私の職歴 番外編 ~私の親友~

我らのジャイアン


中学時代からの同級生で、とにかく人の面倒見が良い奴。
学生時代、柔道で全国的に有名な位、強かったのですが、腰を怪我して断念。

10人かかっても倒せない位、規格外の腕力。
体力だけでなく、頭の回転も速く、悪知恵が働く。
悪友です。

私の職歴に書きましたが、
23歳の時、旅行会社で完全歩合制になり、土木作業と旅行の営業をやっていて、
100円の缶コーヒーを買うか買わないか、1時間以上迷うような時。

その時期に彼は結婚し、披露宴には呼ばれませんでした。
私の状況を知っている、彼なりのやさしさです。

そして、彼が働いている、親族が経営する会社の旅行を、
長い付き合いの大手旅行社から、全て私に。
60名でバス2台、春・秋の年2回。
「赤い風船」から「黒い風船」へと、力ずくで全てコーヤンが、やってくれました。
その頃、からかって「黒い風船」と呼んでいたのもコーヤン。
この仕事が柱になり、軌道に乗り、生活に困ることがなくなりました。

散々お世話になったのに、私の夢を求めてカンボジアに行くことに。
お世話になったお客さんに話し「頑張ってこい‼」と、
送別会が毎日、1ヶ月休みなく続いたのも、
この道を作ってくれた、コーヤンのおかげです。

コーヤンの会社は、私が居ない間、旅行には行っておりませんでした。
カンボジアから帰ってきて、独立して、
また、以前と同じように旅行に行っていただきました。
勝手に行って、勝手に帰ってきたのに。

その頃、コーヤンといろいろな事があり、疎遠になりました。

10年ぶりの再会


約10年後の2015年の2月、何年ぶりかの同窓会があり、
そこで10年ぶりにコーヤンと会いました。

会うのも、話すのも10年ぶり。
居酒屋に入ってくるなり、私の所へきて、
「いろいろあって、お互い言いたいことがあるけど、水に流そうや。」
「わかった」
「けど、結婚して、まだ祝ってもらってないぞ」
私は、この10年の間に結婚しましたが、結婚式、披露宴を挙げていません。

2015年 4月11日(土)レストランを貸し切って、
私たちの披露パーティーを盛大に行っていただきました。
コーヤンが発起人なのですぐに人が集まり、
沢山の人に祝っていただきました。

久しぶりに見るコーヤンは、顔色が悪く気になりました。

その2か月後、お昼に友人から電話。
「コーヤンが亡くなった」

冗談だと、今でも信じられません。
2015年 6月10日、心臓発作。享年45歳。

先週末、コーヤンのお墓参りに行きました。

浜村淳さんがCMしている、池田メモリアルパーク。
山間にあり、朝は清々しく、小鳥のさえずり、優しい風が吹き、
心地よく、幸せな気分になりました。

お墓参りは、通常友人と行きますが、
今週末の命日は添乗が入っているので、今回、初めて1人で行きました。

友人と行ったら、なかなか語り合えませんが、
いろいろとゆっくりと語り、いろんな思い出が蘇りました。

周りのみんなが、コーヤンに支えてもらった。
私も彼に人生を変えていただいた一人です。

いつも与えてもらいっぱなし。
今でも、見守っていただいてます。
「コーヤン、本当にありがとう」しか言葉がありません。

私の職歴㉔ ~感謝~

おかげさまで15周年


2016年 開業して15周年を迎えることができました。
ここまでやってこれたのは、お客様のおかげです。
どんなことがあってもついてきてくれ、支えてくれたスタッフ。
取引先、友人、家族みんなに支えていただきました。

この仕事は最高の仕事です。
たくさんの魅力的な人と出会え、人としてのお付き合いができる。
こんな幸せなことありません。

旅行は、形ある商品ではないので、購入する決め手は、
私という人間の信用しかありません。

形がないからこそ、良い意味でも、悪い意味でも、期待を裏切ることができます。
その期待を裏切ることができるよう、精一杯挑みます。

誰しも、日々を精一杯、一生懸命生きています。
そんな日常から、
「頑張ってきてよかった」
と、旅行を通じて思わせたい。

ボロボロの中古バイクで、いきなり飛び込みで来て、
どこの馬の骨ともわからないものを受け入れていただきました。
25年たった今でも応援していただいてくださるのは、私の財産です。

感謝の言葉しかありません。

これからは私が恩返しする番です。

カンボジア

私の職歴㉓ ~新たなスタート~

どんな事があってもクルーズをやりたい。


約2年、新規の仕事がなく、2年間の全労力はホームページ作成。
2年前と比べ売り上げが半分以下に。

2015年8月 信用できるプロの方を紹介いただき、ゼロからスタート。

どんな事があってもクルーズをやりたい。
睡眠時間以外は、ホームぺ―ジ作成に全力を注ぎました。

2015年11月ホームページ公開。
納得いく、ホームページが形になりました。
それに続いて、このブログも新たに公開。

すぐには、問い合わせがある訳がありません。
浸透するまで、コースをつくり続ける以外ありません。

ホームページをオープンしても、すぐには仕事が入ってくるわけがありません。
ホームページを作りながら、約23年ぶりアルバイトへ行くことに。

友人が転職をして、年下から偉そうにつかわれる。
そういう話を聞いていて、大変だなとは思っていても、他人事でした。

アルバイトをするにあたって、年下から偉そうにつかわれるのが恐怖でした。
あたり前のことで、何を甘ったれてるかと、言われそうですが。

海外クルーズの添乗が入ると、2週間休まないといけなく、
事前に分かっているので、短期でのアルバイト。

○ホテルのフロント。
朝から本業を終えた後、毎日18:00~02:00。
ホテルといっても客数58室のラブホテル。
外国人客の急増で、旅館業の認可を取る為には、フロントの設置があります。

ここのチェーンラブホテルは、早くからフロントの設置を行い、旅館業を取得。
それまで外国人客が来て、言葉も何も通じなくて、
トラブルが多く、対応できないとのことで、外国人対応スタッフ。

15台のモニターを見ながら、客室からの注文を取る。
外国人が来たらご案内。

稼働率が高く、客室が空いているのは、殆どありません。
外国人客は、予約サイトより手配。
驚く事に約半分は外国人。
チェックインまで、休憩で部屋を稼働。
次から次へと飛び込みで入ってきます。

宿泊代の設定も強気。
ピーク時には、リッツカールトン並みの代金設定。
トリップアドバイザーも評価は高い。
外国にはラブホテルなるものがないので、逆に新鮮なのだと。

○夜勤パン工場の流れ作業
時給の良いハードなラインでしたので、
0.5秒でも気を抜いたら、ラインが止まってしまいます。

時間が経つのが遅く、なるべく時計を見なく、
自分の中では、1時間と思って、時計を見たら20分しか経ってません。

作業してる間、隣の人といろいろ話すことができます。
丁度、冬休みで、学生が多く、就職が決まってそれまでのアルバイト。
同志社からみずほ銀行へ決まっている方。
喫茶店を経営されていたご婦人。
毎日、人生について語らいあい、楽しかったです。
20歳年下、20歳年上の方と語らい勉強になりました。

○インターネット販売員
日本最大級の商業施設内でインターネットの加入。
土・日曜日では、15万人が来場するという所で、
ここだけの厳しいルールがあり、入退するだけでも、
従業員が商品を盗まないよう厳しいボディチェック。

ここは、社員がアルバイトに対して、偉そうにするのが伝統。
息子ほどの20歳過ぎの新入社員が手招き、
手をパンパン叩いて、「お客さん、待っているぞ!!さっさと動け!!」

いつもだったら、「ちょっと待て」と、200%言いますが、
その頃、身も身体も一番弱っていて、
腹が立つというより、情けなくなる方が強かったです。

若い方が圧倒的に多く、マネジャーでも、私の一回り下。
休憩では、1人で居たいのに、その販売クループで固まります。
手招きされ、しかたなく私も一緒に固まります。
テレビゲームの話で盛り上がり、
会話に入っていける訳がなく、いつも違う方を向いていたのですが、
ある日、無理をして、会話に入って何か言いうと「シーン」。
これは辛かった。もう無理はしないと決めました。

インターネット契約をとるには、パソコンを探しているお客さんに、
まずは、パソコンを販売し、その延長でインターケット加入契約。

何も知らなかったパソコンの基礎知識を学び、来店するお客さんに説明。
素人が説明するので逆に分かりやすかったのだと思います。
来店したお客さんは、私の成績にすべく、指名して買っていただけるのですが、
その先のインターネット契約まではなかなかでした。

ここに行くのは気が重かったけど、一生懸命販売しました。
手を抜いたら、運が下がる気がして。

アルバイトと本業とホームページのコース作成の日々。

そうしているうちに、ホームページのアクセスも徐々に上がり、
問い合わせと連動して決定も増えてきました。

また、奇跡が起き始めました。
クルーズ、クルーズ以外の旅行の仕事もどんどんと決まりだしました。
そしてアルバイトは、卒業しました。

アルバイトをして、嫌というほど勉強になりました。
どうやったら人は喜んで動くか。どうやったら動かないか。
お金のありがたさ。

そして、私のお客さんのありがたさ。

そんな状況の中でも売り上げがあり、やってこれたのは、
お世話になっているお客様のおかげです。

お客さんが応援していただいたおかげで、
会社を潰すことなく、続けることができました。

いつも「頑張れ!!」「頑張れ!!」と、応援してくれます。
こちらがお世話になっている立場なのに。
本当にありがたく、こんな幸せなことなありません。

いつも感謝してますが、それまで以上に感じました。

私の職歴㉒ ~最大の危機~

天国から地獄へ


2014年 クルーズを始めて5年。
通常の旅行とクルーズとが、売上、利益ともに並びました。

ホームページから、ありがたく、関西だけでなく、全国からお申込いただきました。
乗りに乗っている時。
ここで満足することなく、先に進みたい。

ある日、商工会議所主催の「ITを使い売り上げ倍増」セミナーに参加。

ITのことなど、全く知らなかった純粋無垢な私は、
商工会主催の講師なので信用できると、
その方に毎月1回、来社してもらい、ホームページをよりよくべく、
支援契約をしました。

約3か月支援を受け、これはこうやった方が良い。
こういう企画、これは特許を取った方が良い。
いろいろなアイディアがでました。
旅行には行った事がない人だったので、素人感覚の意見も重要だと聞き入れ、
今回は、言う通りにしようと思いました。

そのアイディアがホームページに反映するには、
それまでのホームページ作成の人はまた別で、システムを構築していたので、
作成者が入って操作をしないと難しいとの事。

いっそのこと、その人にホームページを1から作ってもらった方早い。
全てを託そう。

スタッフは、その頃、完全にその講師を不審に思っていました。
話していて、笑ってごまかす癖があり、
知識がない事を見抜いていて、反対してました。

私も、おかしい部分があるのは気付いてましたが、
怖がっていては、前に進めない。かけてみようと思い、スタッフを説得しました。

初めに質問票を記入するところから始まりました。
・会社の強み ・ホームページに何を求めるか ・どの客層がターゲットなど、
多岐にわたっての質問に、考えて真剣に取り組みました。
こういう細かい事を分析して、戦略を立てる。

ホームページは、ブログタイプが有利。
なおかつスマホ対応のページで決定しました。

ホームページを作りながら、毎月の支援は続けてました。
いろいろなアイディアを新しいホームページに取り入れるべく。

2014年8月から支援を開始し、10月にホームページ作成契約。
その時期には、今までのホームページの更新を止めて、
新たしいページ作成の為、全力を尽くしてました。

今までのページは、更新をストップしたので、アクセスが徐々に減り、
比例して問い合わせも減ります。

新しいページに生まれ変わり、その分を浮上しよう。

年が明けても、案すらでません。
沢山のアイディアがあって、そのシステム構築で、
苦戦しているのだと思ってました。
焦らして妥協するのは、避けたいので、時間をかけた方が良いものが作れると思ってました。

やっと形になったのは、2015年3月。
試作を見て腰が抜けそうになるほどの衝撃。

前のホームページと全く同じデザイン。
誰が見ても前のページの方が良く、
おもちゃみたいな安っぽいホームページ。
半年お金を支払い、考えたアイディアは一切反映されてません。

その頃は、無知で何も知らなかったのですが、
今までのページは、レンタルサーバーを契約し、
ドメインも10年以上の長いもの。

システムも構築されて、更新が簡単にできたもの。
デザイナーが作ったので、かなり完成度の高いものだったのが、
フリーブログで、容量も少なく、他社の広告が入り、
どうしようもないホームページになってしまいました。

長年、使っていたドメインも、サブドメインになったので、
10年以上積み上げてきたものが、この世から消えてしまいました。
デザインよりもこっちの方が重要でした。

そのフリーブログも地域密着型。
店舗の紹介で、更新ページも少なく、お店の紹介レベル。
それまでに、どのブログか聞いてもはぐらかされてました。

フリーブログなので、容量が少ないので、
写真を載せたら、すぐに容量オーバー。

こんなのでは、クルーズのホームページができるわけない。

この時点で、もう後戻りはできない状況。
それでも何とか前に進もうと、全力で新しいページのクルーズコースを作ってました。

その頃には、新規のクルーズの問い合わせが皆無。

不安で夜も寝れなくなり、その分クルーズコースをひたすら作ってました。
少しは寝ても、叫んで起きてみたり。

1日1時間、寝たのか寝ないのかわからない状態が、1週間続きました。
でも身体は元気。
とうとう私は、寝なくても生きていける超人レベルになったと本気で思っていたら、
1週間後の朝、体が動かなく、とうとう倒れてしまいました。

そんなことがありながら、ホームページを公開したのが、2015年4月。
おもちゃみたいな安っぽいホームページに半年もかかったのです。
ホームページ作成の代金以外にも、毎月支援で支払っていたアイディアは、
全く反映されず、そのうち後から付けていくとのこと。

以前のページでは、2週間で問い合わせがあり、決定したのですが、
全く問い合わせがありません。
その間、私の頑張りが足りないのだと、
クルーズ以外の旅行業の営業をストップして、
全力でホームページにクルーズコースを作成しました。
5、6、7、8月が過ぎても問い合わせは皆無。

その自称講師は、おもちゃのホームページを引き渡した時点で、音沙汰なし。

連絡してみると、「はぁ~!?」
「問い合わせがないからと言って、人のせいにするな」
と、お前呼ばわりをされました。

商工会にも苦情を言いましたが、
おもちゃのホームページでも作成して、受け取ったので詐欺にはならない。
商工会主催のセミナー講師は、資格も何もなくても誰にもできて、
吹田商工会だけでも講師が200人いるとの事。

以前のように、本来の旅行をメインにして、
クルーズを適当にする事もできましたが、
クルーズを知ってしまった以上、クルーズをメインでやりたい。
こんな良いものを、1人でも多くの方に知っていただきたい。

2015年8月見切りをつけて、
またゼロからやることを決意。

この時点では、人への感謝、自分の過ちよりも、
その人への恨みしかありませんでした。

私の職歴㉑ ~一生忘れることない、大事な言葉~

「情報ライブ ミヤネ屋」全国生放送出演


2011年の東日本大震災から半年以上過ぎ、徐々に予約が入ってきた頃。

2012年1月13日 イタリア・ジリオ島で、
イタリアのクルーズ船 コスタ・コンコルディアの座礁・沈没事故が発生。

なんでまた!!
やっと予約が入ってきた時に。
また当分、クルーズはダメだと思っていたら、
1月17日(火)16:30頃に読売テレビのディレクターから一本の電話。

明日、「情報ライブ ミヤネ屋」でコスタ・コンコルディアの座礁・沈没事故の
特集をやるので、解説をお願いしたいとのこと。
二つ返事で承諾しました。

終了後、何で大手に言わなかったのかを聞いたら、
真っ先に何社か大手に声をかけたらしいのですが、
広報を通して、審議してから出演するかを検討。

情報番組なので、新鮮さが売り。
そこで私に声がかかったのです。

夕方から、パネル制作で連絡を取り合い、翌日、11:00に読売テレビへ。
全国放送で少しでも綺麗に映りたいので、朝一番、散髪へ。
いつも行きつけの平日の朝の大衆理容は、おじいちゃんの溜まり場。
大分待ってから、散髪し、時間ギリギリで読売テレビへ。

車で行ったら、警備の方に、「森本さんですね。お待ちしておりました。」
さらにスタッフの方が、楽屋で案内していただきました。
「今回、一番良い控室をご用意してます。
本来は禁煙ですが、特別にタバコ吸ってもいいですよ。」

入口のドアには、私の名前。
他の楽屋のドア看板には、いつもテレビで見ている芸能人がずらり。
楽屋に入ったら、豪華な弁当、飲み物などが用意されてました。

ミヤネ屋
ミヤネ屋

初めてのテレビ出演。
リハーサルを行い、訳も分からなかったので、普通に話していたら、
私が、話ができるとのディレクターの判断で、
当初は、コメンテーターの席に座って解説する予定が、
宮根さんの横に立って話すことに。

本番までメーク室で、タレントさんの横でメークを行い、
スタッフが呼びに来ました。
「先生、そろそろお願いします!!」

先生!? 私が先生!?
生まれて初めて「先生」と呼ばれました。
この一言で舞い上がってしまいました。
何か一気に偉くなったような、完全に舞い上がりました。
世の中で先生と呼ばれている方は、別世界に行く危険性があることがわかりました。

いざ全国生放送本番。
この日のトップから、45分程出演しました。
「先生」の一言で、舞い上がってしまい、本番中は夢の中でした。
ただ、尊い命が失われているので、発言に気を付けました。

言いたいことの1/10も言えませんでした。
もっと面白くできるのに。悔しかったです。
次は、要領が分かったので、もっともっとうまくできます。

終了し、高価な弁当をお土産に会社に帰りました。
すると、電話が次から次へ、ひきっきりなしに。
本番中から、電話がなりっぱなしで、スタッフはテレビを殆ど見ていない。

本番中、テロップに、
「(株)ビガー・トラベル・サービス 森本 哲也」
だけでていて、連絡先は出てません。

それから1ヵ月、電話、メール、来客。
日本全国からのお問合せの対応で、殆ど寝れませんでした。
「クルーズがこんなにお手頃に行けるなんて知らなかった」が、
圧倒的に多く、クルーズの可能性を実感しました。

一生忘れることない、大事な言葉


福岡のお客様が定年記念旅行を地中海クルーズをご決定いただきました。

長年、仕事一筋の方で、自分へのご褒美。
初めご夫婦で行く予定が、東京に住む娘さんご夫妻も、
この機会に行こうとなり、福岡、東京からシンガポールで合流し、地中海クルーズ。

ご旅行から帰国され、奥様が電話で、予想以上に楽しめたと、
おっしゃっていただきました。

7泊のクルーズ中、天気に恵まれ快晴。
船は多少揺れると思っていたら、全く揺れなく、船内に居ることを忘れたとのこと。

奥様との話中に、主人が一言、言いたいと換わりました。

「60年生きてきて、こんな楽しい、素晴らしい思いはなかった。ありがとう。」

嬉しくて、ありがたくて目頭が熱くなりました。
あれから4年経った今も、この言葉が、事あるごとに思い出し、
この言葉が私の全てです。

忘れることない、大切な言葉です。

あれから奥様、娘様とも北欧クルーズにご一緒しました。
その時ご主人は、白内障の手術でご参加できませんでした。

私にとって、大切な人。
2年前、福岡のご自宅までご挨拶にお伺いし、お父様とお会いでき、
お礼を言うことができました。

今朝、12/01(木)、娘さんから、
11/27にお亡くなりになったとの連絡がありました。

このブログは、昨年の2016年 12/01に書いたのですが、
公開する気になりませんでした。