バンコクからマカオ経由で帰国

プロ中のプロ タクシードライバー
バンコク レンブラント・スイーツに5泊。
日本に帰国します。

1/10 バンコク・ドンムアン空港22:45発。
ドンムアン空港近く(車で約15分)のホテルを1泊とりました。

ホテルチェックアウト後、Grabでタクシーを呼ぼうとしたら、
ホテルエントランスにタクシーが入って来ました。

60代半ばと思われるガタイのいい、強面の男性の運転手。
なぜか乗客は乗っていません。

ホテル詳細画面をスマホを見せようとしたら、
そんなの見なくてもいいと、見ようとしません。
ホテルは「ザ ジャーニー ホテル ラクシー」
ドンムアン空港の近くとホテル名だけて理解しました。

今はカーナビ、グーグルマップなどそんなものに頼らなくてもすべて頭に入っている。
この人に、道を指示するのは恐れ多く失礼だ。
凄いプロのドライバーだと感動し、尊敬しました。

距離があるのでメーター利用はダメで、高速代込み400バーツ。
Grabで事前に調べていたら、同じような代金だったので乗車。

スクンビット(大通り)まで混みあっていましたが、
クラクションを鳴らしごぼう抜き逆走で大通りまででました。

途中、何か所かの交差点でもクラクションを鳴らし強引に追い抜いていきます。
このドライバー、プロ中のプロだと確信しました。
逆走しても変な安心感があり、怖いとは思いません。

途中の看板でホテルの地名「Laksi」(ラクシー)があり、
それを無視してドバイバーは真っ直ぐ進みます。
きっと近道を知っているんだと我慢してましたが、5分経っても左折しようとしません。
しびれを切らして、恐る恐る「ラクシー」は左にあるのでは!?と伝えました。

何の返事がなく、「大丈夫だ。安心しろ」みたいなジャスチャー。
プロ中のプロの機嫌を損ねてはいけない。
何か秘策あるはずだ。

もう目の前にはドンムアン空港。
タクシーはドンムアン空港目の前の「アマリ・ドンムアン」のエントランスで停車。
ここで初めて気づきました。
このドライバー、何もわかっちゃいなかった。

アマリではない!「ザ ジャーニー ホテル ラクシー」!
さっきラクシーは左と言ったでしょう!!
ちゃんとスマホのホテル住所を見てください!
そのドライバーは老眼でスマホの小さな文字が一切見れなかったのです。
アマリのドアマンに私から事情を説明し、ドアマンからドライバーへ道案内。

タイのタクシーでは、ほぼスマホをカーナビに使っていますが、
そのドライバーはスマホを持っていません。

プロ中のプロではなく、ただ老眼で字が見えなく、
エアポートホテルの単語だけでアマリ(大型空港ホテル)まで来たのです。
よくよく思い返せば、目もあまりよくなく、強引な運転になっていただけ。

立場は完全に逆転しました。大通りを戻ります。
「分からなかったら、人に道を聞いてください!」。
信号待ちの時に、バイクタクシーのあの人に聞いてくださいと、
お願いしたのですが、プライドが邪魔をするのか聞きに行きません。

仕方ないので私がスマホでホテルの詳細を提示して聞きます。
まっすぐ行ってどっかで右折みたいなことを言ってます。
そのどっかが分からないのでドライバーに引き継ぎました。

ドライバーとバイタクとの話し合いで、お金を払って先導するとなったみたいです。
タイ人同士で話しているところをみて、
タクシードライバーは耳が遠いというのを初めて知りました。

バイクタクシー先導で補助的に私のスマホでも誘導できる。

私も道を指示します。と伝えたら、
何を思ったのか先導のバイクを追い抜き、カーレースさながらスピード全開で追い払います。
信号で止まり、遅れてバイタクがドライバーに横付け。
口論になり、ドライバーが60バーツをバイタクに渡しました。
バイタクが怒り、100バーツ払え!と怒鳴っています。
それを無視して急発進。
バイタクは追いかけてきます。
それでも無視してタクシーは走り続けます。

その後、そのバイタクはタクシーの車体をおもいっきり蹴ってどっか行きました。
数分後、バイタクの仲間と思われる人が、
大声でタクシーの車体を蹴って、どっかに行きました。

ようやくスマホのナビでホテルに到着。
ドライバーは、かなりの落ち込みようで下を向いたままタクシーから出てきません。
立てないくらいショックを受けていたように見えました。

ドライバーはバイタクの先導60バーツを私に請求したら、絶対に払いませんが、
何も言ってこなかったので、400バーツと60バーツを渡しました。

50分のところが、2時間かかりました。
事故がなかっただけよかったです。

ライドシェア タクシーアプリは、これからもっと普及していきます。

ドンムアン空港近く ザ ジャーニー ホテル ラクシー
ドンムアン空港近くのホテルといえば、空港連絡通路がある「アマリ・ドンムアン」が
便利ですが、今回夜のフライトまで5時間の利用なので、
休憩、シャワーができればよく、できるだけ安いホテルが希望です。

「ザ ジャーニー ホテル ラクシー」
客室数:114室 建築年: 2016年
スタンダードツインルーム 28㎡

周辺は住宅街。近くにコンビニがあり、レストランも数か所。
格安のホテルですが、フィットネスセンター、レストランも。
何より清潔なのが良いです。

素朴な街の雰囲気で、ロケーションはバンコク市内より離れていますが、
それを含めても、バンコクで泊まったホテルよりも、
ここで泊まった方がよかったかも。

ドンムアン空港よりマカオ経由で帰国へ
ホテルの周辺を散策して、食事、休憩。
5時間の滞在でしたが快適に過ごすことができました。

ドンムアン空港までタクシー約15分。

帰国便のスケジュール NX:マカオ航空
1/10 NX935 ドンムアン22:45/マカオ02:30+1 所要2時間45分
1/11 NX856 マカオ08:15/関西12:45 所要3時間30分

バンコク・ドンムアン空港内は、レストラン、フードコート、
制限エリア内も免税店などリニューアル。

マカオ空港02:30着
乗り継ぎのセキュリティを通りゲートへ。
中国でのセキュリティはライター持ち込み禁止で没収されます。

深夜のマカオ空港乗り継ぎで5時間45分。
熟睡する時間にこれは辛い。
免税店、レストラン、店舗は19:00で閉店していて自動販売機のみ。

深夜乗り継ぎの乗客は少なく、空港内はガランとしています。
かなりの数の待合椅子があり、仮眠をとるには問題ありません。
その椅子が手すりがあるのと、ないのがあり、
手すりがないのは横になることができます。

横になっても背中が痛くなかなか寝れません。
一番つらかったのはガンガンの冷房。
マカオは20℃前後の気温ですが、湿気が強いのか、空港内は強烈冷房。
まだ冷房が弱く、人がいない所を見つけて、地べたで2時間ほど仮眠をとりました。

7時前に店舗が空き、始発便のアナウンス。
08:15発 帰国の途へ
12:15 関西空港到着

旅の目的
今回の旅の目的は、上倉さんに手を合わせに行くこと。
そして、お別れの会を取り仕切っていただいたLIDAさんへのお礼。
2021年5月からかなり時間が経ってしまいましたが、やっと行くことができました。

よく一緒にポイペト、アランヤプラテートに週末1泊で行きました。
ポイペトのカジノホテルに泊まり、スロットを隣同士で、夜通し日本の歌を歌いながら。
歌詞がサビの部分しかわからないので、二人して殆どがハミング。
何をやるにも楽しかった。
かけがえない思い出です。

チャンヤとの会話で、
直前にあるガイドに$200貸してほしいと。
そのガイドは、ロックダウン真っ最中で全く仕事がなく断りました。
今でも「こうなったのは私のせいです」と。

何で私に言ってくれなかったのか。
「本当に信頼できる人に、そんな恥ずかしいこと言えないですよ」
と、チャンヤは言いました。

期待しすぎたバンコクのホテル

バンコクへ 5時間バスの旅
アランヤプラテート「ステーションワン ホテル」に泊まり、
07:30発のバスを前日に予約。ホテルすぐ横がバス乗り場。
5時間バスの旅。
13:30にバンコク・モーチットに到着。
Grabを使ってバンコクのホテルへ移動。
前回の旅で初めてロサンゼルスで利用しました。その時はUber。

金額が決まっていて、道の指示を一切しなくても到着。
一言もドライバーと話すことも必要ありません。(寂しい面でもありますが)
ドライバーも利用者も評価をみて手配することができます。
便利で安心。
これが世界の流れです。

今回、バンコクでは初めて利用しました。
バンコクでも安心して乗車することができ、無事にホテルへ到着。

私のバンコクでの過ごし方
いつものルーティン。
朝食をゆっくりいただき、
レンブラントから徒歩15分のベンジャキティ公園へ。
1周2km。5周ゆっくりジョギング。

すぐ近くのルンピニ公園でミズオオトカゲが多く生息していますが、
ベンジャキティ公園でもミズオオトカゲが生息。

何も危害はなく、臆病で人が近づくと逃げていきますが、
子供のミズオオトカゲに近づくと親が守るために襲う場合もあるとの事。
木登りも得意で、頭上に居ることも。

ホテルに戻り、サウナで読書、シャワーを浴び、プールへドボン。
これを3~5セット。

部屋で休憩、昼寝をしてから夕食へ。

バンコクに来たなら外せないものが3つ。
・アンアンラオ…北京ダック 
・ソンブーン…プーパッポンカリー 
・らーめん亭…醬油ラーメンとニンニク炒飯

アンアンラオ(安安樓) スクンビット26
安くて美味しい中華レストラン。
名物は北京ダック。
前回350++(サービス料、税金別)バーツから490++バーツに値上がりしましたが、
以前は100バーツ追加で、ダックの身の部分を好きな料理で提供。
今回はその追加100バーツが含まれて、5種類から選べるというものでした。

北京ダックは、炉(窯)の中でダックをパリパリに焼き、皮を削ぎ切りにし、
薄餅(小麦粉を練って薄く延ばし焼いたもの)にネギ、キュウリを包み、
甜麺醤(テンメンジャン・中華甘みそ)と共に包んで食べます。

台北などでいただくと、ある程度、肉・油を付けて切る店がありますが、
油っぽくて好みではありません。
バンコクでは皮だけを薄く削ぐのでパリッと油っぽくなく美味しいのです。

ソンブーン ラチャダー店
タイ海鮮料理レストラン

以前は、パッポン奥のスラウォン店ばかり行っていましたが、
店の入り口横の建物内にゴ○ブ○が何十匹も発生したのを見てから、
ラチャダー店に来るようになりました。
店も綺麗で地下鉄「Huai Khwang」駅前。

外せないのが「プーパッポンカリー」カニのカレー炒め。
ぶつ切りにしたカニをカレーと卵で炒め、ふんわりまろやかでスパイシー。
殻付きのままだと、歯の詰め物が取れるので、店員に殻を割っていただきます。

らあめん亭 プロンポン店
ここで注文するのが醬油ラーメンとにんにく炒飯

大阪では、素朴な醬油ラーメンがなかなかありません。
らあめん亭は、昔ながらの醬油ラーメンですが、
しっかりと出汁をとっているのでコクがあり美味しいのです。
にんにく炒飯かキムチ炒飯、そして昔ながらの中華スープも絶品です。

ただ、日本より高いです。
今回、夜に一人でブラっと食べに行きました。
醬油ラーメン:230バーツ、にんにく炒飯:250バーツ 合計:480バーツ
その時のレート(両替手数料含む)で約2,200円。

今回、バンコクの物価高騰には驚きました。
タイは安いというのは通じません。

今は日本と同じか、物によっては高いです。
マクドナルドのビックマック220バーツ。現在のレートで約1,000円。
日本よりタイの方が完全に高く、その分、所得も上がっているのです。

「タイは若いうちに行け!」は昔話になりました。
今は「タイはしっかり働き、たくさんお金を持って行け!」に変わりました。

さらに驚いたのが、食費でタイよりカンボジアの方が一回の食事代が高かったのです。
どちらもそんな高級レストランでなく、普通のレストランです。

タイは食費を安く済まそうと思えば可能で、
ショッピングモールのターミナル21でのフードコートでは、
100バーツ(約460円)あれば2~3品いただけます。

せっかくの旅なのでフードコート、屋台だけで終わりたくありません。

バンコクのホテル レンブラント・スイーツ
旅の最後は良いホテルでしめたら、旅の満足度が全然違ってきます。

コロナ終結後、バンコクのホテルは高騰しています。
私の大好きな、ラディソン・ブル、シェラトン・グランデ、ソフィテルは、かなりの予算オーバー。
セカンドチョイスのエータス・ルンピニ、S31、エバーグリーンも高騰。

探していたら「レンブラント・スイーツ」が予算内。
サウナがあり、スクンビット18という好立地で、スイート(朝食付き)が1泊¥13,000-ほど。

25年ほど前に隣接している「レンブラント・ホテル」に泊まった事があり、
立地が良く、高級感があり、朝食も良かったと記憶しています。

「レンブラント・ホテル」と「レンブラント・スイーツ」の2つの建物があり、
レンブラントホテルの系列なので間違いはないだろうと決めました。

「レンブラント・スイーツ」に到着。
「レンブラント・ホテル」の煌びやかで天井が高く、
ホテルのサービスを堪能するのとは正反対。

中級ホテルと割り切って期待しなければよかったのですが、
以前、ホテルに泊まっていて期待度が強かったのだと思います。

泊まった部屋は、1ベッドスイート(50㎡)28階。
リビングとベッドルームに分かれており、リビングにはキッチンが付いています。

古いのは問題ないのですが、掃除がいい加減。
キッチンは本気の料理(煮込み、揚げ物)をしている人が多いのか、
換気扇などに油がこびりついていて、匂いもします。
部屋の換気をしたく窓を開けますが、壊れていてすぐに閉まり換気ができません。

引き出しからコップを取り、備え付けのスポンジで洗剤を付けて洗い、
水を飲んだら、コップの臭い匂いが。
スポンジが臭かったのか、すぐに買いに行きました。

床も生ごみの汚れがこびりついて、髪の毛なども床に引っかかっていたり。
キッチンが無かったらここまでの汚れ、匂いはなかったと思います。

朝食は、ホテル、スイーツどちらに行っても良いといわれました。
翌朝、迷わずホテルの方へ。

ホテルのレストラン受付の女性に部屋番号を行ったら、
スイーツはスイーツのレストランに行ってと、露骨に嫌な顔をされ、
チェックインの際に確認している旨を言ったら、
舌打ちをして、手を払い「さっさと入れ」。

そのまま気分が悪いままで食事をしていましたが、
あまりにも失礼な態度だったので言いにいきました。
その女性に言っても変わらない態度だったので、
他のスタッフにマネージャーを呼んできてもらい、その女性の前で苦情を言いました。

職業柄「俺は客だ」とは絶対にしません。
何も特別なサービスを求めているのではないです。

気分が悪くなるホテルはなかなかありません。
それだけ物価が上がり、格安に入るホテルなのでしょう。

他の一部のスタッフは、いつも笑顔の素晴らしい方もいましたし、
立地、設備は申し分ないだけに残念です。

部屋から

カンボジア・シェムリアップからタイ・バンコクへ

シェムリアップをあとに
シェムリアップで年末年始を過ごし、再び陸路でタイ・バンコクへ移動します。

事前にカンボジア側国境のポイペトまでバスチケットを購入。
@$15-。しっかりと一人1シートを確認しました。

今回のシェムリアップホテル「サムット ブティック ホテル」

滞在中、団体客は皆無でホテル内は静か。
ロケーションはそこそこですが、目の前に果物屋、コンビニがあります。
サウナ、プールがいつ行っても貸切状態。
何よりスタッフのホスピタリティ。どのスタッフと会ってもいつでも自然な笑顔。
朝食は料理の種類は少ないのですが、一品一品丁寧で美味しくいただきました。
コスパもよく満足のホテルです。

1/04 10:30 ホテルピックアップ。
ホテルスタッフにお見送りをしていただきました。

カンボジア原風景
1年前のポイペトホテル火災

人数が集まらずバスではなくバンで移動するとの事。
途中、一回休憩があり2時間半でポイペトに到着。
往路同様、徒歩で国境を反対向きに越えます。

国境のカンボジア側のポイペトでは、カジノホテルが数軒あり、利用客はほぼタイ人。

一年前の2023年12月28日未明
「グランドダイアモンドシティ・ホテルアンドカジノ」で火災発生。
ホテル連絡歩道を伝って、周辺ホテルにも燃え広がり、27人お亡くなりになりました。

原因はホテル厨房の調理用ガスボンベの爆発により、
瞬く間に17階まで延焼したと伝えられています。

一年経った今でも、火災現場の爪痕が残り、柵で覆われています。

国境を徒歩で越えてアランヤプラテートへ

カンボジアイミグレーションの立派な建物でスムーズに出国。
国境を越え、タイの入国では1時間ほど列に並びタイ入国。

国境からトゥクトゥクで約10分。
アランヤプラテート「ステーションワン ホテル」にチェックイン。
6日前も宿泊しており、ホテルスタッフは顏馴染み。

往路は18:00過ぎに暗くなってから到着。
疲れていたせいもあり、ホテル周辺の屋台のみでしたが、今回はホテル到着が14:00。
部屋で休憩をした後、アランヤプラテートの街を散策。

ホテルから徒歩10分にアランヤプラテート駅。
タイ国鉄でアランヤプラテート駅がバンコクへのイースタンラインの始発駅。

アランヤプラテート07:05発、14:00発の1日2本運行。所要5~6時間。
断然バスの方が早いとの事と、自由席で混みあうとの事で乗車したことはなく、
今回もバスでバンコクへ移動します。

駅のすぐ近くにナイトマーケットがあり、食料品だけでも50軒以上屋台があります。
街を散策したのですが、これといったレストランがないので、
屋台で買い込みホテルでいただきました。

見どころは一切なく、時間がゆったり流れます。
素朴な雰囲気で懐かしい日本の昭和を感じます。
そんなタイの田舎町アランヤプラテート大好きです。

カンボジア・シェムリアップの日本人

2024年 元旦
シェムリアップのホテルで、年始の挨拶を書いていたら、
テレビの緊急速報が騒がしく、大津波警報。
よほどの地震でないと大津波警報はでません。
能登半島地震の発生。

何も言葉が見つからず、結局、年始の挨拶はアップしていません。

お客さんが1/03発で金沢旅行を手配いただいており、
金沢の状況が分からなく、旅館に連絡。
温泉は使用できませんが、通常通り営業するとの事。
JRは1/02午後から運行再開しましたが、結局、お客さんはお取消しとなりました。

能登半島地震で被害を受けられた皆さまに対しまして、心よりお見舞い申し上げます。
一日も早く復興し、落ち着いたら能登旅行に、どんどん行っていただきたいです。

翌日1/02 テレビから離れられずNHKの地震関連を見ていたら、
羽田空港で飛行機が炎上している模様との一報。
海外から客観的にみて、日本いったいどうなっているんだ。

バインミー屋台
カンボジア・シェムリアップの日本人
1/02は川崎さんと夕食の約束。

川崎さんは、私がカンボジア滞在時に同業社で同じ年。
1年前に大阪でお会いした以来。

ランドオペレーター(現地旅行社)をカンボジア、ラオス、ベトナムに。
ホテル経営、お土産屋など。バリバリの実業家。

1995年にビジネスでの夢を達成すべくカンボジアへ。
当時のカンボジアは、今では想像もできないような暗黒街。
舗装されている道も殆どなく、電気もままならない。
まだまだ観光客は皆無に近い状況。

1997年 カンボジア内戦。
ロケット弾で目を覚ます日々。
日本へ出稼ぎして、カンボジアへ送金して会社を存続。

SARS、東日本大震災を乗り越え、その後、会社はますます繁栄してきましたが、
今回のコロナは、今までとは全く比べ物にならない程の大打撃。
現在もまだ影響が続いています。

それにしてもシェムリアップは激変して以前の面影は全くありません。
日本料理といえば、シンガポール人経営の「銀河」くらいしかありませんでした。

今では、吉野家、ケンタッキー・フライド・チキン、バーガーキング、
チェーンのピザ屋、スターバックス、セブンイレブン、日本料理は数えられない程。
何も不自由することはありません。

日本料理「侍」で待ち合わせ。
川崎さんとお会いすることができました。

もう一人来るとの事で、幸子さんが参戦。
幸子さんとは、私がカンボジア滞在時から親しくしていました。

仕事が休みの日曜日、その頃のシェムリアップは何もすることがありません。
日曜日にはシェムリアップ川沿いの「ラッキーカフェ」で読書をするべく、
コーヒーを飲みに行きます。
その頃、コーヒーが飲める所は「ラッキーカフェ」しかありませんでした。

日曜日にラッキーカフェに行ったら、必ずと言っていい程、
幸子さんに会い、同じく本を持ってきます。
一緒にコーヒーを飲みながら、いろんな話をしたことが思い出です。

当時、日本語教師からガイドをやっていました。
カンボジアではお土産がタイからの輸入品くらいしかなく、
何かお土産になるものがあったらいいねと。

一念発起し、
2004年 マダム サチコ ANGKOR COOKIES 創業。
年商3.5億円。カンボジア人従業員100名の雇用を生み出しました。

その後、会社を売却して、40ヘクタール・東京ドーム8個分の無農薬の農園。
Svay Chek Organic Farmを経営しています。

農薬は使わず、新鮮で安心な野菜で健康的な国に。
カンボジア発祥の世界初「マンゴーワイン」。

幸子さんとは、約10年ぶりの再会。
楽しい時間はあっという間に過ぎました。

一度しかない人生、一日一日を精一杯生きています。
とことん笑い、とことん泣き、とことん楽しみ、とことん悲しみ、
苦しみさえも楽しく乗り越えていきたい。

幸子さんと必ず再会したい。
神様は乗り越えれない壁は造りません。

カンボジアで乳がんになるvol.1 癌宣告を受けて
サムット ブティック ホテル

カンボジア・シェムリアップでの年越し

親友との再会
2023年 12/30-2024年 1/02 カンボジア・シェムリアップ 
サムット ブティック ホテル滞在。

今回の旅の目的は、上倉さんのお寺参り。
そして葬儀、お別れの会を発起していただいたLidaさんにお礼が言いたい。

到着日すぐにチャンヤさんがホテルに来て、お寺に案内していただきます。
チャンヤさんは、私がカンボジア滞在時から信頼し、尊敬するカンボジア人。

1976年生まれの今年47歳。
首都のプノンペン生まれで、ポルポト時代の幼少期、警察官の父親を亡くし、
母親一人で弟と育てられました。

ポルポト時代では、教師、公務員、外国人と一緒に仕事をしていたどころか、
外国人と話しをしていたといいうだけで。
そしてメガネをかけていただけで文化人とみなされ虐殺の対象でした。
その世代以上のカンボジア人は、それぞれに悲しい体験があり、人には言いません。

貧乏のどん底でシクロマン(自転車タクシー)で生計を立て、
街灯の灯りで英語、日本語の勉強し、ホテルのフロントを経て、日本語ガイドになりました。

初め会った時、印象なかったのですが、
ある日、私がバイク事故を起こし、頭を打って血だらけになり、
一番心配をしてくれたのがチャンヤ。それがきっかけでした。

「すぐ病院行きましょう」
「いや、この国の病院は行かない方が早く治る」
「それもそうです」

1ヵ月、口も開けれないほど、頭がガンガン痛かったのですが、
結局病院へは行かず、今でも左腕の跡が思い出です。
チャンヤとは、それ以来の付き合いです。

どんなつらい時も、いつも笑顔で彼が笑ったら私も笑います。
かなりの女性好き。タバコ、ビールが大好物。
冗談ばかり言いますが、達観しています。

私の職歴⑨ ~生涯の友~
到着日にすぐにホテルに来てくれました。
子供3人を連れて。

最後に来たのが10年前で、長男が生まれた時。
3人とも男の子で10歳、7歳、5歳。とにかく賑やかで走り回ります。
3人ともインターナショナルスクールに通い家でも英語で会話。

チャンヤの車でお茶を飲みにセブンイレブンへ。
シェムリアップにセブンイレブンがあるのには驚きました。
なんとスターバックス、ケンタッキーもあるのです!
コーヒーを持ち帰りチャンヤの家へ。

街の中心部、3階建ての豪邸です。
以前も来たことがあるのですが、その時は1階だけでしたが、その後増築。
3階ベランダからシェムリアップの街が一望。

奥さんは、オールドマーケットで土産屋を出店。
朝10時から夜22時まで店に出ずっぱりで、交互に子供を学校へ送り迎えをしています。

チャンヤは残念な事に子供に悪影響だと、タバコ、ビールを辞めました。

今ではそうでもありませんが、当時日本語ガイドは日本人の感覚ではプロ野球スター選手。
日本人感覚の何千万円の年俸。

その頃、シェムリアップは土地が安く、ガイドは土地を購入していました。
チャンヤも街の中心に土地を購入し家を建てました。
10年もたたないうちに、土地が何十倍に高騰し億万長者に。

私が最後にシェムリアップに来た10年前、
働かなくても十分なお金があるので、殆どのガイドが仕事を辞めていました。

その時、日本語ガイドだったサムウンさんが会いに来てくれました。
お腹がビール腹ではちきれそうに膨らんで、全身金を身に着け、
どうみても似合わない成金そのもの。
土地が高騰して凄いお金が入ってきて、日本語ガイドを辞め、
お金はあるけど、毎日何もすることがなく暇だと言っていました。

今回、サムウンの行方は誰も分かりませんでした。
カジノにはまり一文無しになり、知り合いに50ドル貸してと、言いまわっていたそうです。

お寺参り
上倉さんの葬儀、お別れの会が行われたお寺「ワット・プレアー・プロム・ロァト」へ。

街から郊外の寺だと思い込んでいましたが、
街の中心であるオールドマーケットすぐ近く、シェムリアップ川沿いにある寺院。
立派な寺院で、住職と会うことができて、その時の事をよく覚えていただいており、
お礼を言うことができました。

亡くなってから2年半。
遅くなりましたが、やっとお参りすることができました。

そして、葬儀、お別れの会を発起していただいたLidaさんにもお礼をいうことができました。

シェムリアップでの年越し
2023年12月31日 
シェムリアップでは、日中40℃近くある猛暑ですが、
ホテルの部屋は冷房が効き、快適に過ごします。
紅白歌合戦、ゆく年くる年を垂れ流ししながら、リゾートを満喫します。
カンボジアは日本より2時間遅く、日本では新年を迎えた後、街の中心へ出かけます。
パブストリート周辺では、人でごった返し。
年越しラーメンをいただき、カウントダウン。
素晴らしい新年を迎えました。

2024年皆様にとって、穏やかな一年でありますよう、お祈り申し上げます。

私の宝物 1枚の写真
2000年撮影 シクロナイトツアーで国王別荘庭園にて。

その頃、外灯がなく街全体が真っ暗で道はガタガタ。
バイクでシクロを先導をしていました。

この写真は私の母からカンボジアに送られてきました。

シクロに乗る女性。この方が私の伯母(母の姉)と親友で、
カンボジア旅行の土産話で、撮った写真を伯母に見せた所、
もしかしてと、私に気づき驚いて、伯母から私の母へ送り、
大分時間が経ってから、私に送られてきました。
青森に住む叔母は、私がカンボジアに住んでいることは知りませんでした。

それも数多くいるガイドの中で、偶然チャンヤと。

2000年 シクロナイトツアー 国王別荘庭園にて