなどの検査結果を
来週の火曜日に聞きに行きます。

検査が終わり、健さんは、ポリープが4つ見つかり切除。
点滴を受けていました。

老人は、ポリープ一つもなく、点滴を受けることもなく終了。
着替えてお気をつけてお帰りくださいと、看護師。
紙パンツを一人で着替えることができなかったみたいで、
看護師が気を利かして、待合室にいる奥様に声をかけて呼んできてました。
「○○さんのご親族の方、いらっしゃいますか~!!」
待合室では、何か事故があったのだろうと想像したに違いありません。

入ってきた奥さんは若々しく、60代半ばに見えました。
老人は健さんより歳下だと思います。

やはり!!
その方は決して呆けているのなく、老けているのです。
何でも人に依存していたら、自分では何もできなくなり、
全てにおいて自主性、自信がなくなるような気がします。

私も気を付けよう。
私は一人暮らしが長く、何でも自分でやってましたが、
結婚してから、やってもらうのが当たり前になる依存癖がついて、
自分でできなくなっているのが分かります。
だんだんエスカレートしたら、こちらの老人のようになる可能性があります。

対して健さんは、一挙手一投足かっこいい。
点滴受けている時も、横に人が来たら気配り。
周りが気分よくなります。
また、健さんはローレックスがよく似合う。

商人にとってロレックスは最高の武器といいます。
ローレックスをして、お客様の為に一生懸命に対応する。

私も健さんを目指します。

おかげさまで17期目

■17回目の誕生日■


5月決算で、6月1日から17期目を迎えることができました。
ビガー・トラベル・サービスが存在しているのは、
皆様が応援していただいているからです。
本当にありがたく、感謝いたします。

社名のビガーとは、英語でVigour。
元気という意味から社名はこれしかないと思いつけました。

私の旅行で、お客様が元気になっていただきたい。

元気に頑張ったら、こんないい事があるんだ。
これがあるから、日々どんな事でも乗り越えられる。
頑張ってきてよかった。
生きてきてよかった。

私自身もいつでも元気で、何かあった時には、
何でこの社名をつけたのかと初心にかえります。

■クルーズをやりはじめて世界が変わった■


クルーズをやってなかったら、17期目は迎えることができなかったかもしれません。

旅行業は、売り上げを上げるには団体ありきで、
私も社内旅行などの団体ばかりを追ってました。

2008年リーマンショックから、団体旅行が減少し、
私のお客様の会社も殆ど中止になりました。

その前から、クルーズに憧れがあり、動き出していたので、
駄目なので、クルーズに動いたのではありません。

それまでの仕事は、大阪のお客様のみでしたが、
今では、全国のお客様に応援していただいてます。
昨年47都道府県制覇しました!

以前は、難しかったと思いますが、
今では、インターネットを入り口に、電話、メールにて、
流れ作業でない、顔が見える、やり方を行うことができます。

旅行業は、粗利10%が基本で、顧問税理士が驚く程利益が少ない業種。
次に繋げることしか、生き残る道はありません。

クルーズをやってから、どんどん全国にお客様が増えてます。
先週は、神奈川・小田原より、大阪での仕事の合間、我が社へお越しいただきました。
夕食をご一緒して、いろいろなお話をお聞かせいただきました。
どれだけ嬉しく感謝していることか!!

翌日には、愛知・豊田へ。
社員旅行でアジア・クルーズの最終日程表をお持ちし、ご挨拶へ。

全国の人との出会いがあります。
今、最高に楽しく、幸せを感じます。

私の職歴⑲ ~クルーズとの出会い~

クルーズは違う世界のもの


私はずっと旅行業ですが、
クルーズのイメージは、世界一周。一部の成功者の為の旅行。
長い、高い、退屈。
私には無関係と勝手に思い込んでました。

ある日、本屋でアジアクルーズが5万円の書籍を見つけました。
読んでいるうちにワクワク・ドキドキ。
計算したら、クルーズ、AIR、ホテル入れても10万円ちょっと。
これだったら、行ける!
何事も実際に体験しないと分からない。

初めてのクルーズ乗船


その数ヶ月後、初めてのクルーズ乗船。
シンガポール発着 マレーシア・ショートクルーズ 

ロイヤル・カリビアン・インターナショナル
レジェンド・オブ・ザ・シーズ 7万トンクラス

クルーズは、4泊。
シンガポールを出港して、マレーシア・ペナン島、ポートクランに行くコース。
クルーズだけなら面白くないので、クルーズ乗船前のシンガポールで1泊。
クルーズ乗船後に、バリ島で2泊。

キャビンは、断然バルコニー付き。
さほど変わらなかったので、Jr.スイートを手配。

関西空港から直行便であっという間にシンガポール。
夕方、シンガポールに到着し、ホテルはチャイナタウン地区。
ホーカーズ(屋台街)で、B級グルメを堪能し、
セントーサ島で光のショー。クラークキーの川沿いをブラブラ散策。

いよいよ翌日、シンガポール・シティセンターからクルーズ乗船。
ロイヤル・カリビアン・インターナショナル初めてクルーズ船を目の当たりにして、想像以上に大きく、ただただ驚きました。
動くホテルとはこの事です。
我慢できず、走って乗船手続きをしました。

ワクワクする高揚感。
乗船前は、今でも変わりません。
この感覚は、クルーズならではです。

乗船したら、吹き抜けのアトリウム。
明るい開放的な雰囲気。
船内に居るとは思えません。

そして、キャビンへ。
目の前に海。
バルコニーからは海を独占。
船は天井が低いイメージですが、全然そんな事無く、ホテルそのものです。
Jr.スイート以上には、バスタブがあるので、ゆったりと入浴。 そして、レストランへ。
食事・ルームサービスは、クルーズ代に含まれる。
メインレストランでは、前菜、サラダ、スープ、メイン、デザートが、
決まっているものだと思ったら、数種類から選ぶことができる。
食べれるのであれば、いくつ注文しても良い。

頼みました!
食べまくりました。
また美味しいのです!

食後にシアターへ。
毎晩ショーが行われてます。
シアターは、ショーも設備も本格的。
これを毎日観れるの!?と、感動しました。

ショーを鑑賞後は、カジノ。
その後、満腹でしたが、ビュッフェレストランで、
軽食をいただきました。

いたるところにバーがあり、
静かな雰囲気のシガーバー、ショーを観ながら、ディスコなど、選択が多い。
キャビンに戻ると、バルコニーで夜風に吹かれながら、
満点の星を鑑賞。

これだけ動いても、まだ船内は一部しか行ってない。
何なんだ。クルーズ!!
楽しすぎるぞクルーズ!!

翌日、目覚めると、マレーシア・ペナン島に寄港。
下船してその街を楽しむのも、船内でゆっくりするのも自由。
出港時間に遅れなければ、その時の気分で風まかせ。

出入審査、税関等は、クルーズ会社が事前に行っているので、
船の出入り口で、カードをかざすだけで乗下船できるのです。
だから、審査で並ぶ必要なし。

ぶらっとペナンの街を散策し、お腹がすいたら、
船に戻り、昼食をとる。
また、外に遊びに行くということもできるのです。

昼食は、船内でハンバーガー。
映画でみるような、でっかい本場アメリカのハンバーガー。
ナイフ・フォークでいただきます。
うまい!!ホットドックも食べよう。

船内では動き回り、寄港したら動き回り。
歩きすぎ、足に豆ができました。
その中に二重に豆ができたのは、初めての経験です。

下船前夜のメインレストランでは、ウェイター全員による、
歌の合唱。お別れの挨拶。

シアターでは、キャプテンをはじめ、クルーによるお別れの挨拶。

4泊のショートクルーズは、あっという間でした。
明朝、降りるとなると何とも言えない寂しい気持ちに。

下船前夜、バルコニーで、海を眺めながら思いました。
こんな素晴らしいものを、何で今まで知らなかったのだろう。
今まで何をやってきたのだろう。

クルーズは物語。起承転結。

乗船前の高揚感。
クルーズ中は、自分の好きなように過ごし、
人(クルー、乗客)との交流。
下船前夜のなんとも言えない寂しい気持ち。

クルーズ乗船前は、良いものだと思ってましたが、
そんなレベルではない位、衝撃を受け、涙が出るほどでした。

旅行業をやっていて、お客さんに喜こんでいただくにはどうしたらよいか。
いつもずっと考えてました。
今まで、お客さんのご要望で企画して、出来上がったものを提供していただけでは。

シンガポールに戻り、クルーズ下船後、
もうひとつの楽しみであったバリ島。
奮発して、リッツカールトン(現アヤナ・リゾート)に宿泊。

バリ島でも、クルーズから頭が離れない。
バリが完全に色褪せました。

クルーズの金額は、通常の海外旅行に行くよりも、お手軽に行くことができ、
お金の心配なく、思いっきり贅沢ができる。
一部の成功者だけのものではない、誰でも乗ることができる。

私はこれでやっていく!!
クルーズ初乗船は、私の人生を変えた出来事でした。
バリ島

私の職歴⑰ ~ビガー・トラベル・サービス設立~

久しぶりの日本。


全てに驚きました。
こんな静かだったとは!

まず、町に人が殆ど歩いてなく、静かなのです。
全てが綺麗で清潔。
ゴミが落ちてません。

そんな綺麗で清潔なので、
家から出るたび、自分は臭くないかを何回も確認しました。
みんな私の事を見ていると錯覚も起こしました。
それが3か月続きました。

また、日本人の表情が暗い。
生きているのか、死んでいるのか。

あと、静かなのに、音にも気になりました。
風呂にお湯をためると自動音声。信号では、音楽が鳴ったり、
駅でも、自動アナウンス。
どこに行くにも自動音声は改めて驚きました。

まずは、お世話になった会社へのご挨拶。
東京本社、大阪支社へ。
それから、私のお客様へのご挨拶。

ビガー・トラベル・サービス設立


会社設立に向けて準備しました。
お客様からいろいろ協力いただき、
2002年8月22日 ビガー・トラベル・サービス設立。
旅行業の許認可も2002年9月17日取得。

社名である、ビガー:Vigourとは、元気という意味で、
私が取り扱う旅行で、お客様に元気になっていただく。
そして当社もいつでも元気でいよう。
私がこの国を元気にするぞ!!

お客様に期待以上のものを。
良い意味で期待を裏切りたい。

頑張ってきてよかった。
生きててよかった。
と、思っていただけるのを目標に。

実家の私の部屋で一人でスタート。

勝手をしてカンボジアに行ったにも関わらず、
開業後、カンボジアに行く前のお客様全員に、
ありがたく、お仕事をいただきました。

値段だけの勝負をしていたら、こんなことは絶対にありえません。

自宅の一室であっという間に1年。
いつまでも実家に居候するのは申し訳なく、
近所にワンルームを借り、
事務所も江坂駅徒歩5分のビルに引っ越しました。

仕事の方も、ぎりぎりでしたが、何とかやっていけるようになり、
ここで、もっとステップアップするべく、社員を募集ました。
5人の女性が応募していただき、面接しました。

社員だった頃にも、面接をしたのですが、責任感が全然違います。
ありがたく応募して来社した方より、私の方が緊張してました。

旅行会社は、募集したらすぐに応募が来ます。
旅行は誰が行っても楽しいもの。
それを仕事にするには、全く違うのでしょうか。
業界自体、拘束時間が長く、その割には他業種と比べ給料が安く離職率が高い。

私も旅行会社に入るまで、旅行会社といえば、
駅前、ショッピングセンターのカウンターしかイメージがなかったのですが、
それは大手だけで、個人でやっているところは、
自宅、雑居ビルの1室が殆どです。

来客もあまりなく、来るのは取引先の旅館、ホテル、バス、
ホールセラー、ランドオペレーターの営業が殆どです。
お客様にお越しいただくのは申し訳なく、
こちらからお伺いするのが殆どです。

スタッフに恵まれて、売り上げも年々伸びていきました。

会社移転


私の母親が大阪・吹田市で喫茶店を営み30年が過ぎようとしてました。
喫茶店は、開業した昭和55年頃は、売り上げも良く、
近所には会社が多く、朝、7:00の開店前にもお客さんが並び、
毎日の日替わり定食もかなりの数がでてました。

また、夕方で喫茶店が終わり、夜からは一杯飲み屋をやり始めました。
繁盛したようですが、一人で朝から深夜まで営業した上に、
母子家庭でしたので兄、妹、私と三人の子供の世話。
体を壊し夜は辞めました。

時代は流れ、周辺にはコンビニも数軒。
仕事の合間に喫茶店に一服という、風習も殆どなくなりました。
売り上げも激減し、体力もきつくなってきた。

そういう経緯で、それだったら、私がそこを旅行会社に。
と、いうことになり、親子の甘えを一切なしにして、
きっちり賃貸契約を結び、相場より高い金額を
1日でも遅らせない約束で引き継ぎました。

ビガー・トラベル・サービス            ○30年間喫茶「Woody」お疲れ様でした!!

最低限の改装をした後、
お客さん、お取引先からたくさんのお祝いをいただき、
2006年5月移転開業。

夢の1階の店舗。
お客さんがわんさか来る!!

これで営業に出向かなくても、お客さんが来てくれる。
と、思ってました。

そうです。人生そんな甘くありません。
開店後、1週間してもお客さんは一人も来てくれません。

来ないなら、今まで通り、こちらから攻めていくのみ。
甘い考えは1週間で捨てました。

ありがたく、お客さんがお客さんを紹介していただき、
応援していただき、順調に伸びていきました。

そんなある日、事件が起こります。
会社存続の危機です。
ビガー・トラベル・サービス