私の職歴② ~飛躍の年~

飛躍の年


1992年から完全歩合制。
頑張っても頑張っても、思うように仕事が取れません。
「いつかは」と、いつもそればかり信じて、精一杯やってました。

その頃、ずっと原付バイクで営業してました。
雨の日、カッパを来て、靴にはスーパーのビニール袋をかぶせて、
お客さん見られない様、遠くで着替えて行くのは大変。

そんな時、社長の奥さんが、乗っている軽自動車を、そろそろ買い換える。
欲しい!!30万円で給料から分割で引くことで購入。
今から考えたら、ボロボロの軽自動車。
だけど、その時は嬉しかった。やっと車に乗れるようになったと。
その軽自動車の後ろのガラスに、ライムのシールが張ってて、
友人からのあだ名が「ライム」になりました。

20代は、車に興味がある年代。
みんな競い合うように、いい車をもっていて、
意中の女性の前では、「こいつ、軽の免許しか持ってないから、やめといた方がいいよ」
と、よくからかわれてました。

ある日、お客さんと喫茶店にコーヒーを飲みに行き、
そこのママが、占いがよく当たるとのことで、軽い気持ちでみてもらいました。

「今まで、よく頑張ってきましたね。全然報われなかったでしょ。
でも、あと3ヵ月後の7月から運勢が変わるので、今まで通りに頑張って下さい。」

占いは興味がなく、何も気にしなく、翌日には忘れてました。
すると7月になり、線を引いたかのように、次から次へと面白いように仕事が入ってきました。
本当に運勢が変わった瞬間でした。

社員が使い終わった後のワープロを、夜に使わせてもらいに行ってたのですが、
その頃、ウィンドウズ95が発売され、すぐに購入。
会社でも堂々と、自宅でも仕事ができるようになったのも、勢いがついたのだと思います。

その後、お客様に応援され、ずっと仕事が入り続け、
その年あたりから初年度の約40倍になりました。

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初めての海外旅行


仕事が調子よくなるにつれ、発言が許されます。
この頃から、毎年年末に海外にでるようになりました。
初めての旅行では、飛行機に乗ったら、嬉しくて嬉しくて、涙が止まらなかった。

添乗では海外に行ってたけど、それはあくまで仕事。

アメリカ、カナダ、オーストラリア。
一人旅でレンタカーで気ままにドライブして、モーテルなりに泊まることが多かったです。
そして、タイに初めて行った際、人生が変わりました。

それまで、添乗でもアジアは中国、台湾、韓国、香港、フィリピン、シンガポール等、
行ってましたが、タイには行ったことありません。

それまで海外旅行のイメージは、欧米。
何でお金を払ってまで、ごちゃごちゃしたような所に行く?と、
東南アジアは特に、よくこんな所に住めるなと、思ってました。

初めてのタイ。
バンコクのドンムアン空港に着いた時の独特の匂い。暑さ。空気。
すぐに馴染みました。
こんな楽しい国があるのかと、一回目で虜になりました。

初めはパクチーが食べれなく、人間の食い物じゃないと。
それが、線を引いたように食べれる日がきます。
タイ料理も、初めは馴染めなかったが、
これも線を引いたように大好物になる日がきます。

人はおおらかで、他人を鑑賞しない自由な空気、物価の安さ、
そこそこ高級な中華レストランで北京ダックを1匹食べても、その当時1,500円位。
一日の終わりにはタイマッサージたっぷり2時間。
日本では3万円するような5つ星ホテルもタイでは8千円。

仕事ものってきて、調整して、タイに通っていました。

タイに行ってうちに、隣りの国、カンボジアが面白いらしいと聞き、
1998年初めてカンボジアの首都・プノンペンへ。
普通はアンコール遺跡のシェムリアップに行くのでしょうが、全く興味がありません。

初めてのカンボジアは、腰を抜かすほど、驚きました。
タイ・バンコクとカンボジア・プノンペンは飛行機で1時間。
タイと横同士の国ですが、全く違い、50年の差がありました。
治安が悪いとは聞いてましたが、人々は素朴で温かく、笑顔で迎えてくれました。

その頃のカンボジアは、97年に内戦が終わったばかり。
たしかに治安が悪く、夜にはたびたび銃声。
バイクの荷台には、何十人も詰め込み、田舎から連れてこれらた、
身売りされる子供の女の子。
市場に行ったら、子供がお金ちょうだい。
猿を片手に脳みそを食べながら。

全てに衝撃を受けました。
それから数回、タイに行った際、カンボジア・プノンペンにも寄りました。

その後、カンボジアに住むなんて夢にも思いませんでした。

プノンペン空港 プノンペン
プノンペン・ポチェントン空港/プノンペン市内

プノンペン プーケット
プノンペンには、アジアの大河・メコン川、トンレサップ川、バサック川 
3つの川が交じり合います。
当時、プノンペン・カンボジアは、世界の暗黒街ベスト10の常連でしたが、
今では、シェムリアップ(アンコール遺跡の街)は、世界の人気リゾートベスト3の常連です。

右の写真は、タイ・プーケット パトンビーチ。

1998-1999年 国家資格受験


仕事も遊びも絶好調!
何をやっても楽しかった時期ですが、私の夢は独立すること。

独立するには、最大の難関である、
国家資格の一般旅行業務取扱主任者(総合旅行業務取扱管理者)が必要です。
国内4科目、海外4科目と範囲が広い。
それまで全然勉強をせずに何回か受けに行きましたが、もちろん不合格。

まずは、国内旅行業務取扱主任者を取得したら、
国内部分の試験科目が免除になるので、先に国内を取得し、
それから集中して一般を取る戦法をとりました。

よし、やるぞ!!
学生時代から勉強しなかったのが、初めて勉強しました。
年一回の試験で、10月に受験。

国内旅行業務取扱主任者 合格!!
俺もやればできるのかもと、自信がつきました。

一年間、仕事に勉強に遊びに全力。
何をやっても楽しく、一番ノッている時期でした。

翌年、自分なりに精一杯やった。
あとは、試験を受け結果を待つだけ。郵送で結果通知。
待ちきれなく、何回も日本旅行業協会に電話してました。

結果発表の日、電話したら、
残念ながら、番号が見当たりません。との返答。
この時の脱力感は強烈で、また一年これ以上に勉強しないといけないと思ったら、
資格はあきらめて、独立する時、名前を貸してもらおうと思いました。

信じられなく、もう一度、電話。
すると違う担当者がでて、合格ですよ。おめでとう!!
見間違えだったらしい。
後日、合格の通知がきました。

今まで、やろうとしなかっただけ。
まずは憧れを持ち、憧れから夢へ。夢から志へ。

この時、私は何でもできる!!
と、本気で思いました。

そんな時期、カンボジア・プノンペン&タイ・バンコクへ仕事が決まり、
2000年2月、私も添乗で同行することになりました。

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