恩師との再会

本日、高校時代の恩師が、初めてご来社していただきました。
卒業して35年。今年70歳になります。

旅行をお申込みにお越しいただいたのですが、
それよりも元気でやっているのか観にいらっしゃたのだと思います。

お会いするのは約6年ぶり、高校創立式典以来です。
本当に嬉しく楽しく、昔話に花が咲き、お腹が痛くなる程笑いっぱなし。

今じゃ到底考えられない時代で、よく殴られていました。
クラスの殆どが鼓膜が破れていたくらい。
私は要領がいいのか、それほど殴られなく鼓膜は無事です。

一番きついのは、ケツバット。
横一列に並ばされ、お尻に金属バットで本気のフルスイング。
クラスの皆が「これほど痛いものはない」と。
また大げさだなと思っていました。

当時テレビの奇人変人コーナーで、中国武道の達人が槍の先も喉元で曲げるみたいに、
気を集中し瞬間に力を入れたら、金属バットでも吹き飛ばしてやる。

うまく逃れていたのが、その時がやってきました。
並び私の番。
全身の気をお尻一点に集中。
中国武道の達人をイメージして、よし来い!

後にも先にも、私の人生の中で一番痛い体験でした。
あの時の痛さは今でも覚えています。
一週間以上痛さがひかず、尾骶骨にヒビが入っているのかと。

そのことを面白おかしく、あれだけはやめてくださいと、今日直訴しました。
ケツバットの事はすっかり忘れており、
そのせいか、遅刻が無くなり、留年も一人もでなかったと納得されていました。

高校を卒業して数年後、その頃はよく母校に仕事をいただく為に行っていました。
先生に会いに進路指導室へ。
話していたら、ノックもなしにいきなりドアがバーンと開き、
女子生徒が「このどこに捨てたらええの~」と、先生に対しタメ口。
意識不明の重体にされるか、今日限り学校を退学するのか。
もしくは、これは先生が私を嵌めるドッキリカメラなんだと真剣に思いました。

先生は、「ゴミ捨て場に持って行って」と、いたって普通の日常会話。
頭が混乱して訳が分からなくなりました。

先生に聞くと、今では大声を出すだけでアウト。
すぐに生徒は教育委員会へ訴えると言い出すらしい。
完全に生徒が先生を舐め切っているのがわかります。

私は暴力を正当化しません。
暴力で人は変わりませんし、ペットの犬、猫も怯えて萎縮するだけです。

先生は私たちに本音で真剣に全力だった。
それで先生を恨むということはなく、信頼関係があったのだと思います。
決して見下すことはなく、大人の話を包み隠さず聞かせていただいた事を覚えています。

今日お越しいただいて、恩師は一生懸命、財布入れから名刺を取り出し、
こいつを紹介すると、今頑張っている方の教え子リストを作っていただきました。
俺から言っとくから、仕事が落ち着いた時、会いに行ったら。

最後にお会いした、高校創立式典の時も、教え子全員に一人づつまわって、
「俺が一番殴ったどうしようもない奴や。旅行言うたって!!」
30回以上同じセリフでまわっていただいた事がありました。

「仕事大丈夫か?」
「人から可愛がっていただいているか?」
「人の迷惑になるようなことはしてないか?」
言葉には出しませんが、メッセージしっかりと受け止めました。

卒業する際クラスのみんなへお言葉をいただきましたのをはっきりと覚えています。
今回のコロナでは毎日のように自分に言い聞かせていました。

苦しいこともあるだろう
言いたいこともあるだろう
不満なこともあるだろう
腹の立つこともあるだろう
泣きたいこともあるだろう
これらをじっとこらえてゆくのが
男の修行である

高校時代の恩師からの便り