20店舗、従業員500名に拡大した地域密着のコーヒーチェーン
昨日、商工会議所主催の講演に行ってきました。
講演するのは、(株)ヒロコーヒー 山本 光弘 社長。
北大阪では、コーヒーのブランドになっており、
私の自宅の近く、会社の近くにもお店があります。
1杯 470円と高いのですが、それ以上にコーヒーが美味しく価値があります。
20店舗は、郊外の大型店、阪急百貨店本店の都心など、
店舗それぞれに個性があり、北欧風、南米風、和風と店舗デザインは違います。
そのヒロコーヒーの社長の講演。
自分で商売がしたく、
中学卒業してすぐ、レストランの下働きからのスタート。
その頃は、コーヒーなんて飲んだことがなく、
商売できるのであれば、ラーメン屋でも何でもよかった。
住み込みで働きながら、コーヒーの魅力を知りました。
将来、自分の店を持ち、会社組織にする夢があり、
喫茶学校、簿記学校で勉強。
国庫に1,300万円の借り入れ、
昭和52年に江坂にコーヒー館(現在のヒロコーヒー本店)開業。
当初、他の店を同じように既成のコーヒー豆を仕入れてましたが、
もっと美味しい、自分が納得するコーヒーを提供するべく、自家焙煎へ。
当時、焙煎機材、コーヒー豆の仕入れ等、
全く分からなく、電話帳から業者を探し、交渉するのですが、
全く相手にされなかった。
機材を購入したものの、その業者は、運び電源を入れたらおしまい。
独学でやるしかない。
試行錯誤で、お客様にお出しできるまで、1年!
その時代、年間600万円の純利益で10年。
6,000万円の資金で、会社組織、2号店オープン。
1店舗で600万円だから、2店舗で1,000万はいく。
そこが商売の落とし穴だという。
そんな甘いものではなく、1店舗だったら、全力で集中できるが、
力を分散したら、売り上げ合計も1店舗より低くなった。
時代はバブル絶頂期。
喫茶店は、バブルは一切無関係で、何も分からなかった。
その頃、飲食店といったら、社会的地位も低く、ローンが通らない。
奥さんの親戚へ挨拶しに行き、喫茶店と言ったらドン引き。
そういう時代だった。
16歳から働きずくめで、勉強するべく、
2店舗経営しながらも、
東京のコーヒー専門の有名店へ住み込みで1年間アルバイト。
アルバイトでは、深く勉強できないとのことで、
大阪へ戻り、コーヒー専門の有名店へ正社員として就職。
そんな中、その有名店が社員募集し、
での面接室へ、お茶を持っていったら、その面接に来ていたのが、
自身の経営する社員。
すぐに追いかけ、「おまえ、何を考えているんだ!!」と、
「社長こそ何をやっているのですか!!」
そんなエピソードをたくさん面白おかしく場内大爆笑です。
今では、家で飲むのも、レギュラーコーヒーが当たり前ですが、
その頃、家庭での大半がインスタントコーヒー。
これからは、喫茶だけでは、限界がある。
レギュラーコーヒーを飲んだら、インスタントは飲めなくなる。
これからレギュラーコーヒーの需要が増え、可能性がある。
3号店では、喫茶と販売を併設店へ。
今では、喫茶部門:51%、販売部門:49%となり、
今後、販売部門を伸ばしていく。
その後も、ケーキ工房、パン工房を含め、現在20店舗。
今後、さらに加速します。
「売れるもの」だけ売るのでなく、
「自分たちが信じたもの」
「必ずお客様に喜ばれ世の中の役に立ち将来多くの人々から必要とされる物」
を届けるのが商売人の責務であり使命。
その命題に向かっての努力と工夫が
持続可能な繁盛店へとつながる。
素晴らしい講演で、私も俄然やる気がでました。
行って本当に良かったです。
・山本社長の人としての魅力。いつでも笑顔。話が分かりやすい。
・感動したらすぐに動く実行力。感動したもの勝ち。
・実行したらそれを徹底的にチェックする。失敗した時こそしっかり確認する。
山本社長との出会いは、私が20歳過ぎに飛び込み営業で、
毎年、社内旅行でお世話になり、もう25年お世話になっております。
何度も旅行でご一緒させていただいてますが、遊ぶ時も徹底して楽しみます。
どういう経緯で開業され、従業員500名までになる過程など知りませんでした。
来年で40周年。ますますのご活躍をお祈りいたします。