カンボジアから1枚の写真
今年5月中旬 カンボジアのチャンヤさんから1枚の写真が送られてきました。
説明も何もなく、葬式のような写真?
誰か亡くなった?
何の写真から分からなく聞きましたら、お別れの会の写真。
お別れの会の写真は上倉さんでした。
つい一ヶ月前、誕生日にお祝いメッセージを送ったら、
「ありがとうございます‼️
カンボジア、激暑です。
食欲がなく、コーラばかり飲んでます。」
お元気そうだと安心しました。
上倉さんとの出会い
夢を追い求めて行ったカンボジア。
自分なりにやりましたが思うようにいかず、日本へ帰りたいという気持ちが。
そんなある日、会社の斜め前にロイヤル・アンコール・ホテルが完成。
オープニング・セレモニーで初めてお会いしたのが、
そのホテルのGM(総支配人)が上倉さん。
その当時、シェムリアップで私が食べるところがありませんでした。
シェムリアップに来て1カ月で10kg減ったほど。
よく通っていた近所の食堂では、焼き飯、焼きそばにハエが1~2匹入っているのは我慢できましたが、10匹以上入っていた時があり、もうこの店には来ないと誓いました。
違う食堂では、テーブルのど真ん中に大ゴキブリがのっしのっしと闊歩。
カンボジアのゴキブリはのんびりしている。
店の人に苦情を言ったら、「何を言ってるの?」と、逆に変人扱い。
皆に笑われました。
ロイヤル・アンコール・ホテルのレストランは、出来たばかりなので綺麗で、お手軽で、
なかなか美味しい。毎日のように、一人で昼食を食べに行ってました。
ある日偶然、上倉さんがレストランにいて、一緒に食事をすることに。
初めて話したのはその時です。
「なんで声をかけてくれないんですか!水臭いなぁ~!!」
ザ・社交辞令。と、始めは思っていましたが、
意気投合し、どんどん親しくなってきました。
上倉さんは私より4つ年上。
タイ・バンコクでランドオペレーター(現地旅行社)、カンボジア・プノンペンではホテルに勤務。
その時点で10年以上海外で過ごしていました。
正直、初めは良い印象は一つもありませんでした。
個性的にも程がある(癖が強い)
言葉がきつい(毒舌)
が、私にはちゃんと立ててくれ、認めていただきました。
その頃、シェムリアップで初めての日本食レストラン「銀河」がオープン。
シンガポール人がオーナーで、プノンペンに本店がある。
店内のBGMは五輪真弓の1枚のCDがいつ行っても垂れ流し。
聞き飽きて気分が悪くなる程。全ての曲を覚えてしまいました。
一緒によく行きました。
上倉さんは冷麺大盛ばかり注文していたのを覚えてます。
そんなある日、上倉さんからホテルを辞めたいとの相談されました。
あまり人とうまくいっていなく、私が働いている会社で一緒にやりたい。
私も日本に帰りたいと思っていたので、私と入れ替わったら、会社に迷惑がかからない。
ただ上倉さんの条件が一つあり、私と1年で一緒に仕事がしたい。
私は以前より、友人とは一緒に仕事はしない。友人でなくなるという考えがありました。
伝えると、どんなことでも徹底的に話し合って、お互い絶対ストレスはためない。
必ずできます!!
細かい事も話しあって、これならいけると確信しました。
私の一存では決めれません。
三浦社長に話したら、即「OK!!」。
そのカンボジアの会社の社長は、三浦 キリブットさん。
ポルポト時代に命からがら日本へ逃げて亡命し日本国籍を取得。
初めてお会いしたのが、私がお客様をお連れして行ったプノンペン。
事前に日本人スタッフを募集していたことを知っていて、
詳しくお聞きしたく、ツアー中にメコン川のレストラン、
肌が黒く、日本語も癖があったので、長く住んでいたらこういう風になるんだと思ってました。
三浦さんはカンボジアでは有力者で有名人。
いずれ議員になり次期首相候補と言われてました。
会社はプノンペンが本社でシェムリアップが支店。
三浦社長はプノンペン拠点に住んでおり、シェムリアップに来るのは年に数回。
シクロ(自転車タクシー)でアンコール遺跡を廻るツアーがあれば面白い。
ただシェムリアップにはシクロがいません。
三浦社長に相談すると、翌週プノンペンから20人がシクロでシェムリアップに来ました。
この方たちの寝泊りは!?「シクロで寝ます」
給料はどのように!?「一回走れば$1渡して」
今ではシェムリアップに何十軒もある足つぼマッサージ。
通常営業でお客様が来るし、オプショナルツアーで入れる為、流行るのでやりたいと相談。
プノンペンの台湾人経営のベンツサウナから中国人施術士が翌週にはにシェムリアップにきました。
ベンツサウナは台湾マフィアがオーナーという噂があり、
実際サウナ内は全員派手な模様の体で、何人も殺ってきたという顔ばかり。
よくそんなところから、すぐに引き抜いてきたものです。
シェムリアップで初めての足つぼマッサージがオープン。
第一号のお客様として三浦社長。
施術の際、ズボンを上げたら、足に100以上のの穴の傷跡。
驚いて聞くと、ポルポトから逃げる時、ジャングルでパチンコ地雷を踏んだ跡。
カンボジア滞在中、ありがたいことに、全てに即「OK!!」していただきました。
カンボジアスタッフからすれば、そんな人ではないということで、
きつく、細かく、意見が通らないことが殆どだということです。
三浦社長には本当にお世話になりました。今でも感謝しております。
上倉さんは正式にホテルを辞めて入社。
シェムリアップには不動産屋、アパートはなく、家を見つけてここを借りることはできるかを直接交渉。
ちょうど私の部屋の横が空いていたので、横に引っ越してきました。
横同士で話し声もかすかに聞こえるのですが一切干渉しない。
緊急重大の場合以外はノックしない。
そこまで話し合いました。
社内の仕事は上倉さん。日本への情報発信、提案、回答。
社外の仕事は私。日本からのお客様の対応、オプショナルツアー販売。
これが大成功。
肩の力が抜け、こんなに違うのかと思うほど楽になりました。
クレームは皆無になり、日本からのお客様はどんどん増えていきました。
トラブルがあれば、力をあわせてなんなく乗り越えれる。
毎日が充実して楽しかった。
土曜日は午前のみ半ちゃんですが、三浦社長、スタッフに内緒で、
二人で朝から1泊のカジノツアー。タイとの国境ポイペット、プノンペンへ。
横同士のスロットを日本の歌を二人で歌いながら夜中まで。
ある日、上倉さんの知人がシェムリアップに、
プレイステーション(ファミコン)とプロレスゲームを持ってくるとの事。
シェムリアップでは娯楽がなく、プロレスゲームを一緒にできるのが待ち遠しく、
ずっと楽しみにしてました。
その日の仕事そ早く終わり、上倉さんの部屋でプロレスゲーム大会を開催。
ハッピーピザを夕食に持ち帰り準備万端。
さあ、やりましょう!!
私も興奮して、コンセントに差し込み電源ON!
その時、上倉さんの叫び「あー!!」
電源を入れた瞬間、ボンと煙が上がり、壊れてしまいました。
日本は100V。カンボジアは220V。
一瞬の出来事で二人で唖然としたのが何時間にも感じました。
結局一度も電源が入らなく、見ることもできなかった。
仕事も遊びも何をやっても楽しく、今から考えたらこの時期が一番輝いていました。
今、私があるのは上倉さんのおかげです
私は2002年3月末で退職。日本へ帰国。
上倉さんは仕事も好調で、シェムリアップに土地を購入し何十倍にも高騰。
外国籍は買えないので、会社スタッフ名義。
広い一軒家に住み、マイカーはナビ付のレクサス。
どう考えても赤土でナビはいらないでしょう。
一番の成功者は上倉さんと日本にいる私にも風の噂が届きました。
ご両親がお亡くなりになり、日本には2回帰国。
実家は東京ですが、私に会いに大阪に2回とも来ました。
親族は東京にお姉さんがいらっしゃいますが、
お姉さんには頭があがらなく、ずっと正座して、
「ごもっともです」
「おっしゃるとおりです」
「申し訳ございません」
3つの単語しか言わなかったと。
もう日本には帰る所がなくなったと。
大阪では着いてすぐローレックスを購入。
近所のイオンへ買い物へ。見るもの全てに驚き、全て購入。
CDショップでは近藤真彦ベストなど大量に大人買い。
どれだけ日本に帰っていなかったのか分かりました。
温泉旅館に行ったり、美味しいものをたくさん食べに行き、日本を満喫。
数年前、清さんの誕生日お祝いでカンボジアへ。
清さんは、クルーズをやり始めたころから応援していただいている福島・郡山のお客様。
出会った頃、既に末期がんで余命半年。
クルーズは、体力で皆さんにご迷惑をおかけするとのことで近年は不参加。
二人だったら誰にも気を遣わず、清さんに喜んでいただける。
清さんとは、アンコールワットを半日だけ観光しただけで、
観光するより、隠れ家リゾートホテルのプールで一日中何もしないのが好み。
昼食もプールサイド。
その間に上倉さんと市内のカフェでお茶をしました。
いきなり何も言わずに収めてくださいと、封筒を渡されました。
すぐに現金だとわかりました。
私は上倉さんには、ホームページでの失敗の事は言いましたが、
大変だとは一言も言ってないです。
このブログにも書きましたが、正直大変な時だったことは間違いなかったです。
なんでですか。受け取れません。
「何も言わないでください。妻に相談したらあなたの思うようにしてと了解も得ました」
気持ちだけで十分です。本当にありがとうございます。
「今の私があるのは森本さんのおかげです」
そんな事はなく上倉さんの実力です。私の方が感謝しています。
二人で人目を憚らず号泣してしまいました。
今、私があるのは上倉さんのおかげです。
間違いない事実です。
私の人生での中で重大な事です。
訃報
その後、上倉さんは、同グループ会社のタイ・バンコクの会社へ移動。
バンコクにも会いに行ったりしていましたが、再びカンボジア・シェムリアップに戻る事に。
共に頑張ってきた会社を辞めて、日本の大手旅行会社のシェムリアップ支店へ。
昨年からコロナ禍で仕事が皆無に。
上倉さんからは、スタッフが殆ど解雇されたと。
今年の正月に、私が上倉さんへ長文でのコロナ愚痴に対しての返答。
「森本さんも千佳さんも本当に外出には気を付けて下さいね。」
話が嚙み合ってない。
チャンヤさんからの写真で、信じられなく、シェムリアップの日本人に確認しました。
5/13に大家が異臭がして部屋を確認したところ、
薬が散らばっていた状態で亡くなっていたとのことです。
警察の調べでは死後4日程。
日本の大手旅行会社のシェムリアップ支店を解雇になってから誰とも連絡を取っていなかったようです。
解雇になってエアコンもないアパートに引っ越したようで、
失業で収入が無くロックダウンで飲みにも行けず孤独の中、
うつ病などだったかもしれません。
ご親族などの近い方がいらっしゃらなかったようなので、
上倉さん、私が在籍していた会社スタッフから、
(最後に在籍していた日本の大手旅行社ではありません)
「会社としてせめて小さくても何かしたい」という声があがりお寺でお別れの会が行われました。
ご遺体は使館の管理下で火葬され、遺骨が日本へ移送されるのではないかと思います。
上倉さん
解雇された事、エアコンなしのアパートに住んでいた事、何も聞いてなかったです。
一人で悩み、どれだけ不安で、苦しかったか。
いつも上倉さん口癖でいってたじゃないですか。
「なんで声をかけてくれないんですか!水臭いなぁ~!!」
恩返しまだじゃないですか。
それを目標にずっと頑張っているのに。
私たちがいた、エーペックスのスタッフがお別れの会を開いてくれて、
こんな嬉しいことはないですね。
上倉さんいろいろと迷惑をかけたかもしれないのに。
癖が強すぎて、10人中9人は合わないかもしれませんが、
上倉さんをどんなことがあっても信頼して応援している人が一人でもいたら、
胸を張れる素晴らしい人生だと思います。
上倉さんは、私にとってかけがえない友人であり恩人です。
感謝の言葉しかありません。