私の職歴⑮ ~カンボジアから日本へ帰国~

帰国を決断


私自身には直接はなかったのですが、ずっと脅迫があったのは知ってました。
プノンペン本社の三浦社長へ、毎日のように脅迫の電話。
何も気にすることはないと、言ってましたが、
ある日、その標的が三浦社長の子供に。

子供の誘拐の脅迫。
私だけだったら、なんてことないのですが、
子供を出されたら、参ってしまいます。
もう疲れました。

私が辞めれば解決することです。

2002年3月31日退社しました。

完全に私の失敗です。負けました。
一部のカンボジア人との軋轢。そのたちの動かし方。

善い行いと信じて行動しても、結果がこうなれば負けを認めないといけません。

幸せとは


日本NGOの人権団体が、一年に一回、ある村の支援に団体で訪れます。
貧しい村に学校をたてて、物資を送り支援する団体。
日本の大手旅行会社からの手配で我社で行ってました。

ある日、その村の子供たちがアプサラダンスをするので、
昼食を団体で取る代わりに舞台を貸してほしいと交渉しました。
当日、そのレストランには一般のお客さんも利用してました。

私は、お騒がせしてご迷惑をおかけします。
と、他の一般の客に言いまわってたら、
その団体の一人のマダムが、
「この子たちは貧乏で、その子たちが一生懸命に練習してきたの。
 あなたボケっとしてないで、この子たちの為、
 見てる人たちにお金をもらってきなさい。」

私はその場から、そっと逃げました。
するとそのマダムがしつこく追いかけてきて、
「なにしてるの!!早くやりなさい!!」
と、鬼の様な形相でまくしたてられました。

すみません。私にはできません。
「あなたクビ!!」
「もうあなたの会社は利用しない!!」

偽善行為は、やりたい人がやればいいと思います。
それは否定はしません。
ただ、人に押し付けることは、私は拒否をします。

その方からみれば、貧乏なだけ。
幸せ、不幸は自分自身が思うことです。

私から見れば、何もストレスもなく、
食べるものは、年中温暖な地なので、そこら中に果物等あるので、
寒さで凍死することもありません。
その村の人たちの方が幸せに見えます。

よく日本の報道で、学校オープンばかりが、
クローズアップされてますが、
建物が過多になり、教師が不足してただの箱になっていることもあります。
そういう報道はどこもしませんし、
本当に必要な地道に人を育てることは、絵にならなく、感動を売りにできにくい。
派手に建てたその企業なりが、社会還元という売名になり、
絵になり、感動を売りにできやすい。

私も善い行いと信じて、押し付けていたのです。
ただ、今あの時に戻れても、
全く同じ行動をとっていると断言できます。

今回、カンボジアでは、失敗もあり、挫折しましたが、
立て直して、もう一度挑戦しようと決意しました。

チャンヤには、必ず戻ってくる。
一緒にやろうと、約束しました。

あれから16年たった今、カンボジアには戻れてない。
チャンヤとの約束がまだ実現してません。
今も、思うたびに胸が痛くなります。

退社の日、送別会を開いていただきました。
カンボジア人の酒は楽しく、笑い声ばかりになりますが、
チャンヤは怒っていて、今日は楽しもうと言ったら、
「なんで正しいことをやってきたのに、辞める羽目になった。
 みんな分かってない。よく騒げるな。」

一人でも、心から信用できる人と知り合った。
この人の為ならと今でも変わりません。
それだけでもカンボジアに来た意味がありました。

2-3日滞在して、シェムリアップを離れました。
まだアンコールワットを写真で撮ってない。
急いで離れる前日、アンコールワットで写真を撮りました。

アンコールワット

 


私の職歴⑭ ~チャンス~

先日のバンコクで


カンボジアに来て1年以上が経ちました。
上倉さんが入り、精神的に楽になりました。

このお盆に、タイ・バンコクへ行き、上倉さんとお会いしました。
今年、2016年5月から、カンボジアからタイへ異動。
カンボジアに住んでいた時より、驚く程、顔色が良くなってました。

毎朝、満員のBTS(高架鉄道)で通勤しているとの事。
カンボジアでは、車、バイクで、ドアtoドアで、歩くことがまずありません。

バンコクに来てから、1日/1万歩近く歩き、汗もかきにくい体質になってました。
その夜、Hook Shark-Fins Restaurantへ。
フカヒレとアワビをご馳走になりました。

いつものように話が盛り上がり、
普段の私は、あまり飲まなく、ビール1本飲んだら、相当飲んだレベル。
この日は、二人でシンハビール10本以上あっと言う間に空けました。
美味しかったです!ご馳走さまでした!!

日本食レストラン「銀河」オープン!


話は、15年前のカンボジア滞在時に戻ります。

ホテルのレストランで毎食行くことはできず、
自炊するようになりました。
パサパサご飯を炊き、おかずは魚醤にニンニク、唐辛子を入れたタレのみ。
もしくは、タイ製インスタントラーメンにこのタレをぶっかけ。

毎日、唐辛子を食べていると、辛さに口が麻痺をするせいか、
日に日に唐辛子の量が増えていきます。
その時、日本で激辛大会があれば、優勝したと思います。

そんな食生活でしたが、ある日、日本食レストランがオープン。
「銀河レストラン」シンガポール人経営で、主な素材はシンガポールから空輸。
毎食のように行くようになりました。

値段は日本の定食屋と同じ程度。
出前を交渉し、昼食に弁当を出前するようになりました。
$5-でトンカツ弁当か鯖弁当の2種類。
日本で食べたら、今ひとつのレベルですが、その時は本当に美味しかった。
1年間、昼食はトンカツ弁当か鯖弁当。

トラベル懇話会 カンボジアへ


日本の大手旅行会社のお偉いさんが、ご夫妻15組程で、毎年世界へ旅行に行きます。
その評価により、鶴の一声で、会社の将来が大きく変わります。

その年、ベトナム&カンボジアに決まり、当社に決定します。
失敗は許されない大仕事であり、大きなチャンス。

ガイドは、チャンヤ。
いつもやっているように、後悔のないように、精一杯やろう!!

知りたいのは、遺跡の歴史でなく、
カンボジアの歴史、日常、考え方、政治、宗教、日本をどう思うか。
できたらポルポト時代の話も聞きたい。

どの業界でも同じように、旅行業では特に、政治、宗教の話はご法度。
でも、相手を尊重し、嫌な思いをさせない言い方もあると思います。

チャンヤには、
失敗したら、私の責任になるので、何も心配しないで下さい。
チャンヤが、どこまで本音で話せるか。
出し切ろう!!

チャンヤにとっては、大チャンスです。
成功すれば、カンボジア ナンバー1ガイド。
指名がかかり、仕事には困ることがなくなります。

何としてでも、成功するぞ!!
Chanya3                ●チャンヤ 2014年撮影

事件発生


トラベル懇話会がカンボジアに来る3日前、事件発生。
私の貯金が全部なくなっていました。

カンボジアに銀行はあるにはあるのですが、
いつ潰れてもおかしくないので、
お金は、自宅の机の引き出しに鍵をかけてました。

普通、その引き出しは開けませんが、その日何気なく開けたら、
スッカラカン。
日本円で150万円位。目の前が真っ暗になりました。

家のオーナー家族が取るはずもなく、
メイドさんを疑ったのですが、泣いて絶対してないと主張。

日本大使館の知り合いの方に連絡。
カンボジアの警察に言ったら、逆に狙われる。

その方は、群馬県警からの出向で、大使館の警備責任者の桜井さん。
熱い男。魅力ある方で、この国に「交番」を普及させることが使命。

日本大使館は首都プノンペンにあるので、
たまにシェムリアプに来た時は、必ずご連絡をいただき、
気にかけていただき、いろいろお世話になりました。
(一緒にいろいろ悪いことも)

桜井さんにその件を伝えると、
よーし!カンボジア初めての指紋採取だ!!
と、シェムリアップ警察署長にすぐに連絡し、
直々に、国を挙げての大事件捜査。

調書を受け(殆ど通じない)、いざ家宅捜査。
悪徳警官(カンボジアでは警官全て悪徳と思ってました)が10人程、家に入り、
机の大きさ、ドアの大きさ、入り口から冷蔵庫までの距離を、メジャーで図り、
冷蔵庫の中身も調べられ、
その時点でこりゃダメだと確信しました。

そして、いざ、カンボジア初の指紋採取。

誰かに教わって来たのですが、本人たちは誰一人理解してません。
何回もやっているうちに、もう駄目だ。と、
暑いから、指紋が取れないと、グジャグジャにしてしまいました。
家中が指紋採取の汚れ。

帰り際に、今晩飲みに行くからお小遣いくれ。
冷蔵庫に入っているもの貰っていいか。

渡さないと報復があります。
案の定、スッカラカンになってしまいました。

翌日、気落ちして放心状態。
ホテルでの打ち合わせで、ロビーで座り、そのまま移動。
あっ!!鞄を忘れた。
すぐに行ったら、当たり前ですが、鞄ごとなくなってました。
昨日、お金を取られ、用心し全財産を鞄に入れてました。

何で夜遅くまで無給で、ガイドの仕事を手伝い、
クレームをなくそうと、命まで張って、狙われてる。
そしてカンボジアで頑張った分(殆ど日本からの貯金)が、全てなくなりました。
腐って辞めようかと真剣に考えました。

この先、長い人生で、ここで逃げたら、一生逃げることになる。

元々、何もなかったではないか。
冬の寒い日、自動販売機の前で、100円の温かい缶コーヒーを買うか買わないか、
30分悩んでいた頃から比べたら、こんなの大したことない。
また頑張るしかない。と、自分に言い聞かせました。

明日から、大仕事。
チャンヤは、人生を変える程の大チャンスの仕事。
腐っている場合じゃない。

当社の日本社長ご夫妻が添乗、ホスト役で同行。
入国審査素通り。(三浦社長が全て段取り)、

失敗するよりも、あの時、これをやっとけば良かったという、後悔だけはしたくない。
私もチャンヤとともに、ずっとお客様に付き、
2泊3日、全力を尽くしました。

帰りの空港で、日本本社の社長に、
「お礼状をお送りしたく、皆様のお名刺をいただきたく、ご挨拶してよろしいでしょうか。」
と、お伺いしました。

「バカヤロー!!、まだ、いただいてなかったのか!!
 自分から求めなかったら、何も動かないぞ!!」

目からウロコとはこのことです。
この言葉は、今でも私の基本です。
自分から求めなかったら、何も始まらないことを学びました。

これをきっかけに、チャンヤはカンボジア№1ガイドに。
チャンヤより日本語がうまいのは、他にたくさんいるいます。
心です。

その件以来、お金は銀行に預けました。
マレーシア資本のOverseas bank。

1年がたち、
その銀行に、外国人預金者が殺到している。と聞きました。
すぐに行ってみると、外国人が10名程、解約手続きに。
お金を返してもらえないとの事。

行列でやっと私の番に。
マレーシア人支店長に、すぐ解約と言ったら、
今、本店より送金待ちで、今はない。
日本人を尊敬している。
他の外国人より先にあなたに連絡する。

それでも、すぐに解約と粘って交渉しましたが、
家族がこの2階に住んでおり、逃げも隠れもしない。
日本とマレーシアの絆は深い。
我々は仲間だ。安心しろ。

翌朝、シャッターが閉まり、張り紙。
異議申し立ては、国際金融裁判所へ。みたいなことが貼ってある。
すぐに国内線でプノンペンのOverseas bankへ。
シャッターが閉まり、同じ張り紙。

なんでこうなるの!?

そうこうしているうちに、三浦社長から連絡が。
ずっと、脅迫されてましたが、子供を誘拐すると言ってきてます。
私だけだったら、なんてことないのですが、
子供を出されたら、参ってしまいます。
もう疲れました。

私が辞めれば、問題解決します。
帰ろう。


私の職歴⑬ ~エンジョイ カンボジア!~

エンジョイ カンボジア!!


上倉さんが来てから、それまでの重圧がどこかに飛んで行きました。
上倉さんは仕事もでき、タイ語、カンボジア語、英語も堪能。
私と全く逆のやり方で、こんなやり方があるのかと、勉強になりました。

シェムリアップに日本食レストラン「銀河」がオープン。
シンガポール人オーナーで、食材はシンガポールから空輸。
昼は、弁当を出前。
「とんかつ弁当」か、「鯖塩焼き弁当」の2種類。$5-。
毎日、ずっと食べ続けました。

土曜日の午後は、スタッフに内緒で、
カンボジア・タイの国境の街「ポイペト」へ1泊旅行。

カンボジア側にカジノ・カジノホテルが4軒程あり、殆どがシンガポール資本。
タイにはカジノがないので、タイ人が国境を越えてやってきます。

地獄のピックアップトラック


それまでもポイペットに行った事がありました。
初めて行った時には、道が悪く8時間かかりました。

公共交通機関がないので、移動手段はピックアップトラック。
定員:乗せる分だけ。
これ以上乗れないとなったら、出発します。
鶏、豚、自転車、何でも載せます。

運転席の屋根付き部分には、
1シート二人。ギアもまたいで座ります。
その後ろの座席(荷物置き)では、5人座ります。
その後ろのトラック部分には、これ以上乗らない限界から、あと5人乗せます。

道は、もちろアスファルト舗装はなくデコボコ赤土。
どう説明したら伝わりやすいか、想像×5倍のデコボコ。
雨季には、いたる所に小川ができ、橋屋、誘導屋が登場します。

橋屋は、ずっと一日中、板を2枚持ち、お金を払ったら、その板を敷く。
誘導屋は、一日中、おっさんが川の中に顔だけを出し、
どこが浅いかお金を払ったら、教えてくれます。
運転手はいつも、そのお金を渡すのではなく、川に投げそれを何人も追いかける。

初めての国境への旅は、
そんな過酷なものと分からなかったので、
ピックアップトラックの運転席後ろを乗りました。
地獄の8時間でした。

ピックアップトラック

運転席の後部座席に本来なら、人の乗らない荷物置きに5人びっしり。
前後の間隔もなく、足が1cmも動かせない。
手は動かせず、かろうじて指が数ミリ動くだけ。
隣の人と密着で、息遣いを8時間。

出発前、そんなこと分からなかったので、
ズボンの前ポケットに、ボックスのタバコを入れてました。
ボックスの角は、股に当たっており、激痛。
手が動かせないので、それも動かせない。
下車したら、血だらけになってました。

やっとのおもいで、ポイペトに到着。
なぜか、全身泥だらけになってました。
冷房もつけずに、本当に地獄でした。

後で分かったのですが、助手席+ギアまたがりを3人分払ったら、
助手席を独占できます。帰りは3人分支払い助手席を独占しました。

●2012年のポイペト シェムリアップからの道は全線舗装

目の前の1泊/$2-のゲストハウスへ。
ゲストハウスには泊まりたくなかったのですが、
カジノに豪華ホテルがあることを知らずに泊まりました。
裸電球の1つの、陽が当たらない、ジメジメした部屋。
布団も枕も臭い。ベッド下には使用済みコンドーム。
水道もなく、かめで雨水を使う。
泥だらけの体をかめの水で頭からかぶり、泥を流す。

カンボジア・タイ国境のカジノは、タイでは法律で禁止されてるので、
カンボジア側にあります。
と、いってもカンボジア人はゲートより先には行くことができません。
シンガポール資本のカジノ&ホテルが4軒。
タイ人がカジノ目的で訪れます。週末はかなりの混雑。

カジノゲートには、警官がチェックをしており、
パスポートを持ってないというと、入りたければいくらかかると、
お小遣いを渡さなければ入ることができません。
頭から水を被ったので、ビショビショで、
来る途中に足がぬかるみにはまり、泥だらけでカジノへ。
よく入れたものです。今では絶対に入ることはできないでしょう。

●2012年 ポイペットのカジノ

カンボジアのイミグレーションを通り、
約200mの川に橋があります。この川が国境。
タイのイミグレーションへ。
この200mが、タイムマシーンの如く、200年の差を感じます。
カンボジア側は、裸の人が多く、埃っぽいのが、
タイに入ったとたん、心地よい風が吹きます。
道路も全て舗装されており、コンビニもあります。

●2012年 年々イミグレーションが混み合いっていきます。

タイ国境からトゥクトゥクで約10分でアランヤプラテートの街。
田舎町で何とも落ち着く街です。
夜にはちょっとしたナイトマーケット。
カジノで泊まるより、アランヤプラテートで泊まる方が楽しいです。

上倉さんと、ポイペトに行くには、車をチャーター。
その頃は、道がよくなり4時間で行くことができました。
今では、全線舗装しているので、2時間で行くことができます。

上倉さんとは、カジノで、夜通し日本の歌を歌いながら、横同士のスロット。
アランヤプラテートへ泊りに行ったり。
プノンペンの船上カジノへ行ったりと、
カンボジア生活をエンジョイしました。

仕事もしっかり、遊びもしっかり。
何かあると、納得するまで話し合いました。


私の職歴⑩ ~新たな挑戦~

日本の美徳は海外では通じない?


今まで、クレームばかりなので、まずは信用を付ける時。

その場限りでの儲けではなく、
一生懸命、お客さんに喜んでもらうように、頑張ったら、
そのお客さんが、めぐりめぐって、仕事が増え、収入も増える。

これは日本人の美徳で、外国では通じません。
日本人は、仕事が生きがいで喜び。
ありがたく、今日も働かせていただいているのに対し、
欧米の考えでは、聖書にも書いているように、仕事は罰。

やはりカンボジアでも、仕事は生きがいとする考えはなく、
仕事が生きがいで喜びではなく、生きる為の手段。

日本の考えを、押し付ける事はしたくありません。
しかし、お取り扱う全てが日本人。

ガイドがもらう賃金は、一日いくらと決まっているので、
それ以上、稼ぐには、現地でオプションを売り、土産屋に連れて行くしかありません。
会社を通さず、勝手にドバイバーと行くので、
行程が狂い、お客さんは、決めてきたコースではないと、
日本に帰ってからクレーム。旅行業法の旅程補償(ペナルティ)の対象。

カンボジアスタッフは、日本の会社、営業がどれだけ頑張って、
仕事をとってきているのかわかるはずもありません。
また世界はカンボジアだけではありません。

日本人はお金持ちだから、簡単に旅行を行ける。
そんなことはありません。
あなたたちより何倍も働いて、倹約もして、
カンボジアに行くことが、どれだけ楽しみにしているか。

観光客は、ガイドでその国の印象が決まります。
ガイドは、毎日同じことの繰り返しで、どうしても慣れてきます。
お客さんの殆どが、初カンボジア。
慣れてはいけません。
この仕事で大事なのが、一期一会。

私の月給も$1,000-。
カンボジアに居れば、高給取りの部類ですが、日本では、初任給以下。
何とかしなけれなりません。

頑張ったら、頑張った分、仕事が増え、収入も増える。
日本の美徳は、言い聞かせるのではなく、私が実践してみせるしかありません。

新たな挑戦


第一にお客さんに喜んでいただく。
その為には、目先のお金を求めない。
これは長期になりますが、この仕事を生業とするなら、必至です。

遺跡の案内で、歴史物語は3分以内。
40℃にもなる所で、長々と歴史の話を聞くのは遺跡マニア以外は苦痛。

日本人が知りたいのは、何を食べているのか。
どんな所に暮らし、どういう生活をして、何が贅沢なのか。
あなたの夢はなにか。生活、考え方、日本をどう見ているか。
ネタが尽きることはありません。

長期の目標だけでは、ついてこないので、
オプショナルツアーを会社が完全管理。
会社に利益を入れ、ガイドも今まで以上の利益がないと動きません。
尚且つ、お客様に喜んでいただく。

オプショナルツアーをいろいろ考え実行しました。

●土産屋と契約し、コミッションの完全管理。

●シクロで遺跡観光
シクロ:輪タク(自転車タクシーのベトナム語)で、それがカンボジアにも普及。
遺跡を風を切って、歩く目線で遺跡を周る。
どんなに素晴らしいだろう。

シェムリアップにはシクロの文化がなく、カンボジアの首都のプノンペンにしか居ません。
三浦社長に相談し「OK!!」と、いっていただきました。
3日後には、プノンペンからシクロマンが10人、
自身のシクロで3日かけてシェムリアップにきました。
給料は、半日を月給$15-+1回1$。
寝泊りは会社の敷地で自身のシクロ。

みんないい人ばかりで、三浦社長は、よく短時間に良い人ばかり10人も選び、
すぐにシェムリアップへ来たのには驚きました。

その間に観光省に遺跡にシクロ乗り入れ許可を申請。
同時に当社での独占許可も通りました。
日本へ新企画「アンコール遺跡をシクロでめぐる」を発信。
現地オプションでも販売。

●シクロナイトツアー
夜、その頃、どこにも行くところがないので、シクロナイトツアーを開始。
シンガポールのトライショー(輪タク)ツアーをパクりました。
シンガポールでは、インド人街、オカマ人街などを通り、
最後にニュートンサーカスでのかき氷。

それに対してシェムリアップでは、
電気がない、真っ暗闇の街を楽しみ、最後にシェムリアプ川沿いの
ラッキーカフェで、フルーツシェイク。

●足つぼマッサージ店オープン
当時、シェムリアップに1軒もなかった足つぼマッサージ。
今では、シェムリアップで数多くありますが、これが1号店です。

三浦社長に、会社の1階を足つぼマッサージにしたい。(会社は新社屋に引っ越し)
と、相談しましたら「OK!!」
プノンペンにマッサージ師いないでしょうかと、聞いたら、
3日後に中国人のマッサージ師がシェムリアップにやってきました。

プノンペンの台湾系マフィア経営の「ベンツサウナ」から、中国人を引き抜き。
その方を指導者として、マッサージ師を募集。
いつもながら、三浦社長の行動力には、本当に凄いの一言。

マッサージ師は、完全歩合制で、1回/$1-。
多数募集があり、8人を確保。
その日から1週間、中国人先生の特訓が始まりました。

中国では、足つぼマッサージは医療で、国家資格が必要。
その為の医療学校を卒業し、資格を持ってないとできません。
私も足つぼは好きでよく行きます。
棒で押したりする所も多いですが、先生は、許しません。
全て指押し。

先生が施術したら、おしっこが我慢できなくなります。
体の毒素が尿ででているとのこと。

施術中、ここが痛いのは、どこが悪い等の身振り手振りも説明も取得。
1週間の特訓で、指の皮が擦り剥けても、みんな頑張りました。

私は、バンコクへ買い出し。
店で音楽を流し、良い雰囲気にしようと、
CDプレイヤー。BGMのCD。足つぼステッカーを購入。
椅子は、籐の椅子をシェムリアップで購入。

いよいよオープン。
一番目に三浦社長に受けてもらいました。
施術する前に、ズボンを膝上までめくったら、両足のスネ、ふくらはぎに、無数の傷跡。
直径1cmの穴が40個ほどありかなり深い傷跡。
聞くと、ポルポト時代に、無我夢中で逃げた際、ジャングルで、
パチンコ地雷を踏みました。
踏んだら、パチンコ玉のような物が、無数に飛び散る爆弾。
命からがら、カンボジアを脱出し日本へたどり着きました。
その後、日本国籍を取得。

カンボジアのポルポト時代を知っている世代は、
みんながみんな、そういう経験があります。

平和な日本で生まれ暮らしていたら、平和があたりまえ。
今の日本は、歴史上経験したことがない平和で、豊かな国。
この平和で豊かなのは、日本も先人たちが命がけで勝ち取ったもの。

人に対しての礼節、思いやり、世の為、人の為。
世間様にご迷惑をかけないよう。

こんな素晴らしい国は、世界どこにもありません。

足つぼマッサージは、ガイドがお客さんに販売すれば、一人当たり/$5-のコミッション。
ガイドにとっては、良いビジネス。

空港に張り付いて、私がお客さんにご挨拶。
滞在時の注意事項と、オプショナルツアーのご案内。
足つぼマッサージは、なかなか反響がよく、そこそこ売れました。

ただ、シクロツアーは、想像より大変でした。

アンコール遺跡は、アンコールワットだけでなく、
その周辺には200以上の遺跡があります。

アンコールトムという遺跡の中心にバイヨン遺跡があります。
その周りに遺跡が点在し、小回りルート、大回りルートがあり、
シクロは、その小回りルートを周ります。

通常車では、2時間で周れますが、シクロの場合、4時間かかります。
それもシクロを遺跡に待機させ、バスで行き乗り換えます。
道が舗装されてないところも多く、事故の心配もあり、
ガイドだけでは心細い。

また、シクロナイトツアーは、シンガポールと違い、市内の道はデコボコ。
雨季には、水たまり、ぬかるみ。
何より、電灯が殆どないので、殆どが真っ暗闇。
安全に運行する為、バイクでの先導が必要です。

先導の見本を見せる為、私が同行しました。
シクロツアーは、夕食レストランからホテルまで約2時間。
さらに、足つぼマッサージをプラスすれば、
終わるのが0:00を過ぎることもあります。

ガイドは翌朝、アンコールワット・サンライズが、殆ど入っているので4:00起き。

私が、毎晩やるはめになりました。
朝から夜遅い時は、深夜1:00まで。
もし、コミッションが私に入ってきたら、喜んで何時まででもやりますが、
ガイドに入り、私には一切入ってきません。

道筋を作って見せる。お金は後からついてくる。
これを信じて、毎晩深夜まで休みなく働き続けました。

●夜の社交場・大人のカラオケ店
これは会社は一切ノータッチ。

これが大騒動の始りでした。

シェムリアプ
2014年 市内中心のオールドマーケット公衆便所の看板。


私の職歴⑦ ~カンボジアでの改革~

カンボジアに住んで仕事をして、1か月が過ぎ、
生活にも少しは慣れ、仕事の流れも分かってきました。

クレームだらけのカンボジアの会社。
私の職務は、クレームをなくし、さらに来客を増やす。そしてガイドの教育。
三浦社長からは、思うようにやっていいと承諾を得ました。

3つのルール


まずはルール作り。
当たり前のルールで、簡単そうに思えますが、これが難しい。

1.遅刻はしない。
・ガイド、ドバイバーは到着便の30分前までに会社へ来て、
 お客様のミーティングボードも持って空港へ。

・出発の10分前にホテルで待機。

2.オプショナルツアーは会社を通す。
・行程を勝手に変更し、コミッション稼ぎはダメです。
 会社を通したら、それよりも多く稼げて、クレームはでません。 

3.トラブルがあったら報告。
・すぐに報告してください。私が会いに行き、火消し役になります。

この3つをルールを作り、スタッフに説明しました。

文化の違いがもちろんあります。
それは日本人が正しいというのではなく、日本人を相手にして仕事をするにあたり、
知っておかなければなりません。

押し付けないように、穏やかに、怒らずに、喧嘩をせずに、楽しく。
私があまり前にでないよう意識してました。


3つのルールとともに、自分の役割を決めました。

・日本にはクレームを持ち帰らさない。
お客様全てに、カンボジアでの注意事項の案内を作り、
私が空港に張り付いて、お客様へご挨拶。

・日本への情報発信。
新しいホテル、レストラン、カンボジア情報などどんな細かいことでも
発信することにより、カンボジアを広く知ってもらう。

・お客様へのサービス。
暑い中、遺跡を歩き、日中40℃を超える時には、遺跡での温度は、50℃を超える時も。
観光のパターンは、午後アンコールワットへ行き、プノンバケンで夕日鑑賞。
そのままレストランで夕食なので、汗だくのままです。
こんな時、冷たいおしぼりがあれば、どれだけ嬉しいか。

三浦社長に相談し、即「OK!」
カンボジアスタッフに話し、それはいい考えだ。協力すると約束。

すぐに実行しました。
オールド市場でおしぼりに似たタオルを300本、クーラーボックスを10個購入。
冷蔵庫は会社にあったので、タオルを水に付け、1本1本巻いて、冷凍庫・冷蔵庫へ。
おしぼりを洗う洗濯機を購入しようと思ったら、みんなから止められました。
誰も洗濯機を知らなかったのです。
毎日の事で、手洗いはすごい労力なので、洗濯機を購入しました。

念願の引っ越し


家もオフィスとドア1枚で、プライバシーがなく、引っ越すことにしました。
もちろん不動産業、アパートなどなく、
大きくて、住みやすそうな家に直接行って、空き部屋ありませんか?と、交渉するだけ。

いろいろ見に行きました。
小奇麗で、大きさもちょうどよい家がありました。
家賃1ヶ月:USD200-。
通貨はカンボジア・リエルがありますが、使うのは少額で、米ドルが流通してます。

2階部分で、気に入り、ここで決めよう。
帰り際、窓を開けてみると、1階部分にはワニの群れ。
横の家の塀との狭いスペースで、200匹以上はいました。

カンボジアでは、一般の家でもワニを育てており、
餌を与えるだけで、手間がかからず、大きくなったら高値で売れます。
寝ぼけて落ちたら終わり。
さすがにやめました。

違うところで、日本のワンルーム位(約20㎡)で、狭いですが、
小奇麗で、居心地が良さそう。
なにより大家さんの家族がいい人なので、契約しました。
1ヶ月:USD150-ドル。電気代別。

そこの家主の住み込みのメイドさんに、洗濯、掃除等、1ヶ月:USD30-でお願いしました。
20歳の独身の素直で可愛い娘さん。
田舎から働きに来て、(シェムリアップも田舎ですが)
メイドをやって現金を稼ぎ、何か月に一回、田舎へ持ち帰ります。

○写真は自宅。
私の趣味ではありません!全て家主さんの趣味。
家主:パパ・ママ・息子。他には、ちびまるこにでてくる、そっくりのおじいちゃん

事件勃発


なるべく私が前に出ず、怒らず、押し付けないように、穏やかに、喧嘩をせずに、楽しく。
が、かなりストレスになってました。
それをすることによって、舐められるのです。
まだカンボジアに来て、一回も怒ったことがありませんでした。

そんなある日、事件が起こります。
前に紹介した、何かあったら相談し従えと、日本の本社の社長から言われていた
優秀なカンボジアナンバー1ベテランガイド社員。

かなり遅刻が目立っていました。
もちろん誰も何も言いません。
他のガイド、ドバイバーも真似をする。
その人がメチャクチャにしているのは、誰がみても分かりました。

いつものように遅刻。飛行機は到着している。
私が、代わりにガイドをすると、会社を出たとき、
彼が何食わぬ態度で堂々ときました。
「○○さん、遅刻ですよ。到着30分前に来てください」
と、やさしく、穏やかに言いました。
無視。

もう一度、やさしく「聞こえてる?」
無視。

もう一度、やさしく「聞こえてないのかな~?」
すると、私を睨み付けて、唾を吐きました。
「ブチーン!!」と、はっきり何かが切れる音が聞こえました。
ずっと我慢していたのが、爆発してしまいました。

カンボジア人に感情むき出しで、怒るのはご法度。
しかも最高にプライドが高い。

泣いて「お前は絶対許さない」。
スタッフ全員が見に来ていて、
それから態度が明らかに変わりました。
そのナンバー1ガイドは、その時限りで退職。

その事件以来、訴えられ、新聞に載り、脅迫され続ける始まりでした。