上倉さんが来てから、それまでの重圧がどこかに飛んで行きました。
上倉さんは仕事もでき、タイ語、カンボジア語、英語も堪能。
私と全く逆のやり方で、こんなやり方があるのかと、勉強になりました。
シェムリアップに日本食レストラン「銀河」がオープン。
シンガポール人オーナーで、食材はシンガポールから空輸。
昼は、弁当を出前。
「とんかつ弁当」か、「鯖塩焼き弁当」の2種類。$5-。
毎日、ずっと食べ続けました。
土曜日の午後は、スタッフに内緒で、
カンボジア・タイの国境の街「ポイペト」へ1泊旅行。
カンボジア側にカジノ・カジノホテルが4軒程あり、殆どがシンガポール資本。
タイにはカジノがないので、タイ人が国境を越えてやってきます。
それまでもポイペットに行った事がありました。
初めて行った時には、道が悪く8時間かかりました。
公共交通機関がないので、移動手段はピックアップトラック。
定員:乗せる分だけ。
これ以上乗れないとなったら、出発します。
鶏、豚、自転車、何でも載せます。
運転席の屋根付き部分には、
1シート二人。ギアもまたいで座ります。
その後ろの座席(荷物置き)では、5人座ります。
その後ろのトラック部分には、これ以上乗らない限界から、あと5人乗せます。
道は、もちろアスファルト舗装はなくデコボコ赤土。
どう説明したら伝わりやすいか、想像×5倍のデコボコ。
雨季には、いたる所に小川ができ、橋屋、誘導屋が登場します。
橋屋は、ずっと一日中、板を2枚持ち、お金を払ったら、その板を敷く。
誘導屋は、一日中、おっさんが川の中に顔だけを出し、
どこが浅いかお金を払ったら、教えてくれます。
運転手はいつも、そのお金を渡すのではなく、川に投げそれを何人も追いかける。
初めての国境への旅は、
そんな過酷なものと分からなかったので、
ピックアップトラックの運転席後ろを乗りました。
地獄の8時間でした。
運転席の後部座席に本来なら、人の乗らない荷物置きに5人びっしり。
前後の間隔もなく、足が1cmも動かせない。
手は動かせず、かろうじて指が数ミリ動くだけ。
隣の人と密着で、息遣いを8時間。
出発前、そんなこと分からなかったので、
ズボンの前ポケットに、ボックスのタバコを入れてました。
ボックスの角は、股に当たっており、激痛。
手が動かせないので、それも動かせない。
下車したら、血だらけになってました。
やっとのおもいで、ポイペトに到着。
なぜか、全身泥だらけになってました。
冷房もつけずに、本当に地獄でした。
後で分かったのですが、助手席+ギアまたがりを3人分払ったら、
助手席を独占できます。帰りは3人分支払い助手席を独占しました。
目の前の1泊/$2-のゲストハウスへ。
ゲストハウスには泊まりたくなかったのですが、
カジノに豪華ホテルがあることを知らずに泊まりました。
裸電球の1つの、陽が当たらない、ジメジメした部屋。
布団も枕も臭い。ベッド下には使用済みコンドーム。
水道もなく、かめで雨水を使う。
泥だらけの体をかめの水で頭からかぶり、泥を流す。
カンボジア・タイ国境のカジノは、タイでは法律で禁止されてるので、
カンボジア側にあります。
と、いってもカンボジア人はゲートより先には行くことができません。
シンガポール資本のカジノ&ホテルが4軒。
タイ人がカジノ目的で訪れます。週末はかなりの混雑。
カジノゲートには、警官がチェックをしており、
パスポートを持ってないというと、入りたければいくらかかると、
お小遣いを渡さなければ入ることができません。
頭から水を被ったので、ビショビショで、
来る途中に足がぬかるみにはまり、泥だらけでカジノへ。
よく入れたものです。今では絶対に入ることはできないでしょう。
カンボジアのイミグレーションを通り、
約200mの川に橋があります。この川が国境。
タイのイミグレーションへ。
この200mが、タイムマシーンの如く、200年の差を感じます。
カンボジア側は、裸の人が多く、埃っぽいのが、
タイに入ったとたん、心地よい風が吹きます。
道路も全て舗装されており、コンビニもあります。
タイ国境からトゥクトゥクで約10分でアランヤプラテートの街。
田舎町で何とも落ち着く街です。
夜にはちょっとしたナイトマーケット。
カジノで泊まるより、アランヤプラテートで泊まる方が楽しいです。
上倉さんと、ポイペトに行くには、車をチャーター。
その頃は、道がよくなり4時間で行くことができました。
今では、全線舗装しているので、2時間で行くことができます。
上倉さんとは、カジノで、夜通し日本の歌を歌いながら、横同士のスロット。
アランヤプラテートへ泊りに行ったり。
プノンペンの船上カジノへ行ったりと、
カンボジア生活をエンジョイしました。
仕事もしっかり、遊びもしっかり。
何かあると、納得するまで話し合いました。