久しぶりの日本。
全てに驚きました。
こんな静かだったとは!
まず、町に人が殆ど歩いてなく、静かなのです。
全てが綺麗で清潔。
ゴミが落ちてません。
そんな綺麗で清潔なので、
家から出るたび、自分は臭くないかを何回も確認しました。
みんな私の事を見ていると錯覚も起こしました。
それが3か月続きました。
また、日本人の表情が暗い。
生きているのか、死んでいるのか。
あと、静かなのに、音にも気になりました。
風呂にお湯をためると自動音声。信号では、音楽が鳴ったり、
駅でも、自動アナウンス。
どこに行くにも自動音声は改めて驚きました。
まずは、お世話になった会社へのご挨拶。
東京本社、大阪支社へ。
それから、私のお客様へのご挨拶。
ビガー・トラベル・サービス設立
会社設立に向けて準備しました。
お客様からいろいろ協力いただき、
2002年8月22日 ビガー・トラベル・サービス設立。
旅行業の許認可も2002年9月17日取得。
社名である、ビガー:Vigourとは、元気という意味で、
私が取り扱う旅行で、お客様に元気になっていただく。
そして当社もいつでも元気でいよう。
私がこの国を元気にするぞ!!
お客様に期待以上のものを。
良い意味で期待を裏切りたい。
頑張ってきてよかった。
生きててよかった。
と、思っていただけるのを目標に。
実家の私の部屋で一人でスタート。
勝手をしてカンボジアに行ったにも関わらず、
開業後、カンボジアに行く前のお客様全員に、
ありがたく、お仕事をいただきました。
値段だけの勝負をしていたら、こんなことは絶対にありえません。
自宅の一室であっという間に1年。
いつまでも実家に居候するのは申し訳なく、
近所にワンルームを借り、
事務所も江坂駅徒歩5分のビルに引っ越しました。
仕事の方も、ぎりぎりでしたが、何とかやっていけるようになり、
ここで、もっとステップアップするべく、社員を募集ました。
5人の女性が応募していただき、面接しました。
社員だった頃にも、面接をしたのですが、責任感が全然違います。
ありがたく応募して来社した方より、私の方が緊張してました。
旅行会社は、募集したらすぐに応募が来ます。
旅行は誰が行っても楽しいもの。
それを仕事にするには、全く違うのでしょうか。
業界自体、拘束時間が長く、その割には他業種と比べ給料が安く離職率が高い。
私も旅行会社に入るまで、旅行会社といえば、
駅前、ショッピングセンターのカウンターしかイメージがなかったのですが、
それは大手だけで、個人でやっているところは、
自宅、雑居ビルの1室が殆どです。
来客もあまりなく、来るのは取引先の旅館、ホテル、バス、
ホールセラー、ランドオペレーターの営業が殆どです。
お客様にお越しいただくのは申し訳なく、
こちらからお伺いするのが殆どです。
スタッフに恵まれて、売り上げも年々伸びていきました。
会社移転
私の母親が大阪・吹田市で喫茶店を営み30年が過ぎようとしてました。
喫茶店は、開業した昭和55年頃は、売り上げも良く、
近所には会社が多く、朝、7:00の開店前にもお客さんが並び、
毎日の日替わり定食もかなりの数がでてました。
また、夕方で喫茶店が終わり、夜からは一杯飲み屋をやり始めました。
繁盛したようですが、一人で朝から深夜まで営業した上に、
母子家庭でしたので兄、妹、私と三人の子供の世話。
体を壊し夜は辞めました。
時代は流れ、周辺にはコンビニも数軒。
仕事の合間に喫茶店に一服という、風習も殆どなくなりました。
売り上げも激減し、体力もきつくなってきた。
そういう経緯で、それだったら、私がそこを旅行会社に。
と、いうことになり、親子の甘えを一切なしにして、
きっちり賃貸契約を結び、相場より高い金額を
1日でも遅らせない約束で引き継ぎました。
○30年間喫茶「Woody」お疲れ様でした!!
最低限の改装をした後、
お客さん、お取引先からたくさんのお祝いをいただき、
2006年5月移転開業。
夢の1階の店舗。
お客さんがわんさか来る!!
これで営業に出向かなくても、お客さんが来てくれる。
と、思ってました。
そうです。人生そんな甘くありません。
開店後、1週間してもお客さんは一人も来てくれません。
来ないなら、今まで通り、こちらから攻めていくのみ。
甘い考えは1週間で捨てました。
ありがたく、お客さんがお客さんを紹介していただき、
応援していただき、順調に伸びていきました。
そんなある日、事件が起こります。
会社存続の危機です。