おかげさまで17期目

■17回目の誕生日■


5月決算で、6月1日から17期目を迎えることができました。
ビガー・トラベル・サービスが存在しているのは、
皆様が応援していただいているからです。
本当にありがたく、感謝いたします。

社名のビガーとは、英語でVigour。
元気という意味から社名はこれしかないと思いつけました。

私の旅行で、お客様が元気になっていただきたい。

元気に頑張ったら、こんないい事があるんだ。
これがあるから、日々どんな事でも乗り越えられる。
頑張ってきてよかった。
生きてきてよかった。

私自身もいつでも元気で、何かあった時には、
何でこの社名をつけたのかと初心にかえります。

■クルーズをやりはじめて世界が変わった■


クルーズをやってなかったら、17期目は迎えることができなかったかもしれません。

旅行業は、売り上げを上げるには団体ありきで、
私も社内旅行などの団体ばかりを追ってました。

2008年リーマンショックから、団体旅行が減少し、
私のお客様の会社も殆ど中止になりました。

その前から、クルーズに憧れがあり、動き出していたので、
駄目なので、クルーズに動いたのではありません。

それまでの仕事は、大阪のお客様のみでしたが、
今では、全国のお客様に応援していただいてます。
昨年47都道府県制覇しました!

以前は、難しかったと思いますが、
今では、インターネットを入り口に、電話、メールにて、
流れ作業でない、顔が見える、やり方を行うことができます。

旅行業は、粗利10%が基本で、顧問税理士が驚く程利益が少ない業種。
次に繋げることしか、生き残る道はありません。

クルーズをやってから、どんどん全国にお客様が増えてます。
先週は、神奈川・小田原より、大阪での仕事の合間、我が社へお越しいただきました。
夕食をご一緒して、いろいろなお話をお聞かせいただきました。
どれだけ嬉しく感謝していることか!!

翌日には、愛知・豊田へ。
社員旅行でアジア・クルーズの最終日程表をお持ちし、ご挨拶へ。

全国の人との出会いがあります。
今、最高に楽しく、幸せを感じます。

私の職歴⑳ ~クルーズ専門旅行会社へ~

クルーズ販売開始!


2008年1月の初クルーズ乗船後、全てがクルーズ一色。
販売するにあたり、右も左も分かりません。
どこで仕入れて、どのように販売するのか。

まずは、ホームページを立ち上げべく、デザイナーさんと知り合い、
綺麗なホームページを作っていただきました。

ホームページオープンの2週間後、
東京のお客様からお問合せいただき、即決定!!

それまで、地域のお客様、遠くても関西のお客様しか、
お取引することがなかったのですが、
日本全国、海外移住の日本人のお客様からも、
お問合せをいただくようになりました。
ホームページ、インターネットの凄さを初めて実感しました。

インターネット以外にも、パンフレットを3万部を業者に作成。

朝5時からのポスティング。
駅前でパンフレット配り。
パンフレットと別にその時期に合わせたおすすめのコース・代金を添えて配布しました。

印刷して織り込みの作業。これがかなりの労力と金額です。
初めは、カラーで印刷してましたが、トナーが1週間ももたなく、
トナーをそのたびに購入しましたが高く、予想以上になくなるのが早い。
その後、白黒にしました。
それをパンフレットと3つ折りに。
これがかなりの労力。一日配る分を折るのが2時間。
広告代理店にお願いした方が能率が良く、安くついたと思います。
その道で生計を立てているプロにお任せすべきでした。

3万部配って決定したのが3件。

新聞広告も行いました。
何回か出しましたが、お問合せはいずれも皆無!!

ポスティング、駅前の配布、新聞広告、効果がありません。
一番効率が良いのは、私のお客さんに提案すること。
これが一番確実に取れます。
そこからご紹介していただき営業に行く以前と全く変わらないやり方です。

それ以外は、ホームページです。
本当にありがたく、全国からお問合せをいただきます。

あくまでホームページは窓口。
ホームページからのお客様も一回だけでなく、
さらにはクルーズだけでなく、旅行に行くなら、ビガー・トラベル・サービスに。

クルーズだけではなく、全て取り扱うので、
空港チェックインから、ホテル、送迎、
クルーズの楽しみ方、帰国まで、
安心して楽しんでいただけるように、全力で挑んでいます。
「想像を以上の満足を」が私の使命です。

丁度その頃、リーマンショックで、団体旅行、会社の社員旅行が中止。
クルーズ以外の仕事殆どがなくなりました。

クルーズは個人旅行なので、殆どキャンセルはなかったです。

クルーズの仕事も徐々に増え、それまでの団体旅行も徐々に復活した頃、
2011年3月11日 東日本大震災。

こちら関西でも自粛ムードになり、一般の旅行は全てキャンセル。
この時もクルーズは、キャンセルになりませんでした。

こういう時だからこそ、被害のない西日本では、
元気にバンバン日本全国にお金を回すべきです。
一緒になって自粛してては、沈んだままで立ち上がれません。

旅行は、生活に直結しないので、最後の最後です。
半年間は、新規予約がありませんでした。

私の職歴⑰ ~ビガー・トラベル・サービス設立~

久しぶりの日本。


全てに驚きました。
こんな静かだったとは!

まず、町に人が殆ど歩いてなく、静かなのです。
全てが綺麗で清潔。
ゴミが落ちてません。

そんな綺麗で清潔なので、
家から出るたび、自分は臭くないかを何回も確認しました。
みんな私の事を見ていると錯覚も起こしました。
それが3か月続きました。

また、日本人の表情が暗い。
生きているのか、死んでいるのか。

あと、静かなのに、音にも気になりました。
風呂にお湯をためると自動音声。信号では、音楽が鳴ったり、
駅でも、自動アナウンス。
どこに行くにも自動音声は改めて驚きました。

まずは、お世話になった会社へのご挨拶。
東京本社、大阪支社へ。
それから、私のお客様へのご挨拶。

ビガー・トラベル・サービス設立


会社設立に向けて準備しました。
お客様からいろいろ協力いただき、
2002年8月22日 ビガー・トラベル・サービス設立。
旅行業の許認可も2002年9月17日取得。

社名である、ビガー:Vigourとは、元気という意味で、
私が取り扱う旅行で、お客様に元気になっていただく。
そして当社もいつでも元気でいよう。
私がこの国を元気にするぞ!!

お客様に期待以上のものを。
良い意味で期待を裏切りたい。

頑張ってきてよかった。
生きててよかった。
と、思っていただけるのを目標に。

実家の私の部屋で一人でスタート。

勝手をしてカンボジアに行ったにも関わらず、
開業後、カンボジアに行く前のお客様全員に、
ありがたく、お仕事をいただきました。

値段だけの勝負をしていたら、こんなことは絶対にありえません。

自宅の一室であっという間に1年。
いつまでも実家に居候するのは申し訳なく、
近所にワンルームを借り、
事務所も江坂駅徒歩5分のビルに引っ越しました。

仕事の方も、ぎりぎりでしたが、何とかやっていけるようになり、
ここで、もっとステップアップするべく、社員を募集ました。
5人の女性が応募していただき、面接しました。

社員だった頃にも、面接をしたのですが、責任感が全然違います。
ありがたく応募して来社した方より、私の方が緊張してました。

旅行会社は、募集したらすぐに応募が来ます。
旅行は誰が行っても楽しいもの。
それを仕事にするには、全く違うのでしょうか。
業界自体、拘束時間が長く、その割には他業種と比べ給料が安く離職率が高い。

私も旅行会社に入るまで、旅行会社といえば、
駅前、ショッピングセンターのカウンターしかイメージがなかったのですが、
それは大手だけで、個人でやっているところは、
自宅、雑居ビルの1室が殆どです。

来客もあまりなく、来るのは取引先の旅館、ホテル、バス、
ホールセラー、ランドオペレーターの営業が殆どです。
お客様にお越しいただくのは申し訳なく、
こちらからお伺いするのが殆どです。

スタッフに恵まれて、売り上げも年々伸びていきました。

会社移転


私の母親が大阪・吹田市で喫茶店を営み30年が過ぎようとしてました。
喫茶店は、開業した昭和55年頃は、売り上げも良く、
近所には会社が多く、朝、7:00の開店前にもお客さんが並び、
毎日の日替わり定食もかなりの数がでてました。

また、夕方で喫茶店が終わり、夜からは一杯飲み屋をやり始めました。
繁盛したようですが、一人で朝から深夜まで営業した上に、
母子家庭でしたので兄、妹、私と三人の子供の世話。
体を壊し夜は辞めました。

時代は流れ、周辺にはコンビニも数軒。
仕事の合間に喫茶店に一服という、風習も殆どなくなりました。
売り上げも激減し、体力もきつくなってきた。

そういう経緯で、それだったら、私がそこを旅行会社に。
と、いうことになり、親子の甘えを一切なしにして、
きっちり賃貸契約を結び、相場より高い金額を
1日でも遅らせない約束で引き継ぎました。

ビガー・トラベル・サービス            ○30年間喫茶「Woody」お疲れ様でした!!

最低限の改装をした後、
お客さん、お取引先からたくさんのお祝いをいただき、
2006年5月移転開業。

夢の1階の店舗。
お客さんがわんさか来る!!

これで営業に出向かなくても、お客さんが来てくれる。
と、思ってました。

そうです。人生そんな甘くありません。
開店後、1週間してもお客さんは一人も来てくれません。

来ないなら、今まで通り、こちらから攻めていくのみ。
甘い考えは1週間で捨てました。

ありがたく、お客さんがお客さんを紹介していただき、
応援していただき、順調に伸びていきました。

そんなある日、事件が起こります。
会社存続の危機です。
ビガー・トラベル・サービス

私の職歴③ ~読書との出会い~

読書のきっかけ


学生時代、働き出してからも、全くといっていいほど、読書をすることがなかったのですが、
本を読むきっかけがありました。

私のお客様で、大手出版社にお世話になっております。

その出会いが、飛び込み営業を始めた頃、何にも知らなく、
大手でもどこでも、躊躇せずに飛び込んでました。

そこの出版社は、仕事の付き合い上、大手旅行会社との取引があり、
どこの馬の骨かわからないものを使うわけありません。

その時の幹事は、管理職になったばかりで、初めての社内旅行の幹事。
失敗は許されません。
そんな時に私が何回もお伺いして、やっとお会いすることができました。

大手旅行会社との相見積もり。
大阪から新幹線・JRを利用し、高知駅から貸し切りバスで高知に宿泊するコース。
秋のハイシーズンの週末。
JR団体の席が、とれるかどうか分かりません。

どちらの旅行会社にするのか、決定の最終段階になり、
その方に、「本当にとれるのか?」と、聞かれ「絶対にとります!」と答えてしまいました。
根拠のない絶対はありません。
しかし、その時、「やってみないと分かりません」では、取れなかったかもしれません。

今、考えたら、「団体枠で取れない場合、1か月前発売の個札で対応し……
確約はできませんが、全力を尽くします!」としか言えません。
その時は、どんなことがあってもこの仕事を取ろうと。

その結果、決定しました。
が、新大阪―岡山 往復の新幹線、岡山―高知の往路は手配OK。
帰りの高知―岡山だけがが、いろんな手を尽くしても、どうしても取れません。
「絶対にとります!」と言ったので、会う顔がありません。
どうしよう。
その時は、本当に悩みました。正直逃げたかったです。

こんな時にいつも思い出すのが、母からの言葉です。

小学校6年生の時、空手道場に通ってました。
その道場が小学校で空手大会を催し、私も型を披露することになってました。

夏休みの土曜日で、友達とプールに遊びに行っててっきり忘れてました。
夕方帰ってきて、ハッと今日が空手大会だと気付きました。
ああどうしよう。
今から行っても終わっているかもしれない時間だし、
大勢の人の前で叱られるのは嫌だし、恥ずかしいし、怖い。

その時、母が「一回逃げたら、一生に逃げることになる。
 行って思いっきり叱られて、スッキリしてきなさい」

もう終わっていて、片付けをしているところに、正直に謝りました。
かなり怒られましたが、次に道場に行くときは堂々と行くことができました。
この体験が、今でも事あるごとに思い出されます。
どんな時でも、どんな状況でも逃げるなと自分に言い聞かせてます。

お客様に正直に状況を伝えに謝罪に行きました。
「精一杯手を尽くしたのですが、高知―岡山間のJRがお取りできなく、
嘘をつく形になりました。本当に申し訳ございません。」

高知~岡山間は、バスで移動することになりました。
その時は、かなり叱られました。

当日、もちろん私が添乗で同行。
絶対に皆さんを期待以上に喜ばせて、幹事さんに恩返しをする。

1993年 9月25日(土)‐26日(日) 高知旅行が無事に終わりました。
旅行中、話の流れで今日が私の誕生日と告げると、
宴会、二次会で皆さんにお祝いされ、一生忘れられない誕生日となりました。

その方も独断で、旅行会社をすんなり変えることはできません。
数年後に人づてで聞いたのですが、その時、支社長に
「面白い奴がいるので、そいつを何とか使わせて下さい。
何かあったら私が責任をとります。お願いします。」
そんなことがあったのです。

その方は、その10年後に支社長に昇進され、
社内旅行は、それから毎年、今でもお世話になっております。

ある日、その社員の方との話で、
「森本さん、作家は1ページ書くのに、どれだけの資料を用意するかわかりますか?
 両手一杯に入った紙袋、それ位の裏付け、確認が必要なのですよ!」
聞いて衝撃を受けました。

著者が全てをかけて、考えに考え、調べて裏付けをとり、責任もって世に出す。
また、人は一生うち、どれだけ人に会い話をできるのか。
ましてや、本音で話してくれるのは、ごくわずかで限度があります。
読書は、その著者と出会い、考え、本音を見聞することができます。

両手一杯の資料を1ページ1分で読むことができ、
1冊1,000円もかからない。昼食代より安い。
こんな素晴らしいものをなんで今まで気付かなかったのだろうと、
その日から書店に行き、興味のある本を読みあさりました。

その頃、平均したら1週間に一回のペースで添乗に出ていたので、
バス車内、旅館に到着し宴会前、宴会後は、かけがえない読書タイムになりました。

いろんなジャンルの本を読んでいるうちに、落合信彦さんと出会いました。

・狼たちへの伝言
・変わろうとしない奴はもういらない
・勇気の時代
・今がどん底 這い上がるしかないじゃないか
・崖っぷちで踊るヤツすくむヤツ逃げるヤツ  人生をもっと本気でプレイしたくなる本
・明日は、世界を
・「豚」の人生「人間」の人生
・「ケンカ」のすすめ 戦いの数だけチャンスがある
・10年後の自分が見えるヤツ 1年後の自分も見えないヤツ
・1度の失敗であきらめるヤツ 10度の成功でも満足しないヤツ

書店で題名だけをみても、鳥肌が立ち、目頭が熱くなりました。

人生は一度きり。
やらずに後悔するのは、あまりにももったいない。
やりたいと思ったことを、勇気をもって一歩踏み出し、精一杯やろう。
もし、それがダメだったとしても、精一杯やったら、学び経験になる。

いざ カンボジアへ!


1999年 一般旅行業務取扱主任者を取得。
仕事も遊びも何をやっても楽しかった時期。
目標であった旅行会社を開業準備できる。

完全歩合で、会社に無条件で年間かなりとられていて、
独立したら、逆に楽になりやっていけるどころが、さらに頑張って上を目指せる。

そんな時、カンボジア・プノンペン&タイ・バンコクへ仕事が決まり、
2000年2月、私も添乗で同行することになりました。

海外旅行では、海外のホテル、車、ガイド、食事等、
直接取引するのはお互いリスクがあります。
どんな大手旅行会社でも、ランドオペレーター(海外現地旅行会社)を通して手配します。

取引しているランドオペレーターにカンボジア&タイを手配しました。
そのランドオペレーターは、東南アジア専門。
本社は東京で、国内支社は、仙台、名古屋、大阪、福岡にあり、
海外では、タイ、ベトナム、ミャンマー、カンボジアに拠点があります。
主に日本人観光客を取り扱います。

その会社がカンボジアで日本人スタッフを求人してました。

大阪の営業の方に話を聞いたら、カンボジアはクレームだらけで、正直まいっている。

首都のプノンペンは、観光客はめったにくることはなく、
これから伸びるのは、アンコール遺跡の玄関口の街、シェムリアップ。

海外拠点は、グループ会社ですが、その国によって会社が変わります。
カンボジアの社長は、プノンペン在住で、なかなかシェムリアップに行くことができない。
目が届かないから、みんなが好き勝手にやって、お客さんからクレームだらけ。

カンボジアに添乗に行った際、カンボジアの社長に話を聞こう。

始めの1泊は、バンコク。
シャングリラに泊まり、タイ・味の素さんが手厚く接待。
アジアでは、「こんにちは」は、分からなくても「アジノモト」は通じます。

お客様は、食品会社の社長の集まりで、年一回海外旅行へ。
バンコクでの行程を無事に終え、カンボジア・プノンペンへ。
バンコクからの飛行時間は1時間。
この1時間で、タイムマシーンで50年戻る感があります。

プノンペンのホテルは、「シャラトン」。書き間違えではありません。
その名のとおり、設備、サービス、全てがシャラトン。
お客様は、シャングリラとのギャップ、プノンペンの雰囲気に終始圧倒され続けました。

昼食レストランで、カンボジアの三浦社長と初めてお会いし、
カンボジアの状況ついてお聞きしました。

それにしても黒く、日本人離れして、話し方もちょっと違う。
長く住んでいるとカンボジア人に似てくるのだと思っていたら、
カンボジア人で、ポルポト時代(1975-79年)に、命からがら、カンボジアを脱出し、
日本に難民申請し日本に移住。
10年間、横浜で働き、その間に日本国籍取得。

そこのランドオペレーター社長と、三浦さんと知り合い、
1991年カンボジアへ戻り、会社設立。
年齢は、私より一回り上です。

三浦社長は、カンボジアで、相当な権力を持っており、
将来、政治家を経て、次期首相候補とみんな噂してます。

そんな三浦社長から、
「クレームたくさんで、日本からいつも言われて頭が痛い。
森本さん、シェムリアップを立て直してくれませんか。」

その頃のカンボジアには何もなく、これから発展する国。
内戦も終わり、これから治安がよくなる。
旅行業でみたら、カンボジアは、間違いなく観光客が、急増加する。
日本からも近く、日本人も急増加する。
旅行業以外にもチャンスがあります。

カンボジアでやりたい!
今しかない!

帰りの飛行機の中で決心しました。

クルーズでの食事

旅の楽しみは「食」


クルーズでは、代金に食事が含まれております。
3食はもちろんの事、小腹がすいたら、いつでも用意しております。

【ディナー】
基本は、メインダイニング。
メニューは、毎日変わり、
前菜、スープ、メイン、デザートが各3-5種類から選べます。

私は、最近では量を控えるようにしてますが、
以前は、前菜を2品注文したり、
メインを2品、魚料理と肉料理を頼んで食べてましたが、
クルーズを降りたら、3kg増!
いくら運動をしても、食べ過ぎ状態。

今では、普通の量を注文します。
それで満腹になり、夜お腹がすくことはありません。
それでも夜中に小腹がすいたら、リド(ビュッフェ)で、
サンドイッチ、フルーツ等が用意されてます。

【ディナーテーブル】
通常、テーブル・席が決まっており、クルーズ中はずっと同じ席になります。

2回制で、1回目(メイン・シーティング):18:00頃~
2回目(セカンド・シーティング):20:30頃~
から選ぶことができます。
日本人、アメリカ人はメイン・シーティングが多いのですが、
ヨーロッパの方は、セカンド・シーティングを好みます。

最近、船会社では、フリーシーティングの設定が多くなってます。
レストランの営業時間中、お好きな時間に自由に行けます。
私は、いつもフリーシーティングをリクエストし、
好きな時間にいけるようにしてます。

テーブルは、2、4、6、8、10人以上用があり、
お手軽なカジュアルクラスでは、殆ど2人用はなく、
他のお客様と相席が基本です。
船がよくなるにつれ、2人用が多くなるイメージです。

船会社によっては、全てのお客様がフリーシーティングもあります。

【メインダイニング以外のレストラン】
メインダイニング以外も、リド(ビュッフェ)、スペシャリティ・レストランがあります。

他のレストランに行く場合、
メインダイニングのテーブル・席は、そのまま取っておりますが、
特に連絡する必要はありません。
お好きにその日の気分でレストランを選ぶことができます。

【スペシャリティ・レストラン】
船により、さまざまなレストランがあります。
イタリアン、フレンチ、アジアン、寿司など。

テーブルチャージ $20~50-別途必要ですが、(船会社によっては込み)
お好きなメニューを注文いただけます。
メインよりも食材、雰囲気が良く、代金以上の価値があります。

テーブル・席が決まっているのは、ディナーのみ。
朝食、ランチは、お好きなレストランに行くことができます。

旅の楽しみは、なんといっても「食」です。
各船会社、料理を競っており、顧客獲得の為、奮闘してます。

やはりクルーズ代金と料理も比例してきます。
大型船では、何千人も乗船するので、細やかなサービスはできません。
その為、大型船はカジュアルクラスになります。

ステーキの焼き加減では、大型船では殆ど不可能です。
そもそもカジュアル船では、焼き加減等を聞く料理はでてきません。

代金が高くなるにつれ、食材、サービス、盛り付け等も変わります。
例えば、出てくるロブスターでも、
見た目は同じでも、殻と身の部分が丁寧にカットされていたり、
まず、食材が良いので何を頼んでも美味しい。

クルーズ船=豪華客船といいますが、
どの船会社を選ぶかによって、全てが変わります。
私は、行先・方面以上に、どの船会社にするのかの方が重要です。

代金が高くなれば、内容も良くなるのは当たり前ですが、
代金のバランスを考え、少しの差で全く違うような内容になる場合があります。
それを提案し、予想以上の満足いただけるのが私の使命です。