2011年の東日本大震災から半年以上過ぎ、徐々に予約が入ってきた頃。
2012年1月13日 イタリア・ジリオ島で、
イタリアのクルーズ船 コスタ・コンコルディアの座礁・沈没事故が発生。
なんでまた!!
やっと予約が入ってきた時に。
また当分、クルーズはダメだと思っていたら、
1月17日(火)16:30頃に読売テレビのディレクターから一本の電話。
明日、「情報ライブ ミヤネ屋」でコスタ・コンコルディアの座礁・沈没事故の
特集をやるので、解説をお願いしたいとのこと。
二つ返事で承諾しました。
終了後、何で大手に言わなかったのかを聞いたら、
真っ先に何社か大手に声をかけたらしいのですが、
広報を通して、審議してから出演するかを検討。
情報番組なので、新鮮さが売り。
そこで私に声がかかったのです。
夕方から、パネル制作で連絡を取り合い、翌日、11:00に読売テレビへ。
全国放送で少しでも綺麗に映りたいので、朝一番、散髪へ。
いつも行きつけの平日の朝の大衆理容は、おじいちゃんの溜まり場。
大分待ってから、散髪し、時間ギリギリで読売テレビへ。
車で行ったら、警備の方に、「森本さんですね。お待ちしておりました。」
さらにスタッフの方が、楽屋で案内していただきました。
「今回、一番良い控室をご用意してます。
本来は禁煙ですが、特別にタバコ吸ってもいいですよ。」
入口のドアには、私の名前。
他の楽屋のドア看板には、いつもテレビで見ている芸能人がずらり。
楽屋に入ったら、豪華な弁当、飲み物などが用意されてました。
初めてのテレビ出演。
リハーサルを行い、訳も分からなかったので、普通に話していたら、
私が、話ができるとのディレクターの判断で、
当初は、コメンテーターの席に座って解説する予定が、
宮根さんの横に立って話すことに。
本番までメーク室で、タレントさんの横でメークを行い、
スタッフが呼びに来ました。
「先生、そろそろお願いします!!」
先生!? 私が先生!?
生まれて初めて「先生」と呼ばれました。
この一言で舞い上がってしまいました。
何か一気に偉くなったような、完全に舞い上がりました。
世の中で先生と呼ばれている方は、別世界に行く危険性があることがわかりました。
いざ全国生放送本番。
この日のトップから、45分程出演しました。
「先生」の一言で、舞い上がってしまい、本番中は夢の中でした。
ただ、尊い命が失われているので、発言に気を付けました。
言いたいことの1/10も言えませんでした。
もっと面白くできるのに。悔しかったです。
次は、要領が分かったので、もっともっとうまくできます。
終了し、高価な弁当をお土産に会社に帰りました。
すると、電話が次から次へ、ひきっきりなしに。
本番中から、電話がなりっぱなしで、スタッフはテレビを殆ど見ていない。
本番中、テロップに、
「(株)ビガー・トラベル・サービス 森本 哲也」
だけでていて、連絡先は出てません。
それから1ヵ月、電話、メール、来客。
日本全国からのお問合せの対応で、殆ど寝れませんでした。
「クルーズがこんなにお手頃に行けるなんて知らなかった」が、
圧倒的に多く、クルーズの可能性を実感しました。
福岡のお客様が定年記念旅行を地中海クルーズをご決定いただきました。
長年、仕事一筋の方で、自分へのご褒美。
初めご夫婦で行く予定が、東京に住む娘さんご夫妻も、
この機会に行こうとなり、福岡、東京からシンガポールで合流し、地中海クルーズ。
ご旅行から帰国され、奥様が電話で、予想以上に楽しめたと、
おっしゃっていただきました。
7泊のクルーズ中、天気に恵まれ快晴。
船は多少揺れると思っていたら、全く揺れなく、船内に居ることを忘れたとのこと。
奥様との話中に、主人が一言、言いたいと換わりました。
「60年生きてきて、こんな楽しい、素晴らしい思いはなかった。ありがとう。」
嬉しくて、ありがたくて目頭が熱くなりました。
あれから4年経った今も、この言葉が、事あるごとに思い出し、
この言葉が私の全てです。
忘れることない、大切な言葉です。
あれから奥様、娘様とも北欧クルーズにご一緒しました。
その時ご主人は、白内障の手術でご参加できませんでした。
私にとって、大切な人。
2年前、福岡のご自宅までご挨拶にお伺いし、お父様とお会いでき、
お礼を言うことができました。
今朝、12/01(木)、娘さんから、
11/27にお亡くなりになったとの連絡がありました。
このブログは、昨年の2016年 12/01に書いたのですが、
公開する気になりませんでした。