まちこ先生のドナウからのらくがき⑤ ~ベオグラード~

元日系国際線客室乗務員。現在はマナー講師として全国で活躍中。

ドナウからのらくがき

voice_icon01 アマ・ウォーターウェイズ 2016年 8/20-29
  まちこ先生のドナウからのらくがき⑤ 8/24 ベオグラード


深夜に、ノービサードを出港したアマセレーナは、ベオグラードに停泊していました。

今日の午前中の観光は難易度1(難易度1~3がある)
のベオグラード(セルビアの首都)です。

天候にも恵まれて(日中は日本の7月初旬の気温)
まず、ベオグラード要塞」へ。

それは紀元前4世紀に造られ始め、現在の要塞は18世紀以降に造られたもの。
ドナウ川とサヴァ川が合流している要衝の地、丘の上に造られています。

堀には、第一次世界大戦以降に使われた
戦車や大砲などが置かれ、重たい気分になります。
しかし、丘の最高点まで行くと、そこからの眺めはまるで
おとぎの国に紛れ込んだように美しい。

思わず、”わぁ!”の一声が。
ドナウと川とサヴァ2つの川がまるで お互いに恋い慕うように合流しているのです。

次に旧市街の中にあるサヴァ大聖堂に(世界でも最大級の正教会、
1935年に建造開始後 戦争による中断を経て今も工事中)。

白い壁と青緑色の屋根のコントラストのまぶしい事 
聖堂の手前には多くの噴水が勢いよくあふれていました。
この聖堂は高い丘の上にあり、町のどこからでも見られるのだそうです。

その後ベオグラードの中心ダウンタウンへ。
ここでは30分ほどですが自由時間がありました。
ガイドさんから、持ち物に気を付けて! とのアドバイスがありました。

ベオグラードの威厳ある建物には街の歴史の重みが感じられました。
ガイドさんにスーパーマーケットの場所を尋ねて行ってみました。
中に入ろうとするとJanaH(ヤハン)とおじ様に声を掛けられました。

スーパーマーケットではチョコレートを沢山買いました。
お安い!!! 普通サイズのチョコレートが40円位から60円位。缶ビールが60円。
ユーローは使えないのでクレジットでお支払い。
するとレジのお嬢さんもJanaH(ヤハン)と笑顔で。日本人とわかるのですね。

ベオグラード

バスで12時頃にシップに戻ってきました。
そしてランチタイムです。
夫の胃腸の調子が良くないので、ラウンジで軽食を頂きました。
ビールは頂いたものの、何も口に入らずちょっと辛そうです。

午後のツアーは私だけ行くことになりました。
彼はお部屋でTV映画(ミッションインポシィブル等)を見ながらお休みです。

午後2時過ぎ、バスで往復1時間半程の行程のキューブリック醸造所と
アヴァラ山のツアーに出かけます。

夫がいないことに気付いた方々が”What happed to your husband?” 
御主人はどうしたの?と心配して聞いてくれました。
”He needs a little rest” と答えると “Oh, OK” と納得してくれました。

キューブリック醸造所ではブランディの作り方とテイスティング。
そして素敵なブランディパーティに招待されました。
手作りのアップルパイとチーズとハムのオードブル、
どちらもブランディとよく合い美味しい事。

こちらで素晴らしいブランディをゲット。
大切な人(息子)へのお土産に。

アヴァラ山ではエレベーターでタワーのトップまで登り、
ふもとに広がる山麓の家々と遠くベオグラードの街並みを
360度の視界より満喫できました。
その光景の美しい事。
息をのみこむような美しい景色、思わずため息が出てしまいます。

ベオグラード

バスは午後6時前にシップに帰ってきました。
私は夫が心配で直ぐに部屋に向かいました。
体調不良は続いており何度か戻したようです。
持参した薬を何回か飲んだようですが…。

いままでの疲れが弱い胃腸に現れたのでしょう。
ディナーには行けず、ミルクとソフトブレッド、アイスクリームと
ビールのルームサービスをお願いしました。

フロントのAdamさんがSureと笑顔でウィンク。
レストランのJimさんが部屋まで持ってきてくれました。
夫の体調は私にも伝染しました。
食欲が引っ込んでしまいました。

ディナーの席に遅くに付いた私の我がままオーダー
(オムレツとアイスクリーム)にもCertainly と笑顔で答えてくれました。

ありがとう、Jimさん。
シェフさん、そしてAdamさん。
フロントのAdamさんに日本から持ってきたわさびビーンズ(小袋の50個入り)を
皆さんで分けてね、と渡しました。
ほんの少しでも感謝の気持ちを表したかったのです。

夜のドナウ河畔を楽しませながら、
深夜シップはベオグラードに別れを告げていくのでした。

そうですね。私はこの街ベオグラードをドナウのトパーズと名付けましょう。
トパーズの色はブランディの色ですから…。


まちこ先生のドナウからのらくがき④
ヴコヴァル~ノービサード

元日系国際線客室乗務員。現在はマナー講師として全国で活躍中。

ドナウからのらくがき

voice_icon01 アマ・ウォーターウェイズ 2016年 8/20-29
  まちこ先生のドナウからのらくがき④ 8/23 ヴコヴァル~ノービサード


8月23日、目覚めると船はクロアチアのヴコヴァルに停泊していました。
ヴコヴァルの対岸はセルビアです。

午前中はヴコヴァルの町の見学。
この場所は戦争の恐ろしさと平和の尊さを教えてくれるところでした。

見学の前に、クロアチア紛争について少し。
クロアチアは「ユーゴスラヴィア」という連邦国家の一共和国でした。

ヴコヴァルではクロアチア人とセルビア人が仲睦まじく暮らしていました。
しかし、ユーゴ国内では1980年代から経済の悪化と同時に民族主義が高揚。

1991年、冷戦の終結と共にクロアチアがユーゴスラヴィアからの独立を宣言。
それを阻止するために、セルビア人を中心とする連邦軍が
ヴコヴァルを包囲し攻撃したのです。

このときに多くの人々が亡くなり、「隣人」が「敵」となったのです。
今でこそ戦争は終わりましたが、クロアチア人とセルビア人の「和解」は進んでいません。

バロック旧市街にはその紛争の傷跡が痛々しい。
クロアチア紛争のシンボルとなった「給水塔」。
物凄い砲撃、攻撃の傷跡に心が泣いてしまいます。

オフチャラ記念碑には、紛争で無くなった多くの若者の写真と遺品が祀られていました。
ヴコヴァル墓地も訪れました。
戦いで無くなった人々のお墓が無数に…。
しかし、ヴコヴァルの人々は凄い!!!

1997年に再び行政の機能を取り戻し亡命していた人々も帰還し。
今現在、一生懸命発展の努力をしているのです。

私はこの町ヴコヴァルを、ドナウのアメジスト(紛争)と
ドナウのペリドット(復興)の町と呼びたいと思いました。

さて、観光中に船はイロクに移動。私たちを乗せたバスはイロクに向かいます。
シップに戻るとフロントのAdamさんが、
笑顔で”Hallo again!” とチャーミングなウインクでお出迎え。
私も”Hi, Adam”と、たどたどしいウインクと笑顔でお返し。

この日のランチはレストランでフルコースを頂くことにしました。
テーブルのお友達はディックとマリー(アメリカ人)
美味しいコースを頂きながらお話しがはずみます。

ディックが How old do you think I am? (何歳に見える)と聞かれました。
65 66? と答えると72歳との事。
そこで私は、奥様は何歳あなたより何歳お若いの?
と聞きました(若くて美しい方ですから)。
すると She is 10 years older than I! (彼女は僕より10歳年上だよ)と。
つまり82歳!!! I wish I could be like you after 20 years.
(20年後の私は貴方のようであれるかしら?)と告げると、
もちろん旅は若さを保ちますよ、との答えが返ってきました。
20年後、私の目標はめざせMaryですね。

食事を頂いてるうちに船はノービサードに着きました。
まず迎えてくれたのは それはそれは大きなペトロヴァラディン要塞です。
(オスマントルコから街を守るために建設され、ドナウのジブラルタルとも
呼ばれていたこの要塞の地下には、深さ20m迷路のように広く長く続く
大規模な籠城戦、応戦の歴史跡がそのまま残されている)

食後はノービサードの街の徒歩観光(約2時間)です。
一言でいうなら、可愛らしくてエレガントなレディのような町でしょうか。

伝統と文化が豊かな都市。
人々はのんびりと穏やか。
ここはセルビアのアテネとも呼ばれていました。

歩きながら見えてくる建物の愛らしい事。
人々はアウトサイドのテーブルでカフェを楽しんでいます。
美しいマリア聖堂がある広場には気品が漂っていました。

何て素敵な街!!!!
パステルカラーの建物の美しいこの街を私はドナウのオパールと称えたいと思います。

ディナーの時間です。
飲み物はすべてフリードリンクですし、私は野菜だけのお食事が食べたい! と言えば
その希望も見事に叶えてくれるのです。
このシェフは凄い、そう思われませんか?

今日のテーブルはご年配のご婦人、お1人での席に加えて頂きました。
彼女はイギリス人。一人で旅行中との事。
推察するに90歳前後でしょうか。

彼女がおっしゃるには旅は年齢には関係ない。
Passion でするものなのだそうです。なるほど。
私も90歳で1人旅の世界旅行ができますでしょうか…。

色々と学んだステキな一日でした。
このような素晴らしい旅をさせて頂けることに心から感謝です。

食後はラウンジでSanderさんのピアノの音楽を楽しみました。
テネシーワルツのリクエストに応えてくれ、私も一緒に歌います。
ドナウ川のさざ波がハーモニーとして加わって。


ホーランド・アメリカ ~今週のお買い得情報~
11/02配信

大阪では急に冬が到来したような寒さです。
寒い日本を抜け出して温暖でゆったりした時間が流れるクルーズ。

今週も南太平洋やカリブを中心にベストシーズンに訪れる
クルーズのお買い得情報をお届けいたします。

フラッシュレートのお申込みはお早目に!

★南太平洋小話★
ハワイ・ニュージーランド・イースター島を繋いだ三角形は
ポリネシアントライアングルと呼ばれています。

ハワイ語はアロハオエ~♪等で日本人にも馴染みがありますが、
ニュージーランド先住民族のマオリ語、
イースター島先住民のラパヌイ語、
そしてトライアングルの中にあるタヒチ語も難しい発音もなく簡単に通じます。

古代ポリネシアの人々は優れた航海術を持ち、
アジアから島々を渡って各地へ広がっていったとされ、
ルーツは日本人と同じと言われています。

今週は南太平洋の島々を存分に楽しんで頂けるクルーズを
2コース+ニュージーランドクルーズをご紹介しております。

アロハ(ハワイ)、キアオラ(ニュージーランド)、イアオラナ(タヒチ)、
イオラナ(イースター島)
さぁグレートジャーニーに出掛けましょう!!

★2017年4月29日ユーロダム&5月6日ニューアムステルダム
★日本人コーディネーター乗船!
アラスカクルーズ全体で海側キャビンを中心に混雑が始まっております。
お早目のご予約を!!

★2017年4月11日横浜発着日本韓国周遊クルーズ
大人気のクルーズにわずかな空きが出ております!
今ならEXPLORE4対象コースです。

今週の注目コース
・11/20発 パナマ運河 ザイデルダム フォートローダーデール発着 11日間 
 内側:$499-、海側:$549-、ベランダ:$799-

・11/22発 南太平洋 ノールダム シドニー発着 16日間 
 内側:$999-、海側:$1,099-、ベランダ:$1,299-、シグニチャー・スイート:$1,999-

・11/27発 西カリブ海 ニューアムステルダム フォートローダーデール発着 8日間 
 内側:$499-、海側:$449-、ベランダ:$649-、シグニチャー・スイート:$1,049-

・12/05発 パナマ運河通過 ビーンダム サンディエゴ~フォートローダーデール 15日間 
 内側:$999-、海側:$999-、ラナイ:$1,799-

・12/06発 南米パッセージ ザーンダム ブエノスアイレス~バルパライソ 15日間 
 内側:$799-、海側:$899-、シグニチャー・スイート:$1,999-

・12/06発 東南アジア フォーレンダム 香港~シンガポール 15日間 
 内側:$799-、海側:$899-、シグニチャー・スイート:$1,599-

・12/18発 カリブ海 ★ホリデークルーズ★ プリセンダム 
 フォートローダーデール発着 17日間 
 内側:$1,799-、海側:$1,899-、シグニチャー・スイート:$3,499-

まだまだコースがあります。
下記のHALお買い得情報 11.02をクリック下さい。

フラッシュレートとは?


出発間際にお得な料金形態”フラッシュレート”が発表されます。
通常のプロモーションよりもさらにお得な料金です。

条件があり、ご予約後24時間以内に全額をお支払い。(クレジットカード不可)
お支払後は、全額払い戻し不可。

フラッシュレート詳細はこちらをクリック
HALお買い得情報 11.02

★プロモ―ション★ Explore4 ※締切間近です!!


日本人コーディネーター乗船のアラスカクルーズも!

2017/1/01~2018/4/28のクルーズを11/18(金)までにお申込みの
お客様に以下4つの特典が付きます。

①8ドル以下のドリンクを1日15杯まで無料(1室につきお二人様まで) 
※ミニバー・ルームサービス・ハーフムーンケイでのドリンクを除く

②有料レストラン『ピナクルグリル』での夕食1回無料(1室につきお二人様まで)

更にスイートのお客様には・・・
③1室につき$200の無料インターネット接続
④基本のチップ無料(1室につきお二人様まで)

ホーランド・アメリカ・ラインはこんな船会社

まちこ先生のドナウからのらくがき③ ~モハーチ~

元日系国際線客室乗務員。現在はマナー講師として全国で活躍中。

ドナウからのらくがき

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  まちこ先生のドナウからのらくがき③ 8/22 モハーチ


朝、目覚めるとシップは私たちをモハーチまで運んでくれていました。
ここは一体どんな街なのでしょう?

人口2万人足らずのパステルカラーの家々が、愛らしく立ち並ぶ街並みが印象的でした。

この地域は魅力的な歴史、ローマ帝国オスマン帝国やモンゴル、
ハブスブルグ家の影響を受けた興味深い場所なのです。

朝食(バイキング形式だがどんなリクエスト料理にも対応)後、
フロントに集合し、昨夜の内に選んだツアーごとにバスに乗り込みます。

昨夜のクルーズマネージャーのJerenaさんのアドバイスに従い
チップとお土産を買う程度の小銭を持って。

それは災難を避ける為の大切な秘訣との事。
すべての見学でも心がけてほしいと言われました。

ツアーごとに色分けされているのでバスを間違えることはありません。
部屋で充電されたイヤーホンを持参します。

私は夫の体調に配慮し難易度1 の一番優しいコースを選びました。
9時に出発しバスで約一時間、ペーチ(モハーチより西側)に着きました。

猛暑の日本と違って小雨と風のせいで寒いくらい。
ここ、ペーチはローマ時代にはソピアネと呼ばれ
その初期のキリスト教の中心的存在の都市であり、世界遺産に登録されています。

この町の中心部セチューニ広場。
そしてそのシンボルの旧ガーズ.カスィム.パシャ.モスク。
中に入るとまさにモスクなのですが、キリスト教寺院なのです。

難易度1 を選んだ私たちは町の中を歩かずにトロッコバスに乗って町を散策できました。

この町は泉で溢れ、きれいな水が噴水としてあちこちで見受けられました。
ここでは自由時間もあり、夫とスーパーマーケットや
楽しそうな品物が並ぶお店を覗いたりもできました。

この町にはジョルナイ焼きのタイル工場がありました。
あのドナウの真珠と称えられるブダペストの建物を彩るタイルです。
建物の尾根や天井や内装にふんだんに使われているあの美しいタイルです。

マーチューシャ教会や工芸美術館、旧郵便貯金局、地質学研究所。
それらの建物にはハンガリーのガウディと呼ばれる建築家が
民族に根差した芸術を惜しげもなく取り入れたのです。

ペーチ、美しく高貴な印象のこの町、ペーチ。
私は一生忘れることはないでしょう!!!

ペーチを楽しんだら、船に戻ってランチです。次第にお友達もでき始めました。
We’re from Miami. What part of US are you from? と声を掛けられました。

どうやらアメリカ人に間違えられたようです。
それもそのはず、日本人はいえ、アジア人は私達だけでしたから。

食事タイムのテーブルは空いている席なら自由に選べます。
その後、マイアミからのご夫妻とディナーのテーブルでよく一緒になりました。

ランチはレストランでのフルコースとラウンジでの軽食、どちらでもOK。
少食の私たちはラウンジでスープとサンドイッチくらい。
でもレストランではどんな我がままでも聞いてくれる
(メニューにはないものでもOK)フルコースのサービスが用意されていました。

午後、2時半から6時までのやはり難易度1のツァーに出かけました。
ペーチの南西部、ヴィッツラー二―。
ハンガリーのワイン知名度を上げている有名なワインの産地。

バスで45分、どんどんと山の中へと進んでいきます。
ブドウ畑が広がるこの地方はどことなくアルプスの高原を思わせてくれました。

ワインのティストとレクチャー。
ワインセラーに入って本格的なワインを頂きました。
ひんやりとした空気もワインも美味しい。
ここで赤白のワインを4本お買い得にゲット。
ラッキー!!

横須賀に10年住んでいたというこアメリカごの夫妻と仲良くなりました。
奥様が言われるには、
「私は横須賀でプラムワイン(梅酒)を作っていたのよ、日本の豆腐や納豆も大好き」
彼女の日本の思い出話は興味深い。

船に戻り、7時からディナー。マイアミからのご夫妻と一緒の席になりました。
メニューにお勧めのコースが書いてあります。
でもどんな料理でもリクエストできるのです。
例えばパスタとか、オムレツとか。凄いです。

私たちはステーキと魚をオーダーしました。
ウェイターがそれもできるけど、
絶対に今日のお薦めメニュー、チキンをお勧めします、絶品です。
というのです。
それでメニューを変更することに。すると本当に美味しい!!
ソテーされたチキンにチェリーソースの何と美味な事でしょう。

Myrian と Daniel ご夫妻との楽しいお話が更なる美味しい味付けとなりました。
デザートはケーキ。でも、一口食べてNo thank you(パウンドケーキ)。
それでアイスクリームをお願いしました。もちろんOK。

23時アマセレーナはモハーチを出港し、
ヴコヴァルへとドナウ川を静かに進んでいくのでした。

モハーチ、ペーチ、ヴィッツラー二―。
私はこれらの町を宝石、ドナウの琥珀(美しい時を重ねた自然石)と名付けておきましょう。


高校時代の恩師からの便り

私の職歴⑰ ~ビガー・トラベル・サービス設立~で止まってます。
その間、ありがたいことに、ドバーッとお仕事をいただいて、
書く時間がありませんでした。

先日も、ポナン・ロストラルに乗船し、
その乗船レポートも今週中には、載せますのでご期待下さい!!

先日、高校時代の恩師から、高校の総会のお誘いがありました。

私の高校は、浪速工業高等学校。(現:星翔高等学校)
卒業して29年が経ちます。

大阪でも学力は低く、最下層クラス。
大声で卒業した高校を言うことは、ありませんが、
私は、酒井先生、小山先生が恩師ということに、胸を張れます。

卒業後は、学校にはよく顔をだして、仕事を紹介していただいてました。
この10年程、ご無沙汰しており、お会いするのは久しぶりです。

入学は、1985年。
1年の担任が小山先生。
科目は英語で柔道部顧問。

挨拶、礼儀、言葉遣いを徹底的に教えられました。
授業が終わったら、放送で「森本!職員室に来い!!」
何も悪いことはやってないのに、毎日のように呼び出し。

そして進級2年へ。
クラスを別けられ、大学への進学クラスと思いきや、
自動的に就職クラスになってました。

2年9組。酒井学級。
どうしようもない、落ちこぼれを集めた学級。
年上の方がクラスに9人。
これをまとめるのは、酒井先生しかいないと、貧乏くじを引かされたとの事。

ある日、同じクラスの米地君が、
「今日から心を入れ替える。大学を目指す」と、
酒井先生に相談しに行きました。

帰ってきたら、顔がボコボコになり、
後で分かったのですが、鼓膜が破れてました。
「お前が言うな!世の中舐めてんのか!!」

横のクラスに大久保君が大学を目指して、そのあだ名が「大学」。
そんなレベルの学校でした。

今回、酒井先生は、全員に案内状を出しましたが、
他の世代の酒井学級は、たくさん出席されてましたが、
私のクラスは、私一人が出席でした。

酒井恩師は、他の教え子もたくさんいるのに、
私につきっきりで、円卓の席も横を用意していただき、
気にかけていただきました。

酒井先生は、紙袋一杯に、各世代の修学旅行の集合写真を持ってきました。
私も何十年ぶりに見る写真。
懐かしく、目頭が熱くなりました。

私の円卓は、各世代の酒井学級。
皆が一番殴られたのは、俺の世代だと譲りません。
酒井先生の武勇伝に花が咲きました。
今だったら、1分でクビになる話です。

今年65歳で定年し、嘱託で学校に来てます。
あんな怖かった、大きな先生が小さく見えました。

最後の方で、「名刺配ったか?」と、聞かれ、
まだですと答えたら、
「よし、ついてこい!!」と、
教え子全員に一人づつまわって紹介していただきました。
「俺が一番殴ったどうしようもない奴や。旅行言うたって!!」
30回以上同じセリフでまわっていただきました。

恩師には当日言えませんでしたが、この場を借りて、
「酒井先生の教え子、森本哲也は、偉くなれませんでしたが、
誰にも恥じることなく、まっすぐ堂々と歩いております。」

酒井先生、長生きしてください。
もっと人間的に立派になる姿をみせます。

●左から酒井先生、小山先生、種橋先生(現校長)